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『つながりの作法』読解のヒントを3つ紹介します
2011/10/17 13:58
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:喜八 - この投稿者のレビュー一覧を見る
綾屋紗月+熊谷晋一郎『つながりの作法 同じでもなく違うでもなく』NHK出版生活人新書(2010)読解のヒント3つを紹介します。
(1) 195ページで綾屋紗月さんが「アイツ」と書いたのは誰のことか?
(2) 熊谷晋一郎さんは自分の文体が嫌い。
(3) 執筆過程で綾屋さんと熊谷さんの意見が真っ向から対立した部分があった!
【1】 第六章195ページで綾屋紗月さんが「アイツ」と書いのは誰のことか?
→ ずばり、熊谷晋一郎さんのことです。この点は綾屋さん・熊谷さんに直接確認をとりました。またウェブで書くことの許可も得ました。
【2】 熊谷晋一郎さんは自分の文体が嫌い。
→ 自分(熊谷)は脳性まひという病気の特徴から身体中こわばって緊張しながらパソコンを打っている。無意識のレベルで「文字を打つ量」を節約がちになり、非常に分かりにくい、情緒性のない文章を書いてしまいがちになる。そのため人から誤解されることも多い。
【3】 執筆過程で綾屋さんと熊谷さんの意見が真っ向から対立した部分があった!
→ これに関してはジュンク堂書店ウェブサイト内の『綾屋紗月×熊谷晋一郎「つながりの作法」刊行記念トークイベント』映像をご覧ください(1時間14分ころ~)。
ビーケーワンではURL記載ができませんので "ジュンク堂書店 つながりの作法 映像" でインターネット検索をしてみてください。
以上、『つながりの作法』読解に少しだけでもお役にたちますようにと、3つのヒントでした…。
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近所の本屋にこのNHKの新書がなくて、出た頃すぐに図書館へリクエストしてたのがまわってきた。綾屋さんの本は、『前略、離婚を決めました』を読んだことがある。そしてお二人の共著『発達障害当事者研究』と熊谷さんの『リハビリの夜』はどちらもシリーズ「ケアをひらく」の一冊。残念ながら前者は近所の図書館に所蔵がなく(なんでや~)、後者は途中まで読んだところで返却期限がきてしまい、そのあと予約待ちの人が続いていて、続きがまだ読めず…(買うか?)。
アスペルガー症候群という診断名をもつからだで、"見た目にはわかりにくい"生きにくさをもつ綾屋さん。脳性まひという、"見た目、ばっちり障害者"のからだをもつ熊谷さん。二人それぞれの「つながれないさみしさ」「つながりすぎる苦しみ」、一見正反対のからだをもちながら「外界とのつながりからはぐれている」二人の経験を基に、「違いを認めたままつながる」作法を探った本。
このコンパクトな中に、べてる発の当事者研究のこと(←『「べてるの家」の当事者研究』)や、ダルク女性ハウス(←『その後の不自由』)の「言いっぱなし、聞きっぱなし」の場の話が、じっくり書かれている。
「ケアをひらく」のこの2冊は、それだけでもみっちりの本だが、この小さい新書には、その2冊分プラスαがこめられている、という感じ。入っている図は、『その後の不自由』にたくさんあった図のように、そうか~、そういう風に世界を経験しているのか~と思える。
▼個人の身体レベルにおいてもコミュニティのレベルにおいても、大切なのは「個人の日常実践」と世界や身体にモデルを与える「コミュニティの構成的態勢」との相互循環である。そしてこれらの循環を可能にする具体的な「つながりの作法」として、私たちは当事者研究の可能性に期待したいと思っているのである。(p.187)
3章で書かれている、多数派と異なる身体や経験を持ったマイノリティ(少数派)が「人とのつながり」という面で抱えてきた共通した生きにくさについて、「第一世代(過剰適応)」「第二世代(仲間と出会い連帯)」「第三世代(多様性を認めながら連帯)」と三段階に分けた整理は新鮮だったし、ものを考えていくときに役に立つような気がした。
いい本であった。買おうかな~
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すごい本。アスペルガー症候群と脳性麻痺という、他者とのつながりに極端に悩む2人の探検隊の冒険記だ。人の心と体の不思議の最前線からの報告だ。ほんの少しでも社会や周囲との関わりに辛さを感じている人は読もう。
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コミュニティーにおける同化圧力とそこからの逸脱に対する排斥的傾向というコミュニティーを形成するのと相反する性質を有する内在的な矛盾の克服がいかに可能かをお二人の経験をもとに描く。個人を判断し分類する尺度は必要であるが、尺度の形成に当事者としてコミットして行ける環境形成が不可欠である。
ともすれば自己目的化し、セクト化、分裂を招くことになるコミュ二ティー運営を成員のための組織にしうるかを考えるヒントぐらいにはなると思う。
しかし、若干焦点がぼけてしまっている感は否めない
