紙の本
人間を知る集団
2009/05/24 18:28
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
企業は社会の代表的存在であり、企業は人間組織である。
企業とは何かと問うことは、社会とは人間とは何か問うことであり、
そこに終わりはない。終わりがないものでも始まりはおぼろげながら
見えてくるもので、近代社会における企業と近代企業における人間を
問う試みは、本書に源流がある。
本書で近代企業の代表例として取り上げられているGMが破綻の
危機に瀕して久しい。ドラッカー先生は企業の存続と成功の要因を
1.リーダーシップ、2.経営政策、3.意思決定と成果の尺度と
している。とりわけ、ごく普通の人間がリーダーシップを発揮できる
組織であることが重要と説いている。ごく普通の人間が組織への責任と
部下からの信頼を獲得することで、リーダーとして成長していくこと。
GMの分権制の狙いもここにあり、リーダーを輩出することが組織の
繁栄の条件であるという指摘は、今日でも最重要の課題だ。
分権制が機能するためのマネジメントとは、人にとって仕事は何であり、
成長とは何であるかを問うことにもつながる。組織への責任も部下からの
信頼も、実務を通じて醸成されていくもので、リーダーの成長もその
醸成と共にある。成長するかどうかの責任は自分にあるのかもしれないが、
組織への責任も部下からの信頼も、利他的な行動の結果として得られる
はずで、それは仕事というフィルターを通じて自分を取り巻く社会、
自分を取り巻く人間を見る視点が組織を繁栄に導くということであり、
ということは組織の繁栄とは、リーダーを中心とする組織内の人間が、
社会や人間をより深く理解していくということで、人間をよく知る人間
集団こそが、繁栄を続ける組織の前提ではないだろうか?
GMの今日の危機の本質を私はよく知らない。
ただドラッカー先生はこうも言っている。
「原材料はほかの原材料で代替できる。機械と肉体労働も代替できる。
しかし人間組織は何ものをもってしても代替出来ない。」
近代アメリカの代表的組織としてのGMの危機は、単にアメリカ社会の
経済問題ではなく、組織の中で働いて生きていく人間の姿をどう描くかの
問題なのだ。
本書は発行当時、分権制をこれからも機能させるための従業員政策の
提言がGM幹部に嫌われ、徹底して無視された。それから半世紀以上の
ときを経た今、企業に生きる人間の姿を見るとき、我々は本書を嫌った
GM幹部以上に、社会と人間に対する洞察力を深めてきたのだろうかと
静かに自省したい。企業に生きる人間が、人間というものをどのくらい
知ろうとしているのかと。
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戦後間もない1946年に出版された企業マネジメントの書で、『「経済人」の終わり』、『産業人の未来』とともにドラッカー初期3部作と呼ばれています。
本書の多くの部分は、超巨大企業GMのコンサルタントとしての分析によっています。依頼主であるGMのスローン会長からは覚えがよくなかったことでも有名です。GMの基礎をその分権制組織としてします。今のGMの状況を知って読むと時の流れを感じます。
マネジメントという分野を拓いた書とも言われていますが、そこらへんは『マネジメント』で花開いたと言えるかもしれません。
本書の中で決算期間を1年を超えて5年などで見るべきだとしています。今は1年どころではなく、四半期ごとに報告されていますが...どうなんでしょう。
1983年、1993年、2005年版によせられたまえがきを収めた付録も面白いですね。
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ドラッガー名著集を読んで4冊目ですが、一番理解が難しい本だと思います・・・。ただマネジメントが産まれた瞬間や、GMについて、特にエピローグは感動します。最後にエッセンシャル版を読んでドラッガーの旅を終わらせたいと思います。
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「まさに、機会の平等という正義、社会における位置と役割という名の尊厳を統合して実現することこそ、産業社会の代表的組織としての企業の最大の課題である。」
ドラッカーの指摘を無視したGMが今大変なことになっているから、その鋭さに感激、みたいなのは結果論だから無し。
