紙の本
哲学的示唆に富む科学論
2008/09/30 23:44
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「今日われわれは、科学はその頂点に達したように思いがちである。しかしいつの時代でも、そういう感じはしたのである。その時に、自然の深さと、科学の限界とを知っていた人たちが、つぎつぎと、新しい発見をして科学に新分野を拓いてきたのである。科学は、自然と人間との協同作品であるならば、これは永久に変化しつづけ、かつ進化していくべきものであろう。」
このような言葉で結ばれた本書が出版されたのは、昭和33年。この言葉通り、その後の自然科学は、分子生物学、宇宙科学、情報科学などあらゆる分野でめざましい発展をとげた。そして、今もこの言葉の真実性は失われてはいない。
タイトルの通り、本書は実験・観察・理論といった科学の方法を素人にもわかるように論じたものである。著者自身はこれを、哲学的な意味での方法論ではないとしているが、それでも哲学的示唆に富む内容となっている。
たとえば、科学が対象としうるのは再現可能な存在のみという議論に関連して、幽霊が科学の対象とはなりえないことの根拠が論じられる。「再現可能というのは、必要な場合に、必要な手段をとったならば、再びそれを出現させることができるという確信が得られることなのである。幽霊はそれを再現させる方法について、確信が得られない。」なるほど、幽霊の出現が確実に予想できたら、それは幽霊ではなくなってしまうだろう。不確定で神出鬼没な存在だからこそ、われわれは独特の恐怖と神秘とをもってそれを幽霊と認識するのだ。上の記述は、逆に幽霊という現象の本質を開示してくれたような気がした。
本書ではまた、科学的認識というものを、自然の中に埋もれた「真理」を掘り起こす作業ではなく、むしろ自然と人間の協同作業であるととらえている。すなわち、ニュートンの万有引力の法則であれアインシュタインの相対性理論であれ、あらゆる科学理論は、それ自体絶対的な真理を人間にもたらすものではなく、自然現象を人間の認識に合うよう構築しなおしたものにすぎないというのだ。人間の認識能力が真理そのものを捉えることができないというこの主張は、悲観的な考えに映るかもしれないが、決してそうではないと私は思う。むしろこのような視点こそが、人間を謙虚にし、科学を盲目的に信奉したり、逆に極端な懐疑へと陥ることを防いでくれるものではないか。
本書でとりあげられる自然科学各分野のさまざまな題材にもまた強く惹きつけられる。たとえば、物質とエネルギーが究極のところでは同一であるという相対性理論から導き出された自然観。生物の科学についても、哲学者ハックスリの議論を援用しながら、生とは死とは何か、あるいは生物における個体とは何かについて考えさせてくれる。特にクラベリナーという奇妙な生物についての話はおもしろく、興味は尽きない。
しかし、本書において碩学中谷宇吉郎が何よりも示したかったことは、次の問題ではないかという気がする。すなわち、科学は何ができるのか、そして何ができないのか?カントが理性について吟味したように、彼は本書において、科学の可能性と限界とを明らかにした。そして、現代に生きるわれわれに、科学の力を過信したり、その成果に満足することなく、常に謙虚かつ前向きに進むべきだと、教えてくれているような気がする。その意味で本書は、自然科学を志す人だけでなく、広く教養を身につけようとする人にとって必読の書であると思う。
紙の本
わかりやすい
2018/07/31 06:37
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投稿者:ドングリ - この投稿者のレビュー一覧を見る
科学は決して万能ではないということがよくわかった。理系でも知らない内容が多かったので非常に参考になった。
紙の本
科学の方法
2021/05/03 21:33
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投稿者:イ! - この投稿者のレビュー一覧を見る
科学とは何かということを教えてくれる良書である.科学一般,問題の解き方,向かい方についても書かれている.
