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荒野(あらの)の宗教・緑(みどり)の宗教
著者 久保田展弘 (著)
生存困難な荒野(あらの)で、絶対的な神をつくり上げた一神教世界。そこでは<厳格な戒め>の下、神による救済が説かれ、報復が神の名の下に肯定される。一方、豊かな自然観が神々を...
荒野(あらの)の宗教・緑(みどり)の宗教
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荒野の宗教・緑の宗教 報復から共存へ (PHP新書)
商品説明
生存困難な荒野(あらの)で、絶対的な神をつくり上げた一神教世界。そこでは<厳格な戒め>の下、神による救済が説かれ、報復が神の名の下に肯定される。一方、豊かな自然観が神々を生み出した多神教世界は、異質な価値観に寛容であり、特に日本では、いのちの共存をはかる<おだやかな救済論>が育まれてきた。世界各地を歩き、そこに生きる人々のありようを見つめ続けてきた著者は、互いのいのちの存在を認識する多神教の宗教観を<緑の神学>として提示し、世界はそこに立ち戻るべきと説く。縦横に思索を広げた比較宗教論。
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紙の本
非一神教もそんなに良いものではないです
2005/02/15 04:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
民族的対立をあおり、国家間の戦争を生み出し、「のめり込み」の信仰による反社会的な問題行動をも生み出す、そのようなものである「宗教」とは一体何であるのかを考える本。
ユダヤ教・キリスト教・イスラーム・仏教をそれぞれ発生段階にさかのぼって検証し、現代にまで脈々と続くその性質を分析しようとする視点や態度は非常に鋭く、文章の切れ味や機知も抜群である。
現在、瞋恚[しんに]の連鎖のまさに渦中にあるのは報復を是認して徹底的に叩き合う一神教であり、一方で、たとえ困難であっても共存する道を探ろうとしていているのは仏教である。ために表面的には「叩き合う一神教・共存を探る仏教」という図式が可能となっている。しかし報復は一神教に絶対不可欠の性質ではないし、また、「怨親平等」を説き、縁起の法のもとで全ての生命は平等であると言う仏教は、その平等ないのち同士が殺し合うこと(食物連鎖)を否定してはいない。(歴史的にもっと酷いことをしている仏教教団も枚挙に遑がない。)
「絶大なる権力、さらに経済力の前に、人間は宗教をもって立ち向かうことはできない。しかしむしろ、俗権力の前に宗教は手も足も出ないものなのだという、その弱さの本質を知ることから宗教をとらえ直すことができるとしたら、宗教はいっきに私たちの現実のテーマとなるかもしれない。」(二六八頁)
著者の論考をかなり端折って結論部分を紹介すれば、荒野で生まれた一神教を超越するのは、緑多き場所で生まれたがゆえに自然と密接である、アニミズム的な(ひょっとすると本覚思想的な)、仏教や神道などの宗教であるということになるように思える。
結論部には少し首をひねってしまったが、個々の論説は非常に興味深い。
紙の本
世界各地の戦争や動乱の根本原因が、一神教の復讐する神の概念であることを論証
2004/10/17 13:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
鯖田豊之の「肉食の思想」と中尾佐助の「照葉樹林文化」にヒントを得て、世界の宗教を「砂漠の宗教」と「森林の宗教」に二分することを考えたことがある。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教を砂漠の宗教に、仏教、神道、ヒンズー教を森林の宗教に、分類してみた。今回、同様の表題の本を新聞広告で見つけ、読んでみることにした。
荒野の宗教すなわち一神教の神は、ねたむ神、復讐する神、契約を要求し契約者を選民とする神である。私の感性には合わない。私は一神教は好きになれない。信仰は好き嫌いの問題ではないことを、十分承知のうえでも。神を信じることができない者さえも救おうとする、慈悲の宗教が好きである。安心できる。一神教から見れば、宗教ではないというであろうが。
この本では、現在の世界各地の戦争や動乱が、根本では一神教の復讐する神の概念によるものであることを、説く。この解決には、緑の宗教の思想が必要である、と述べる。荒野の宗教と緑の宗教との比較対照が、いまいちものたりない。