さらに、1946年の時点で現在話題になっている企業の社会的責任を説いているから、その聡明さに感激。みたいなのも結果論だから無し。重要なのは、その理論の先見性ではなく、思考の積み方ではないだろうか。
ドラッカーには企業の運営にたいして崇高な考えがある。企業の目的は必要なサービスを提供することで、利益は経済的リスクに対する保険料のようなものという考え方だ。
企業は産業社会の代表的組織だから、完全雇用を実現するという形で、労働者に地位と役割を与えなければならない。完全雇用を実現するには、不況期において資本財生産を確保することが大事。不況時、政府はニューディール政策のような大規模公共投資によって雇用を創出しようとした。
しかし、政府機能が雇用の創出手段になってしまっては、政府自体の健全性が損なわれる。
企業は、不況時の雇用を確保するために、利益の一部分をまさしく保険料としてプールしておく必要がある。こんな感じ。
時代は右と左の時代で、ここにもドラッカーのナチスの全体主義、ソ連の計画経済嫌いが見える。
ドラッカーの書くとおり、企業は公益性に関わりがあるとするならば、公的資金の注入による企業救済を批判することができないのではないか。
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[ 内容 ]
組織が繁栄を続けるには、組織内の人間が、自らの能力を超えて成長できなければならない。
世界に先駆けて企業の社会的責任を説いた現代マネジメントの金字塔。
[ 目次 ]
第1部 産業社会は成立するか(企業が基盤となる産業社会)
第2部 事業体としての企業(事業を遂行するための組織;分権制の組織と原理;分権制をいかに機能させるか;社外パートナーとの連携;分権制はすべての答えか)
第3部 社会の代表的組織としての企業(個の尊厳と機会の平等;産業社会の中流階級;働く者の位置と役割)
第4部 産業社会の存在としての企業(企業の存続と社会の利益;生産活動の目的;完全雇用の可能性)
成功がもたらす失敗―エピローグ(一九八三年)
付録
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ドラッカーの著書の中で最も私がオススメする一冊。
といっても、オススメした所でなかなか手にとってもらえないので、私は、「最初のはじめに、と、最後の部分に、この本が刷新される都度、ドラッカー氏が寄稿している箇所があるからそれだけ読んで下さい。」と薦めています。ハッキリ言ってそれだけでも読む価値あり。
ビジネスでやり取りされる通貨は「お金」その事は変わっていません。であれば、何十年前のビジネス書であろうと、良著は良著、今日の本でも不用品は不用品。一度は読むと世界が変わります。
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リーダーの育成について
企業は製品の開発より
優れたリーダーを育成することを考える。
優れたリーダーのいる組織こそ
素晴らしい製品を開発できる。
専門に特化しすぎない。
リーダーはスペシャリストであり、
ゼネラリストでなければならない。
総合的な視点で組織を見る力をつける。
1946年にこの書籍を出して、
工場のライン生産の終結を物語る
ドラッカーの先見の明に脱帽です。
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第一章
大企業は社会に対してどのような役割を持つか。大企業のリーダーの行動は良くも悪くも社会を作っていく。それは大企業が社会を作っていく主要な役割を担っている。従って、社会に対して良い価値を提供していく義務がある。
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7月と8月の課題本は歴書だと思って読むことにしているけど、その第一弾ドラッカーの1946年の著書「企業とは何か」。この本は確か三作目で第二次世界大戦末期のGMの経営を内部から調べ、企業経営成功の要因を探ったもので、この本がその後の現代マネジメントへと続く根源と言ってもいいのでしょうね。
でも、本文は他の本を読んでいるとたいして興味深いものはない(^^;。もちろん書かれた年代を思うとすごすぎるのですが。あえて興味深ったものとして、企業の責務としての「完全雇用」と企業の社会的責任だろうか。
