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最後の問いかけが心に残りました
2020/10/27 18:11
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投稿者:孝ちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
石井光太さんの本は読みやすくて何冊か読んでます。
この事件はとても印象に残ってて石井光太さんが著者ならぜひ読みたいと思って読んでみました。
殺害された遼太くんは私の息子でもおかしくない年齢です。(かなり早く生んでればですが)
そのせいもあり、なぜ殺されなきゃいけなかったのか?なぜ大人がもっと守ってあげられなかったのか?と事件当初は怒りを感じていました。
そんな事は世の中の沢山の人が思った事だと思うのでこれ以上自分の感情は書きませんが、エピローグで石井光太さんが最後に遼太くんへの問いかけた言葉が心に強く残りました。
私ももし遼太くんに問いかけられるなら同じ言葉をかけたいと思いました。
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投稿者:タタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
このジケンハ辛い事件で犯人について知りたいと思いましたが、ネットの怖さみたいなものも、考えさせられました。
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こんなに読むのが辛い経験は無い
2020/04/13 18:16
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投稿者:み - この投稿者のレビュー一覧を見る
「鬼畜の家」その他、今までの石井さんの本は犯罪に手を染めてもその人の家庭や環境でほんの少しの情状酌量の余地があったと思うし、物事の色んな側面を見知ることの大事さを気付かせてくれた。でもこれは絶対に駄目だ。 どれだけ加害者の立場が表面化されたところで許される事は微塵も無い。それにこれだけの事をして数年で娑婆に出ることも胸糞悪い。
相手が拒むのだから記事にしようもないけれど、被害者の母親側の意見がないので父親側の目線が強く、どうしても気になる。どこまでも希望は無く読破感は無い。
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
本当に残酷で悲惨な事件だった。犯人たちは、嫉妬から被害者の男の子を殺したような感じで、本当にクズ野郎。
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加害少年達も、過酷な家庭環境で育ってきたことがわかるルポ。加害の背景に差別や暴力、虐待がある。遼太くんの命を奪ったことは取り返しがつかないけど、罰して終わりにはしてほしくない。加害少年達の家庭にも被害者である遼太くんの家庭にも、たくさんの綻びがあり、どこかでこうなる前に防げたのでは、と思ってしまう。そうして教訓を生かしていくことくらいしかできない。
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他人事だからとか、関心がないとか、つらすぎて読みたくないとか言う理由でこの作品から遠ざかる人もいるだろう。
それはその人の自由である。
でもできるだけ多くの人に読んでもらいたい。
読むのがつらいと言って逃げないでほしい。
私たちはあまりに社会の表面的なことしか知らない。メディアは組織の不祥事や芸能界のスキャンダルばかり報道しているが、もっとメスを入れなきゃならない部分があるだろう。
エリートと社会からはみだした者たちの二極化が進むことに大いに危惧を感じる。もっと大人たちは真剣に今の若者と向き合うべきだと思った。
そして私たち大人がこの事件の重大性を深く受け止めなければ、上村くんのような第二第三の犠牲者が出てくるに違いないと戦慄を覚えた。
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購入済み
2023.07.16.読了。星による評価はあえてなし。
いじめ、差別(マウンティング)、無責任な離婚……諸悪の根源。
事件は、川崎という土地柄には関係ない。外国人だろうと日本人だろうと関係ない。すべては人それぞれの信念と人間性。
と、私は感じた。
あとがきで著者の考え方の偏りも感じた。
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記憶に新しい川崎の事件。あまりに凄惨な殺害の状況に、読んでいて胸が苦しくなった。ご遺族がこれを知ったら、終盤に記されているような心境になるのも無理はない。その辛い苦しみは、当事者でなければ到底感じ得ない厳しいものであることは想像に難くない。
罪を犯した者がたとえ少年であれ、罪は罪として、しっかり刑罰を受けなければならないことに反論の余地はない。それでも、加害者となった彼らが、なぜそういう道を辿ってしまったのか、そこに焦点を当て解明しようと努力することも忘れてはならないと思う。
生育歴から、人を信頼し人間関係を築く術を学ぶことができず、自分を受け止めてくれる心の拠り所も居場所もなかった彼ら。おそらく彼らを育てた両親も、その生育歴のなかで似たような問題を抱えていたはずだ。この問題は世代連鎖しやすく、時に人として道を外れてしまう原因の一つに充分なり得る。社会の中で真っ当に生きていけるだけの人間関係を構築する能力を育む環境が、あらゆる人に不可欠である。家族の社会適応能力、家族関係や経済力、教育、さらに学校や地域など家族以外の身近な大人の存在等、生育の環境は、本人の元々の性格に加えて様々な要素が複雑に絡み合い、人としての成長に影響を及ぼす。どうやったら適切な環境を担保できるのか、そのために何をしなければならないのか、社会保障制度の問題、教育の問題、コミュニティのあり方や一般市民の意識など、様々な視点からこの問題を捉えなければならないだろう。
今の社会では自己責任論や厳罰化の風潮が強いが、私にはそれは間違っていると思えてならない。犯罪の責任を個人に負わせるだけでは何の解決にもならない。その根底に存在する、個人の努力だけでは解決できない社会構造の問題をどうにかしない限り、同じようなことがまた繰り返されてしまう可能性は否定できない。