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障害がどのようなものであるか、障害そのものにはどんな処方箋があるのか、と言ったことはこれまでに臨床を中心に考えられてきた。
しかし、当事者本人が自分についての理解、そして他者との違い、かかわり方=つながり方に気付く当事者研究という考え方は、すべての人々に適用できるものだと感じた。
障害のある、無しだけでなく、当事者研究の視点を取り入れて自分について、生活について、他者との関わりについて考えることはより適応的な生き方をしていくことに直結すると感じる。
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アスペルガー症候群と脳性まひ、というマイノリティの身体をもつ、綾屋氏と熊谷氏の二人の立場から「人とつながるためにはどうしたらよいか」という問いについて書かれた本。
「アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)」の特徴
1、相互的社会関係能力の限界
2、コミュニケーション能力の限界
集団での疎外感や空気の読めなさ
3、想像力の限界
4、自閉症と同じ症状を持つが、知的障害がなく言語も幼いころから話せる
あふれる刺激 = 感覚飽和
優先順位をつけにく
大量の情報を無視できずに感じっとってしまう
自身の内外の訴えをバラバラのまま感じ取ってしまう
運動のつながらなさ
外部と自分の動きの関係が読めない
e.g.,お茶碗運び、ドリブル運動、発生運動、パソコン操作
世界の崩壊
目の前に人がいても「つながり」を感じられない
多謝の表情や行動の同一性を見失う
物の位置の変化を見失う
自身の身体内の感覚を〃
痙直型脳性まひ
緊張しやすいので、一斉に筋肉が緊張する
幻想
過食嘔吐などでギャップを爆発させた
健常者幻想
パーフェクトな人間像を幻想して邁進してしまう
ギャップで緊張してしまう悪循環
厳しい社会幻想
母と子の密室幻想
つながり感を得る条件
アスペルガー症候群(つながらなさ)
過剰なつながりとつながらなさ
「差異の検出」と「全体パターンの検出」が同時に必要
脳性まひ(つながりすぎ)
外界で生じる差異を分節化して反応できない
仮説
密室をほどくこととと、密室を取り結ぶことの繰り返しこそが「差異」と「全体」の検出の両方を可能にし、つながりを与える
第一世代
自分がマイノリティと気付かずに社会から外されていると感じる時期
第二世代
病状認定
アスペルガー症候群の仲間たち
言葉を持たなかった感覚が承認される感覚
症候群への自覚
第三世代
互いの多様性を認め、仲間としてつながり続ける道を模索
アスペルガー症候群=見えにくい障害
脳性まひ=見えやすい障害
べてるの家の「当事者研究」(医学書院、2005)
「構成的体制」
所属するコミュニティの言語、社会制度、信念や価値観」という基本設定をいう(文化人類学者 大村敬一)
当事者研究とは、「わたし」が「私」のことを記述、解釈する実践
マイノリティの病を抱えた2人が人とのつながり方を考えた本であるが、人は誰しもマイノリティの部分を持ち、その糸口が見えずに悩んでいる部分がある。それを解きほぐす光明を見いだせる本でもある。
実際のところ、島国同一民族であるために日本はマイノリティに対して偏見を持っている。私自身も若くして地方の女性起業家(経営者)となったので、立場は違えど文化的に偏見の中で右往左往していたため、現在の女性起業家やジェンダー(男女の特性)の研究や支援をおこなっているといえるので、非常に参考になった。
以上
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pp.112〜113、p.123、p.163=回復とはある地点に到達することではなく、むしろ変化し続ける過程そのもの。
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山陽新聞2011.02.03夕刊。
《2人の声にじっくり耳を傾ければ、この問題が健常者と呼ばれる人々の世界の外にあるのではないことに気づくはずだ。おそらく誰もが何らかの形でマイノリティーであることにも。》佐藤淳子・ライター
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自分の特性に気づき、行き詰ったら臆することなく言葉にしてみる、自分だけではない、受け止めてもらえる。孤立することなく誰かと繋がることで一歩踏み出せるそれが大事。
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「アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)」という発達障害の診断名を得ている著者が、自分の中の「不確実で意味づけできない痛み」を当事者研究という手法で、他者と共有できる言語としてひとつひとつ拾い上げ、他者とのつながりを得ていく(発達していく)自伝である。
この発達障害の特徴は、社会の側から見ると、①相互的社会関係能力の限界、②コミュニケーション能力の限界、③想像力の限界と定義されているが、本人の感覚を丁寧に言語化すると、「どうも多くの人に比べて、世界にあふれるたくさんの刺激や情報を潜在化させられず、細かく、大量に、等しく、拾ってしまう傾向が根本にあるようだ」という表現になる。