それよりもかなり面白いのが、最後の終章の40ページほど。付録が面白く楽しみっていうのは「学研」以来のことだ。
終章 成功を原因とする失敗エピローグ(1983年)
付録1 1983年版へのまえがき
付録2 1993年版へのまえがき
付録3 2005年日本語版訳へのまえがき
(三大付録つきっていうのかな)
特にこの本の提言に対してGMの3つの反論を書いた終章はすばらしい(^^)反論が素晴らしいということではなく、その記述が今となってはドラッカーの先見性を素晴らしくさらに際立ったものにしているから。
3つの反論とは次のようなもの。
1)GMにとっては経営政策とは原理であって恒久的たるべきもの
「GMを怒らせたのは、経営政策というものは一時的なものでしかありえず、常に陳腐化の惧れがあるというこの考えそのものだった。」
そうなんですよね。過去の成功体験をいかに捨てられるかは重要な経営政策なんだろうにね。
2)マネジメントの責任を工員に持たせることは工員に負担増をもたらす
「戦後の従業員関係の基本は、仕事と製品に誇りを持ちたいという従業員の意欲におくべきであり、労働力はコストではなく資源として捉えるべきである旨を提言した」
いまでこそ、こうした意見はよく耳にするけど、これが60年以上も前に唱えられていたということは、なかなか天動説から地動説への移行は難しいものであるということかな。
3)社会的責任などどうして考えついたのか?能力のないことを行うことは責任ではない。無責任である。
企業は公益にかかわりがあるとし、社会の問題にも関係をもたざるをえない。今なら周辺住民への健康などにかかわる被害を出す企業など1日たりとも存続できない状況である。
このように、今のとなってみればGMの考えがいかに適切じゃないかは理解できるのだけど、当時は無理があったのでしょう。日本の企業が参考にした本書を取り入れられないというのは、成功体験がいかにその後の変化に害を及ぼすかということの証明のようでもあった。
「GMがいかなるものになるにせよ、工場の現場において、今世紀前半の産業の象徴ともいうべき伝統的な組み立てラインが、遅くとも2000年には歴史の彼方に消えていることだけは間違いない」って書かれていたけど、組み立てラインどころか、(ドラッカーさんは亡くなってみることがなかったけど)GMそのものが破綻しちゃったんですけど・・・・。
「1983年版へのまえがき」にはこの本の中で一番気に入った言葉がある。
「いうなればGMは哺乳類における象ないし鯨ということになる。これに対し、明日を担う企業は人間ということになる。象や鯨はその能力の大きな部分を肉体の大きさから得る。人間はそれを頭脳から得る」
「2005年日本語版訳へのまえがき」には、IT革命により知識労働者の主役化をとき、「2020年、30年、今度こそ企業は大きく変わる」と締めている。
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マネジメントについて初めて記した書籍といっても良く、GMの内部を分析してまとめた内容になっている。ただ、この時点では完成ではないとドラッカーも言っている。企業は、事業遂行の面だけでなく、社会的な存在でもあり、産業界での存在意義もあるということ。近年のトリプルボトムラインの先駆的な指摘である。ただ、事業として、その中での分権組織を機能させるパートに力が入っていると思う。経営学に近い領域になって、読みやすくなった。
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「企業とは何か」はドラッカーが36歳のときの著作である。前作「産業人の未来」で、第二次世界大戦後、アメリカ中心の産業社会が来ることを予見したドラッカーは、一人ひとりの位置と役割に尊厳と正当性を持つことが社会には必要であるとの保守主義を基盤にして、大規模組織が機能する基本原理と、組織で働く人の位置づけについて、本書は書かれている。自由主義体制を基盤に持つ産業社会にとって、企業、特に大企業の存在は、社会的に大きな影響を持つ、企業の本質とは社会的存在であり、また企業は人間組織である。本書でドラッカーは、その当時のアメリカ最大の企業、GMを、企業の在り方を考える実例として取り上げている。更に、大企業が機能する原理として、分権制の基本原理を実例に即して語っている。第三部 社会の代表的組織としての企業 ~ 第四部 産業社会の存在としての企業 第三部から第四部の問題は、今日的には大きな意味がある。