紙の本
「論理」と「感情」
2012/11/17 22:23
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投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分は子供の頃、給食で鯨肉が出た最後の方の世代だが、正直、鯨肉にあまり思い入れはない。
ただ、欧米の「捕鯨禁止」の主張には、以前から理解し難いものを感じていた。
(ちなみに生物学上、イルカとクジラには違いはなく、大型のものをクジラ、小型のものをイルカと区別しているだけらしい)
2009年度のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した「ザ・コーブ」ではイルカの追い込み漁が批判的に描かれた。
が、著者によれば、ギリギリ、ウソはついていないものの、「ドキュメンタリー」というより「プロパガンダ」に近いものだと言う。
著者はイルカの追い込み漁が行われている和歌山県太地町に水産庁調査員として訪れたのをきっかけに、長年にわたり漁師達との交流を続けている。
本書は、その経験を元に描いたイルカ追い込み漁の体験記、および捕鯨の歴史についてと、捕鯨のこれからについて論じたもの。
当然、(自称)保護団体メンバーとの衝突についても触れられている。
地元の漁師達が口を揃えて嘆いている事は(自称)保護団体メンバーの「姑息さ」
基本的に「欲しくない」と言っている人にムリに押し付けようとしている訳ではないから、放っておいて欲しい、というのが漁師達の本音。
それでもしつこくつきまとう(自称)保護団体メンバーに「イルカをとって何が悪い?」と聞いても、彼らは正面から答えようとせず、何かの拍子に腕がぶつかったというような事があれば、大げさに痛がるフリをして「暴力を受けた」と騒ぐらしい。
(そもそも撮影している場所自体、一般人は立ち入り禁止の場所だったりする)
2011/7/2にフジテレビで放送された「渡辺陽一が撮ったこれが世界の「戦場」だ」という番組で、スタジオの中学生がシー・シェパード代表のポール・ワトソン氏に質問するコーナーがあった。
そこで中学生が
「クジラは獲ってはダメで、牛がいいのは、なぜ」
という趣旨の質問をしたところ、
「牛は海に住んでいない」
という回答が返ってきた、というのを思い出した。
この辺りから考えると、(自称)保護団体メンバーにとってはイルカ・クジラ保護は「科学」ではなく「宗教」なのだろう。
そのため、漁師達からの「なぜ、獲ってはいけないのか」という「論理」には太刀打ちできず、「感情」に訴える方法でしか対抗できないのでは、という気がする。
捕鯨を理解させるには、まずは、その違いがある事を認めさせる事から始めなければならないのかもしれない。
(もしかすると、ムリかも、という気もする)
紙の本
「捕鯨は日本文化である」ではなく、「日本には捕鯨文化がある」という立場は重要だ
2010/07/25 23:37
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
沿海小型捕鯨業とイルカ漁業が許可されている港は、現在でも太平洋沿岸を中心に日本では複数存在している。そのなかでもっとも有名なのは、「クジラの町」を掲げる和歌山県太地町であろう。太地町には町立の「くじらの博物館」もあり、江戸時代以来の古式捕鯨は、形を変えながらも小型鯨類やイルカ追い込み漁として現在まで太地町には生きている。
本書は、この太地町で15年間にわたって、フィールドワークの一環としてイルカ追い込み漁の漁船に複数回乗せてもらった、元水産庁調査員のイルカ行動学の研究者が、イルカを含めたクジラ類と太地町との400年以上にわたる密接なかかわりを、捕獲から解剖、食肉流通(・・それも市場外流通)など多方面にわたって書き記した記録である。
内容は多岐にわたり、しかも随筆的な書き方なので、まとまりを欠く感がなくもないが、「捕鯨は日本文化である」という立場ではなく、「日本には捕鯨文化がある」という立場を前面に出したことは評価していいのではないかと思う。文化とはあくまでもローカルなものであり、食文化も含めた捕鯨文化は必ずしも日本全体が共有する文化ではない、あくまでも地域限定のものであるからだ。
ただし、おそらく出版社がつけたのであろう、売らんかなという意図が見え見えのタイトルは、はっきりいってミスリーディングである。
日本での公開に先立って物議を醸した、アカデミー賞受賞映画『コーヴ』の向こうを張った内容かと思ったらさにあらず。この本を手にとった読者がおそらく期待するであろう、イルカを食べたという話は全然でてこない。食べた話がでてくるのはクジラばかりである。
とはいえ、タイトルに引っかけられた読者も、最後まで読むことをすすめたい。そのうえで、付録の太地町ガイドを参考にして、太地町にまで足を運んでもらい、ぜひ「くじらの博物館」を訪れて欲しいものである。
「太地町の文化」であるクジラ文化について、「捕鯨は日本文化である」といったナショナリズムに基づいた声高な主張からではなく、太地町という土地に根ざしたローカルな文化である「捕鯨文化」の意味を感じ取るキッカケになれば、著者冥利につきるというものだろう。
こう理解すれば、映画『コーヴ』の評価も自ずから定まるというものではないだろうか。
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イルカやクジラを食べること自体は賛成なんだけれど……
全体的に素人っぽさと論考の甘さを感じました。大学の先生でも専門外だから仕方がないのでしょうか。
一方、漁の体験記は大変貴重なものでした。一読の価値ありです。
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農水省の原田 英男氏がツイッターで紹介していたのを見て購入。
もともと、鯨なんて、食べる機会もほとんど無く、捕鯨に対する興味も無かったため、捕鯨に関する知識など皆無に近かったのだけれども、この本を読んで、捕鯨に関する、ある程度、まとまった知識が得られた様に思った。
和歌山県太地町で行われるイルカ追い込み漁の歴史から始まり、映画「The Cove」撮影の舞台裏(取材された側からの話)だとか、現在行われている調査捕鯨の問題点など、捕鯨に関するいろいろな話題が取り上げられている。
捕鯨のよしあしはともかく、「食材としての鯨肉を考えたとき、他の食肉に勝てないことが一点ある。肉質改善をできないことだ。」との文章には、ハッとした。
当然と言えば、当然の話なのだろうが、これは、捕鯨業界にとっては、意外と、痛いのではないかと気がしないでもない。
でも、肉質が変わらないのなら、調理法を変えれば言いと言う事なのだろうか?