モノや人がてんでんバラバラに統一感なく発している情報はもちろん、自分の身体の内部において、体の各部分が一致することなく勝手気ままに発している情報も、自分にとって大事かどうか、必要かどうかという優先順位をつけにくく、等しく感じとってしまい、情報の全体像を見失ってしまうというのである。
この発達障害と多少かかわりのある自分にとって、この定義は今まで見聞したどの定義よりもしっくり来るし、この障害とより深く「つながる」ことができるようになったと感じる。
そもそも、相互的社会関係能力やコミュニケーション能力の限界という言い方は「本人の特徴」のみを定義している訳ではなく、社会や相手の側に限界があるとも言えるはずである。おかしいのは「障害者」ではなく、その特徴が「障害として扱われる社会」の方かもしれないのだ。このことにはいつも敏感でありたいと思う。
著者の二人と「うつ病新時代ー双極性2型障害という病」の著者である内海健氏との鼎談も興味深い。http://igskankan.com/article/2011/08/000460/
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人間同士の関係と距離感を対立と差別でなく
対等で自在な自律する相対の関係で磨き合えれば
お互いに傷付くこともなくなるから傷付けることも起こらず
安心して切磋琢磨しながら共存することができる
アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)と診断された綾屋と
痙直型脳性麻痺による身体障害者と診断される熊谷の
二人のマイノリティが出合うことで「当事者研究」が始まり
共同戦線を張っているマジョリティー(多数派)と対決することなく
つながるための研究とその方向性にたどり着くまでの過程を
克明に描き出している本である
結果としてこの研究はマジョリティーどうににおける距離感にも
通じる一般性のある答えだということが見えてくる
そこには健常とか普通ということの意味の傲慢さと
危うさからなる不安と自己防衛本能による暴力が存在する
これを克服するには部分の差異を知って認めることと
距離感を捉え全体観を客観的に見る視野の広さの両立が必要になる
例えば自閉症の特徴とされる相互的社会関係能力の限界と
コミュニケーション能力の限界と想像力の限界の三つが定説とされているが
このどれもが多数派の健常者と自称する人々にそのまま当てはまることでもある
違うのは損得勘定という餌でも融通がきかないことである
枠を作ることと連帯することの矛盾をさておいた上で語るコミュニケーションは
一方的でナンセンスである
この本が主張する「社会の流動化」がすべての人を傷付けているのだと私には思えない
流動化が競争を舞台とする不自然な環境でに行われているのが問題なのであって
個人個人の創意から成る自然な流れならば
その波に調和することで自分を表現しながら発見を遊び創造する事ができるだろう
安定はステーブルによって得られるものではなく
回転して連載て流れている今を冒険によって生きること得られるはずであると
私は確信している
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図書館で借りて1回読んだけど、落ちついて、またゆっくり読みたいから買おうかな。いい本なのに地元図書館がこれを持っていないのは問題だから、地元にリクエストを出そうかな。
マイノリティが人とつながるための3段階の話は、障害の有無に関係なく役立ちそうです。有形無形のたくさんの集団に属して私たちは暮らしており、そのどこでいつマイノリティになるかわからないのですから。
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コミュニケーションについて新たな視点や考え方をもらえる良書。
新書なので読みやすいが、書かれていることは深い。
健常者ではない2人の著者による共著だが、健常者が読んでもむしろ健常者こそ読むべきだと思う。
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アスペルガー症候群と脳性マヒという障がいをもつ二人の世界や人とのつながりについて書かれている。正直、当事者でない私にはピンとこないところが多い。ただ、脳と身体の関係や感覚についての記述は納得する部分も多い。書き出し「はじめ」の部分である、「同じ部分」と「違う部分」を認識するということが、やはり一番大切ということか。健常者、障がい者含め人はそれぞれ一様ではない。そこから「つながり」がもてれば、ある意味「壁」はなくなる。
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ある方からお借りした。
かなり興味深い内容だったので、注文。(地方都市の本屋には、残念ながら在庫がなかった……)
綾屋さんの本は『前略、離婚を決めました。』も違う方からお借りして読んだが、合わせて購入に値する本だと思う。
発達障害を持つ綾屋さん、脳性まひを持つ熊谷さん共著で、それぞれの視点からのコミュニティに対する考えが読める。
影響し合い、まとめられた二人の意見は大変参考になる。