企業の経済的領域から社会と企業の関係について述べている。但し、企業と社会との関係は、GMには受け入れられなかった。なぜなら経営を経済の問題に限定して、原理と考える、その当時のGMのトップには社会的責任は受け入れられるものではなかった。この問題は大企業の通常業務を変更するときも、社会に大きな影響がある。例えば、日本の大企業が勤務体系を、フレックスタイム制にしたり、在宅勤務を増やすだけで、社会に影響がでる、また、採用方法を4月、一括採用から、通年採用に変更すると、大学、高校の入学時期まで影響がでてくる。更に企業が雇用する非正規雇用の人たちの処遇は、企業のなかで、正当な位置と役割が与えられなければ、社会、国家に大きな影響がでる。実例として、2008年の世界金融危機、以後の企業の、非正規雇用者に対する扱い、派遣切りは国家、社会に大きな影響を与えた。最後に大企業は、民間組織としての事業を追求し、経済的な役割を果たしながら、かつ人間的な価値を促し、国益に奉仕することが期待されているのである。
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大戦中のさなかにあってGMのインサイダー側からアウトサイダーとしての視点でみた経営者のあり方と社会との連携をはかるべきでるとの視点がよかった
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開いた口が塞がらない素晴らしさだった。
・「組織」に対するアプローチ。
・GMや、現代社会に対する予言
・企業の社会的責任
・なにより、1946年に書かれている
ドラッカーという人はどこまですごいのか。
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初版が書かれたのは1946年だが、現代でも十分通用する名著。
この本に書かれているGM(ゼネラルモーターズ)の組織は理想的に見えるが、GM自身はこの著作を敵視し、その後GMが落ちぶれていったことは興味深い。
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"ドラッカーの3冊目(1946年)。
前2作で、ファシズムの分析から、第2次大戦後の社会における企業の重要性を提案したことに続き、3作目でついに「企業」自体が分析の対象としてでてくる。
GMを内部で観察したことを踏まえつつ、経営学的に組織論を語るみたいな部分もあるけど、全体としては、まだ社会経済学者という立ち位置からの作品かな?あるいは、社会経済学から、マネジメント学(?)に移行する最中、マネジメント学が生まれる瞬間の作品か?
この作品の8年後に「現代の経営」がでて、ここではすっかり完成度の高いマネジメント論になっていることを考えれば、「企業とは何か」の今なにかが生まれようとしている感じは面白い。「傍観者の時代」と最初の3冊を読むことで、ドラッカーのマネジメントがでてきた思想的な背景が分かる。
ドラッカーは、スゴいけど、なんだかあまり好きになれない著者だったのだが、最初の3冊を読むことで、読めてくるものが変ってくる。
GMの事例をもとに、大企業のなかでの事業部制とか、企業内部での分権化を推奨(?)するなかで、分権化することで効率的になる場合とならない場合がある、という説明がある。が、問題は、経済的な効率性ではなくて、どちらがリーダーを多く育てるか、というのが最大のポイントであり、基本、分権化を進めるべきである、という部分に衝撃をうけた!市場経済がいいか、計画経済がいいか、ということを選択するのが、経済的効率性の問題ではなく、思想信念の問題であるように、分権化するかどうかというのも思想の問題である、と。。。
あらためて、ドラッカーの思想の中核は、「全体主義を繰り返さないためには、失業をなくし、人々が人間性をもって働けるようにしなければならない。そして、その役割を担うのは企業であり、その企業を普通の人がしっかりと運営できるようなマネジメントが重要である」ということにあると確認した。
一方、「経済の時代」は終わったというニュアンスが強かった前2作と比べると、経済成長や企業の利益の重要性、というか必要性が強調されてきているニュアンスもあり、戦時から平時に変る中で、現実的に機能するマネジメントを模索している感じもある。この後に続くマネジメントの本に比べると、試行錯誤的な部分もあるが、ここから何かが始まるという「始まり」の本なんだな〜。"