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この本を読んで、一般のメディアや週刊誌での表現は浅くて表面的なものだと知った。
ただのいじめっこ・いじめられっこの関係でない。
望みの持てない家庭環境に置かれ、拠り所を家の外に求めた。彼らの理解者となれたのは学校ではなく、同じ境遇にある彼らの集まりだった。
どんな境遇にあったにせよ、人の命を奪った罪の重さが変わるわけではない。ただ、きっと結果として起きた事件に至るまでの過程で、小さな罪が積み重なっている。その罪の罰のすべてを、最終結果の加害者だけが背負っただけでは何も解決しないのだとおもう。
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真実は1つだが、それぞれの見解が違う。まだ若い命が、こんなくだらない理由で散ってしまったこと、社会の闇に沈んでいく気分だ。人を育てるとは…と考えてしまう
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船戸結愛ちゃん虐待死事件に怒りがおさまらなかった。
同じ怒りを感じたのが、2015年の上村遼太くん殺害事件だった。
本書の著者・石井光太氏の本は以前読んだことがあった。
ギリギリの取材を重ねて書くジャーナリストである。
上村くん事件の本は他にもあるようだが、著者への信頼から本書を購入した。
2015年2月20日未明、上村遼太くんは3人の少年によって43回も刺され、2回川を泳がされ殺害された。凍える身体と朦朧とした意識の中で、多摩川の河川敷を23.5メートルも這って生きようとした。
この事件の背景を知りたかった。
加害者はどういう生い立ちなのか。上村くんはなぜ殺されたのか。殺害までの経緯を知りたかった。
この事件は、社会からこぼれてしまった少年が、その喪失感を埋めるように、同じような生い立ちの年下の少年を殺したものだった。「社会からこぼれる」といっても、その発端は家庭にある。上村くんの両親も離婚し、母親は新しい恋人をマンションに引き込んでいた。加害者である少年Aは体罰といじめ、少年Bは離婚と貧困といじめ、少年Cは放任の中で育っていた。4人とも家庭環境が悪すぎる。
しかし、人を殺す理由にはなるはずもない。上村くんが殺される理由にもなるわけがない。
加害者の3人は悲しいほどコミュニケーション不在であった。信頼できる人がいない。信頼ということが分からない。人間は人の間でしか生きられない。人間関係の中でしか自分を保てない。その空虚を埋めるには、弱い者の上に君臨するしかないのだ。まるで、弱肉強食の畜生のように。
船戸結愛ちゃん虐待死事件の構図も同じように思えてならない。逮捕時、父親は無職であった。
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加害者も被害者も寂しさを感じていたのかも。だとしても犯罪は許されることではない。寂しさを乗り越えて成長している人はたくさんいるのだから。
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事件の詳細を知るのは辛く苦しく涙がとまらなかったけれど、石井氏のルポは信頼がおけるので、この事件を多角的に見つめるための材料として熟読できた。被害者、加害者、家族、とりまく環境、、さまざまな要因があるなかで、この凄惨な事件を未然に防ぐ術はなかったのか?なぜあんなにも残虐になれるのか?ADHDという障害で許されることがあるのか?友だちとは?家族とは?寂しさを埋める為に共に過ごした仲間に惨殺された無念は?なぜ?の嵐が止まらない。ただ、大人たちがもう少しずつでも彼らに親身に接していたら、事態は変わっていたのかも…と、思うと他人事ではない。子供たちを変えるのも守るのも、私たち大人の努めだから。
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43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層。石井光太先生の著書。このような悲惨で残虐な事件がなぜ発生してしまったのでしょうか。家庭環境の問題で特殊な事件と上から目線で結論付けてしまうのは簡単なことだけれど、日本の子どもたちの教育環境を改善しないと同じような悲劇がいつ繰り返されるかわからないと思います。
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自分とは無縁なはずの一少年事件なのに、なぜか深く心に残った(当時はISISの処刑を真似たという言説も流れ、これも衝撃的だった)。ついこの前まで小学生だった、地方から来た明るい少年がなぜこんな凄惨な死を迎えなくてはならなかったのか…。
父親もずっとこの「なぜ」を問うている。母親(元妻)の管理の甘さ、加害少年の親の放任、保護観察制度の不十分さ、更生プログラムへの疑問…。世間で言うところの土地柄説は、父親自身が川崎で生まれ育った体験から、外国人の多さや混血を凶悪事件に結びつける短絡さをわかっている。
結局、父親は「運の悪さ」という言葉で納得させようともしている(むろん加害少年たちへの怒り、非難は痛烈なものがある)。しかし、この本から私が感じたのは父性の喪失が生んだ悲劇ではないかということである。
父親も「なぜ」の1つに挙げているが、遼太君は4〜5歳も年上の少年グループに加わっていた。何もこれが父性の代わりというわけではないが、同性の目上のワルの先輩というのは思春期に出会えば怖さと裏腹に引かれるような存在だったろう。
残念なのは、身近にこうした不良グループとは対極にある男性・父性の存在がなかったこと。何も“親”でなくてもいい。
これから心も体も成長するであろう遼太君の前に、学校においても、家庭でも、そうした存在がなかったことが何よりも悲劇だ。
西ノ島時代はその人なつこい性格で、目上からも可愛がられていた少年。川崎に移ってからも得意のバスケで女子からの人気もあった少年。
不登校になり荒んだ生活を送りながらも、彼の持って生まれた性格や明るさは損なわれなかったのだろう。その魅力が、逆に加害少年達の怒りや妬みを買ったのかもしれないと思うと、本当にやりきれない。