実のところ、どうなのだろう?
あと、文章は、読みやすく、飽きのこない展開で話が続くので、ストレス無く、読み通す事ができた。
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生きることは、他の生き物の命を頂く事であること、感謝の気持ち、畏敬の念をもう一度再認識できる本である。ザ.カーブを観た人は、角度を変えて考えることができる。
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初めてきちんと知りました。江戸時代、それ以前の歴史と今の関係もわかりました。「The Cove」見る前に読んだ方がいいと思いますよ。あの映画は間違いなく隠し撮りとショッキングなシーン、さらには他の場所での映像もごちゃまぜにしたドキュメンタリーとして認められないものだと感じます。15年にわたって太地でのイルカ追い込み漁に関わってきた動物行動学者からの冷静な反論です。
しかし、欧米はかつて鯨油を採るためだけに鯨漁をし、鯨を資源として枯渇させた張本人(脂分だけ採った後は海に投棄ですよ)。石油の登場でさっさと捨てたのはついこの間のこと。それだけに鯨が獲れたらどこまでも使い尽くし、さらにはその霊までも供養する日本という姿が見えていません。冷静に知識としてこの本をお勧めします。
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日本人全員がクジラを食べるわけではない。
作中の「クジラを食べるのは日本の食文化である」ではなく「日本にはクジラを食べる文化もある」という件は的をいていると思いました。
クジラを食べるのを反対している海外の人が自分で言った反対理由が「感情論」ということなんだとさ。
異文化を認めない限り不毛、永遠に平行線ではないか。そこに議論、論議を重ねる隙などあるのだろうかね。
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ダメなのか?と思って読みました。
映画を観た後に合わせて読んだから、ひとつのことを語る目線が違うだけでこんなに違うんだなあと驚愕でした。
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浦野所有
→11/01/30 竹谷レンタル →11/06/11返却
浦野レビュー - - - - - - - - - - - - - - -
本書を読んで、クジラ漁とイルカ漁がちがうということを知りました。自分の不勉強さを思い知らされた印象です。
それに映画『THE COVE』の撮影が盗撮で行われただの、何だという報道はさんざん聞かされましたが、それらも太地町の人々の暮らしを伝えるに十分なものではなかったということも知りました。
本書はサブタイトルにもあるように、著者の大学院生時代からのイルカ漁師との交流をもとに、熊野灘でどのような漁が行われ、それが地域の人々とどれほどの結びつきをもっているかを詳しくレポートしたものです。ところどころ説明不足に感じるところもありますが、イルカ漁の全体像を知るには十分だと思います。一読をオススメします。
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[ 内容 ]
捕って、屠って、感謝して、頂く。
映画『THE COVE』が描かなかった真実。
イルカ追い込み漁船に何度も便乗し、「おいちゃん」たちと15年間も交流してきた動物行動学者の“体験的捕鯨論”。
[ 目次 ]
イルカ追い込み漁(沖でのこと;浜でのこと)
太地発、鯨と人の400年史―古式捕鯨末裔譚
イルカを飼うのは「かわいそう」か?
捕鯨業界のこれから
鯨を食べるということ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ペリー来航にも捕鯨がかかわってるとは恥ずかしながら知らんかった。物事の見方は必ずしも一つじゃないから賛否両論あるのは当然だが、小さな町ののどかな暮らしを脅かす権利なんて世界中の誰にもない。
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タイトルの「ダメですか?」についての検討は、批判を「感情論」と片付けて(ま、シー・シェパードは正にそんな感じだけど)単純化するだけで頼りない。これでは、「鯨を特別視しなくても、捕鯨には動物愛護や保護の観点から問題にすべき点がある」とする論が、対象から抜けてしまう。納豆のたとえはあまりにバカバカしくて本を置きそうになった。
また、「捕鯨は日本の文化」ではなく「日本には捕鯨文化がある」という表現にならえば、「西洋には反捕鯨の文化がある」と見るべきなのに、著者は「反捕鯨は西洋の文化」的な図式にとらわれてはいないか?
