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表題が良いです。
表紙の絵のチョイスが良いです。
(ベルギーの画家ポール・デルヴォー)
中島さんは、40歳代の方とばかりだと
思ってたんだけど、違うんですね。
紙面から、生きにくそうな方だな、と
いうのが伝わってきます ^^;
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なぜ、私はこの世に自分の意志ではなく生まれさせられ、
苦しみあえいで生きねばならず、
そしてじきに死んでしまわねばならないのか、
しかもほとんど何もわからないままに。
10年ほど前に高速道路で交通事故に遭ったことがある。
自分のクルマは全壊。
しかし、自分はヒザをほんのちょっと打撲しただけで奇跡的に助かった。
もし、あのときクルマから脱出する前に、
トラックやバスのような大きな車両が自分のクルマに突っ込んできたら、
即死だったはずだ。
精神的にズタズタにされ、苦しみながら、なぜか今日も生きている。
もし、あのとき死んでいたら、今日の苦しみは味わずに済んだ?
果たして、どっちが自分にとってラッキーだったのか?
よくわからない。
日本で年間の自殺者が3万人を超え、
うつ病・ひきこもり・PTSDが急増し、
多くの人が閉塞感に襲われ、
自殺者予備軍は増える一方である。
日本は常識的なレールから外れなければ住みやすく快適な国。
しかし、そんな一昔前の高度経済成長期の神話はすでに崩壊した。
常識的なレールも地獄。
そのレールからドロップアウトしても地獄。
まさに行くも地獄、退くも地獄。
この八方塞がりな閉塞感が、多くの人を自殺へと駆り立てる元凶となっている気がする。
閉塞感を生むひとつの要因として、
「出る杭は打たれる」とよくいわれるように、
日本独特の「みんな一緒の暴力」は根強いものがある。
世間は、みんなマジョリティが楽しいことを楽しくないと言う者を絶対に許さない。
みんなが楽しい時間、楽しくない素振りをすることさえ絶対に許さない。
この国では、組織は個人の内部まで、
いや信条や感受性の中核まで侵入して、
それを支配しようとする。
これに、誰も(とくに組織の上層部が)疑問を感じないことが不思議でなのであり、
疑問を感じた者が排斥されることが残酷なのであり、
このすべてが気楽に行われていることが恐ろしいのである。
実は、楽しいことだけでなく、苦しいことにも「みんな一緒の暴力」は猛威をふるう。
つまり、上記の表現を言い換えれば、
「みんなマジョリティがつらく苦しい思いをしているときに、楽しようとする者を絶対に許さない。
俺が休めないのに、お前が休むのは許せない!絶対に許さない!」
となる。
ブラック企業や社畜が跋扈し、多くの人を思考停止させているのもこれが原因だ。
「みんなで休まず、みんなで不幸になろうキャンペーン」がまさにそれだ。
これは海外ニートさんのブログに詳しい。
マジョリティが苦痛を感じないことに、
甚だしい苦痛を感じる感受性のマイノリティ・信条のマイノリティの自分。
疑問を感じている少数派の自分は、
その疑問を表明すれば排斥される。
どうせ排斥されるなら、
その前に自分の意志で会社を辞めたいのだ。
その苦痛から逃れるために自殺するなんて、
バカらしい。
納得がいかない。
こう考える道筋のヒントをもらっただけでも、
この本を読んだ甲斐があった。
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101203
p.10 きみの姉さんに赤ちゃんが生まれた。きみはその泣き叫ぶ顔を見ながら、どうせ死んでしまうのに、なぜ生まれてきたんだろう、と感ずるのだ。
同じことを思う。親戚に赤ちゃんが生まれても「おめでたい」という感情は湧かない。人生というものがまたひとつ、その再生装置とともにこの世に現れてしまったことを残念に思い、赤ちゃんに同情するのみである。
p.15 父親が自分に殺意を抱いていることを知らずに布団に入ってるその子がかわいそうでたまらない。(中略)彼の平静な顔に対して、猛烈な怒りがこみあげてくる。ぼくは酔いに任せて、大声で怒鳴った。「子を産んだだけでも親は罪なのに、そのうえ殺すとは何ごとだ!」
「子を産むことは罪」なのだ。実存でつまづいてしまった人間は、ふつうに就職して結婚して子供を生むという人生を歩むことができないと僕は思っている。よく中島さんは息子を作ったなと思う。
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「どうせ死んでしまうのに,なぜいま死んではいけないのか?」という問いへの一つの答えとして私に極めて重要に思われるのは,「いま死んでしまうという行為の裏には『どうせ死んでしまうのに,なぜいま死んではいけないのか?』という問いを立てる試みを自ら放棄するという強烈な自己欺瞞,真理からの卑怯な形の逃避が隠れているから」というような事なのだろう.
