電子書籍
B6回顧録(国鉄編)
著者 瀬古竜雄 (著)
2100形から2500形まで“B6形”総計416輌の国鉄での動向を追う。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予め...
B6回顧録(国鉄編)
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
B6回顧録 国鉄編 (RM library)
商品説明
2100形から2500形まで“B6形”総計416輌の国鉄での動向を追う。
※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予めご了承ください。試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
目次
- 戦前のB6概説(形式2100
- 形式2400
- 形式2120
- 形式2500)
- 戦後のB6とその動向(改造機新旧番号対照表
- 台湾に行ったB6
- 昭和10年12月10日現在の台湾のB6の配置)
- 戦後国鉄のB6(昭和23年9月のB6全配置表
- 戦後昭和23年までの廃車
- 昭和30年8月1日B6全国配置表)
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
小分け商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この商品の他ラインナップ
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
裏方の力持ちとなったSLの履歴書
2001/01/26 18:15
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小池滋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「B6」と言われても何のことかわからない人の方が多かろう。「本の大きさのことですか」というのが常識的な答えではあるまいか。
鉄道に興味を持つ人なら、かつて英国で作られて日本に輸入されて、長いことはたらいていた蒸気機関車の通称か愛称だと思っている。かなりの年齢の人なら、現役で動いていたのを見た記憶を持つ人もいる。でも、C57とかD51というのは見たことあるが、B6などという番号がついていたのは見たことない、数字が4つ並んでいただけだと言う。
わたし自身が、小学生だった戦爭中から大学卒業後の昭和30年ころまでの長い間、東京のあちこちで入れ替え作業をしていた小形のSLをよく見かけることができた。裏方の力持ちという印象がいまでも残っている。
本書によって、このグループの機関車の履歴と活躍ぶり、幕が下りるまでの運命を、文字通り1両1両について教えられた。かなりのマニアと自負している人でも、知らなかったことが満載である。著者と背後から支えてくれた多くの情報・写真・図面提供者に深い敬意を表したい。
明治23年(1890年)に英国で作られ、日本の官営鉄道(当時は鉄道作業局と呼ばれていた)で使われたのが最初の6両であった。そこでは、シリンダーから伝えられた力を棒によって受けて回転する車両(これを動輪と呼ぶ)が、片側に2つあるのをA、3つあるのをBと名づけた。Bの6番目の形式ということでB6と名がついた。1両1両には数字による(105番から)番号がついていた。
重いので、どこの路線でも使えるわけではなかったが、力が強いので、重い貨物列車や、坂のきつい区間でのすべての列車を引くのに適していた。スピードよりも力強さによって重宝がられたのである。
官鉄だけではなく、当時の私鉄でも使われた。家族の数はどんどん増えて、当時としては珍らしいことだが、1形式で100両を突破した。そこへ明治37年(1904年)の日露戦爭である。スピードよりも力で評判をとったB6は軍事輸送にもってこいの機関車と評価された。
急いで英国に大量発注したが、それだけでは間に合わないということで、同じ設計図をドイツとアメリカの会社に示して追加注文した。戦爭が終ると、満州に送られて帰国した187両を含めて、家族総数はなんと528両に達していた。
明治39年に、日露戦爭で鉄道の持つ軍事的役割を痛感した政府は、全国主要幹線の国有化を実施した。その結果大世帯になり、機関車の改番をすることとなった。B6の初期の英国製は2100、その後の英国製と10両の国産は2120、ドイツ製は2400、アメリカ製は2500と形式が改められて、全国にばらまかれ、昭和30年代初期まで生きのびることとなったのである。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2001.01.27)