しかしサブタイトルの「体験記」としては、太地町での15年に及ぶ地道なフィールド・ワークが実を結んでとても充実した内容。加えて捕鯨業界の歴史を概観でき、調査捕鯨の鯨肉についての扱いも地に足が付いた話で興味深く読める。
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20120306
太地町に対する思い入れからか、反捕鯨とは逆方向の感情論が感じとれてしまう部分もあるけど、フィールドワークに基づいた「イルカ漁」という行為の真実を伝える読み物としての完成度はとても高い。
読後に「水族館にイルカに会いに行きたい」「イルカとクジラの味を食べ比べてみたい」両方の感想を持ったもの(笑)
映画を先に見ていたら、イルカ漁に対して残酷なイメージを持ってしまったかもしれないけど、小動物を愛でる価値観もサルを食糧とする価値観も存在する世界で、特定の価値観を押し付けることを正義とは言わないよ。
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海洋動物の行動学の研究をしていた著者がイルカ漁をしている和歌山県太地町に水産庁の調査員として滞在、イルカ追い込み漁の船に同乗していた8年の体験を元に書いた「捕鯨」と日本文化についての本。
イルカとクジラの違いは大きさだけって知ってました?
「日本の文化」だから南極で調査捕鯨させろ、ではなく、そもそも地域性の強い文化だから近海で地産地消で漁をしてもいいじゃないか、漁の手法や解剖(解体とはいわないらしい)の技は文化だ(文化庁が護ってもいいくらいだ)という結論。
文章はそんなにうまくないし、生物学の理系の学者さんなので捕鯨の文献もネットで買える範囲だけど、太地町のイルカ漁をしている漁師さんやその周辺の仕事の人びととの15年におよぶ関係からの聞き取りは価値はあると思う。
・鯨肉は非商業的分配が多い
・鯨の生態系に対する知識が信仰によって強化されている
というのが、「観客がいなくても成立する神事に金を出す、観客でない者が求めるのは何か」という、ここ数週間の個人的な興味と近く、なるほどここか、という気づきを得た。
(ただ、私はそういう共同体に生まれてもそこでは生きていけないタイプの人間。鯨については「賢いから食べちゃダメ」とか意味がわからん派。)
余談:
漁協のイサムさんがマグロ漁師辞めた話がかっこいい。
40~50日家を空けるのがマグロ漁師、お連れ合いは看護師。夜中に急患で出勤したときに家に子どもを留守番させてたら病院までやってきたので、イサムさんが漁師を辞めることにした。
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自分は子供の頃、給食で鯨肉が出た最後の方の世代だが、正直、鯨肉にあまり思い入れはない。
ただ、欧米の「捕鯨禁止」の主張には、以前から理解し難いものを感じていた。
(ちなみに生物学上、イルカとクジラには違いはなく、大型のものをクジラ、小型のものをイルカと区別しているだけらしい)
2009年度のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した「ザ・コーブ」ではイルカの追い込み漁が批判的に描かれた。
が、著者によれば、ギリギリ、ウソはついていないものの、「ドキュメンタリー」というより「プロパガンダ」に近いものだと言う。
著者はイルカの追い込み漁が行われている和歌山県太地町に水産庁調査員として訪れたのをきっかけに、長年にわたり漁師達との交流を続けている。
本書は、その経験を元に描いたイルカ追い込み漁の体験記、および捕鯨の歴史についてと、捕鯨のこれからについて論じたもの。
当然、(自称)保護団体メンバーとの衝突についても触れられている。
地元の漁師達が口を揃えて嘆いている事は(自称)保護団体メンバーの「姑息さ」
基本的に「欲しくない」と言っている人にムリに押し付けようとしている訳ではないから、放っておいて欲しい、というのが漁師達の本音。
それでもしつこくつきまとう(自称)保護団体メンバーに「イルカをとって何が悪い?」と聞いても、彼らは正面から答えようとせず、何かの拍子に腕がぶつかったというような事があれば、大げさに痛がるフリをして「暴力を受けた」と騒ぐらしい。
(そもそも撮影している場所自体、一般人は立ち入り禁止の場所だったりする)
2011/7/2にフジテレビで放送された「渡辺陽一が撮ったこれが世界の「戦場」だ」という番組で、スタジオの中学生がシー・シェパード代表のポール・ワトソン氏に質問するコーナーがあった。
そこで中学生が
「クジラは獲ってはダメで、牛がいいのは、なぜ」
という趣旨の質問をしたところ、
「牛は海に住んでいない」
という回答が返ってきた、というのを思い出した。
この辺りから考えると、(自称)保護団体メンバーにとってはイルカ・クジラ保護は「科学」ではなく「宗教」なのだろう。
そのため、漁師達からの「なぜ、獲ってはいけないのか」という「論理」には太刀打ちできず、「感情」に訴える方法でしか対抗できないのでは、という気がする。
捕鯨を理解させるには、まずは、その違いがある事を認めさせる事から始めなければならないのかもしれない。
(もしかすると、ムリかも、という気もする)