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鬱状態が常態の私にとって、中島氏の指摘は深く頷ける。
偏食のひどさなどは、共感はできないが、貴重な意見と受け止めた。
ただ言葉が平易だからか、繰り返しが多いからか、議論が深まっていないように思えた。最後は情と簡単な論理の提示で、終わってしまったような・・・。
「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」という問いの立て方は、好ましいし、私にとってもタイムリーだ。
しかし、その答えの出し方が中島氏の個人的な経験、思索の範囲だけでは、どうしても腑に落ちないのだ。
しかし、しかし、答えは「私が」求め、探し出さなければ、意味がないのも、真実だ。
人をさげすむのではなく、自分を深めよう。
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死を深く考えることが、今を生きるにつながると思います。こういう本を手にし、死について自問し、そして他の誰かと意見を交わすことが大事だと思う。ついつい、タイトルに惹かれて手にしてしまいました。
現時点での僕の死への解
「いつ生まれてくるかを、自分で選択できないように
いつ死ぬかも、自分では選択できないもの。」
延命治療はどうなのか?という議論に発展しそうなのですが、
なかなか言葉化すると誤解を招きかねないので、
こういう話は、冒頭でも述べたように
直接会って意見を酌み交わすことが大事だと思います。
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この本は「結局人は死んでしまうのに、なぜ今死んではいけないのか?」という問いに対して、哲学的な視点に著者の体験を絡めて答えを探っていく一冊である。
この本は私にとって非常に良い一冊だった。
語り口こそ鬱々としているが、だからこそ、のほほんとした私の頭にガツンとした衝撃を与えたのではないかと思う。
「人は必ず最後には死ぬ」というごくごく当たり前の誰もが知っている事実を、やっと自分に「認識」させてくれたように思えるのである。
いつ死ぬのかはわからない。明日かもしれない、数十年後かもしれない。でも時期が来れば必ず、私は死ぬのである。
当たり前だ。当たり前のことだ。誰もが知っている。しかし私は本当にそのことを「わかっていた」と言えるのだろうか?
本当に「自分は必ず死ぬ」ということをわかっていたのならば、周囲の評価や視線をこんなにも脅迫されているかのように気にして、やってみたいと強く願った様々なことを諦めることなどなかったのではないだろうか?
著者は「どうせ死んでしまうのだから、どんな偉業を成しても無駄だ」と述べている。
確かにそうかもしれない。
私のやったことなど、死ねばすぐに忘れられるかもしれない。(生きているうちに忘れられることだってある)
しかし私は、自分のやったことをどれだけ覚えてもらえているかなんて大切だとは思わない。
生きている今この瞬間、どれだけ楽しかったか、面白かったかが一番大事だと思う。
だから、この瞬間、楽しかろうが苦しかろうが、結局死ぬのなら、私は自分のやりたいことや好きなことをやりたい。
この本の内容は、小学校の道徳の授業で教えられたようなことと真逆である。
その為、読んでいる最中「ちくしょう、好き勝手書きやがって。こんな自己中心的な考え方が世の中まかり通るもんか」という常識的な自分と、「そうだ!そのとおりだ!いつ死ぬかわからないのにいい子ちゃんで生きていけるか!」という不良の自分とが戦い続け、ちくちくもやもやとしたものが心の中に渦巻いていた。
しかし、そのおかげかやっと自分の目が開いたような気がするのである。
若いうちに読めてよかった。
素晴らしい出会いだった。
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不幸や死を考えて考えても、やっぱりなぜかしら不幸でないし、生きていることそのものに、表面上何があってもさしあたり「幸福」であるように感じてしまう。なぜだ。
「一切皆空」で、世界のものはみんななぜか縁あって無から生じ、無に帰っていく。そして、その無は、もしかすると、娑婆の不完全な存在なんかよりも、完全な存在であることが言えるし、今現れている存在は、仮だとしか思えない。
死の向こう側の世界が存在するのではなくて、死も生も、存在とか無を超えたもの(空)が現れた同位相だとすると。
中島先生の本を読むたび、暗澹ではなく、とてつもなく澄み切ったニヒリズムに、なぜか明るくなっている私がいる。
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つらい時に読んだ。冒頭の数ページで泣いてしまった。私も(著者ほどではないかもしれないが)幼少期から死について考えている人間。こんな人は少なくないはずで、この本のタイトルにもピンと来ると思う。中島氏なりの答えは書いてはあるものの、そういわれても…といった感じ。だが、私なりには私なりの生きる決意みたいなものは持てた気がする。今後、どうしても生きることの疑問にぶち当たってどうにもできない時に、また読みたい。
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生まれてもどうせ死ぬ。
世界もいつか終わる。
周りの人もみんないつか死ぬ。
どんな哲学も、きっとこの問いにどこかでぶつかるんだと思う。
それに「神の国があるさ」「悪いことしないと地獄に堕ちちゃう!」だとか、誰も知らない部分を作り上げることでその恐怖を見ないようにしちゃったのが宗教なのかな。
著者は、題名の問いに、「どうせ死ぬなら、今死ななくてもいいじゃない」と言う。
むしろ「どうせ死ぬんだから、誰かのためではなく、自分の為にぐれながら生きればいい」と。
なかなかそれも難しいけど、そういう考え方もあるよね。うん。
そんな感じの哲学書。
やっぱり、悲しむ人がいる、というのが一番の答えなような気がする。
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【本の内容】
所詮人生は、理不尽で虚しい。
いかなる人生を営もうと、その後には「死」が待っている。
「どうせ死んでしまう」という絶対的な虚無を前にしながら、なぜ私たちは自ら死んではならないのか?
生きることの虚しさを徹底的に見つめ、それをバネにたくましく豊かに生きる道を指南する、刮目の人生論。
無気力感に苛まれる時、自分に絶望し苦悩する時の必携本。
[ 目次 ]
1 死だけを見つめて生きる(K君へ;なぜ苦しくても生きていかなければならないのか;自殺してはいけない理由 ほか)
2 幸福を求めない(根本悪について;金に対する原罪;テロと哲学 ほか)
3 半隠遁をめざそう(どんな仕事も虚しい;組織に埋没してはならない;ひきこもりの技術 ほか)
[ POP ]
とにかく怖い!!
読み終えたら(´・ω・`)ショボーンとしちゃう...。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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自分が哲学的思考能力がないということを痛感した。
時々同意するような箇所もあり、改めて、生きているうちは絶対的不幸の中にある、という気持ちを忘れず前向きにいこうと思った。
あと著者は変わってる。
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生きているのが辛くて仕方がない人を前提に諸行無常を説く本はたくさんあるように思うけれど、生きているのが楽しく、満足して、希望もあって、でもなぜ今死んではいけないのかが分からない人のための本には未だ巡り会えない。この本も答えてはくれなかった。
楽しくて幸せで充実している、でもどうせ死んでしまうなら、それが自分自身にとってすべて無になるということなら、なぜ今死んではいけないのだろう。それが納得できる本は無いんだろうか。
これはもっと後ろ向きだった。読み終わった後、長い間哲学病に悩まされてつらかった。
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幸福を求めず、どうせ死んでしまうという人生の理不尽さを見つめて生きるという清らかな(あるいは限りなくむなしい)生き方と、それを実現するための「半隠遁」という処世術が語られます。
わたくし自身は、著者のように「どうせ死んでしまう」ということを突きつめて考えることはなかったのですが、こんなにも清々しい仕方で自分の人生と向きあっているひともいるのかと、感心させられました。
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いつだったか、とんでもなく生きづらかった時に思わずタイトルも目を奪われた本だけれど、哲学の素養が全くない私には難解な本だった。ようやく数年間おいて読了。
また辛い時に何となく手に取ったら、涙を流しながら読んでた。著者も相当の変わり者だが、普通な考え方を持っていると言い難い私には共鳴する部分がかなり多く、しかし著者のように開き直って生きてはいない。まだまだもがき続けそうな人生だけれど、死ぬまで考え続けなければならない。「どうせ死んでしまうのに、なぜ今死んではいけないのか?」答えがなくとも、考えに考えることこそが、その理由のように思えた。かえって生きる力が湧いてきた。
あと、どうか、あなたの周りにこのような疑問を持ち、死に惹かれている人がいるとしたら、「死んでほしくない」と一言だけでも声をかけてあげよう。