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「科学には限界がある」それを知ることの重要性について書かれている。1958年に書かれたとはとても思えない。理系だけでなく、すべての大学生が読むべき本だと思う。
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科学には方法論としての限界がある、ということを教えてくれる。言われてみれば当たり前のことだが、しばしば科学至上主義に陥りがちな文系出身者としては、心に留めておきたいメッセージだ。
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科学がどのようにして進むのか,人間の頭の中で考えられた数学がどうして自然の研究に有効であるのか…。物理学ベースですが,平易な言葉で悠々と書かれています。しばしば「古い」ということを理由に批判する人がいますが,数学も古いわけで…。まともな科学者なら「古いから」なんていう理由はあり得ません。古さ・新しさ,いわゆるfadは科学の本質ではないでしょうが,人間の営為である以上,本質的でない側面が入ることも仕方がないのでしょう。結局のところ,そういう非本質的側面で振り回したり振り回されたりしないように心がけることが肝要ではないでしょうか。
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[ 内容 ]
人工頭脳,原子力の開発、人工衛星など自然科学の発展はめざましい。
しかし同時にその将来のありかたについて論議がまき起っている。
著者は、自然科学の本質と方法を分析し、今日の科学によって解ける問題と解けない問題とを明らかにし、自然の深さと科学の限界を知ってこそ次の新しい分野を開拓できると説く。
深い思索の明晰な展開。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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科学は再現できることが重要だという。
しかし、ビッグバンや、将来起こることの予測は、再現できるとは限らない。
1度しかおきない可能性のあることも、事前に予測し、それがおきれば、
そのための道具として有用だと思う。
道具として数学を使うあたりが、科学の肝ではないか。
抽象的にまとめることによって、常に真でありつづける学問。
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科学の限界について成り立ちや定義から解説する本。これは面白いです。例えば統計を取る必要性、誤差が存在することの気持ち悪さ。そういった今まで自分の中に溜まっていた科学に関する疑念や不安感をわかりやすい形にして説明されていました。科学は絶対的な存在ではなく、あくまで人間が自然を分析することで考えられた正しいであろうものを集めて、都合のいいものを使っているという説は新鮮でした。知識量は高校の授業+α位なので大学生にオススメ。ただこの本が出版されたのは約50年前。誰か現在の科学に沿った改訂版を書いてくれないかな。
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請求記号:404ナ
資料番号:010786242
宇吉郎は、この本の全体にわたる基本的な考えは、寺田先生の『物理学序説』に負うところが多いと書いています。
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頂いた本。
科学とは自然世界の切り取り方の一つにすぎず、多くの仮定の上に成立した「非現実的」な概念であることや、科学の役目・限界について再認識することができた。
古い本だが、今日の科学に対しても、振舞い方は不変だと思う。
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科学の限界◆科学の本質◆測定の精度◆質量とエネルギー◆解ける問題と解けない問題◆物質の科学と生命の科学◆科学と数学◆定性的と定量的◆実験◆理論◆科学における人間的要素◆結び◆茶碗の曲線
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理科離れというものがある。
実態は詳しく知らないが、うぃきによると
理科離れ(りかばなれ)とは、理科に対する生徒・児童の興味・関心が低くなったり、授業における理解力が低下したり、日常生活において重要と思われる基礎的な科学的知識を持たない人々が増えていたりすると言われる一連の議論である。科学的思考力や計算力の低下により、特に高等教育において授業の内容を理解できない生徒が増え、専門的知識・技能を有する人材の育成が難しくなることが問題として指摘されている。
一般的に科学技術が発展している国ほど市民の科学的思考力が低下しているとの指摘もある。これは科学技術が高度になり複雑化するにつれてブラックボックス化し理解しにくくなっているという側面もある。ただ、日本では、一般市民の科学リテラシーが先進諸国と比較しても極めて低いことが指摘されている。
ということらしい。
理科離れしても生きていける良い時代になった、というところが実態なような気もする(森博嗣風)。
理科離れがあるとして、その主な原因としてというものを考えてみると、上記のような科学技術の高度化によるブラックボックス化と、科学について勉強したってもう良いことなんかない、という幻想の2つが主なものだろうか。科学の全盛期は過ぎた、あるいは自分が勉強しても追いつけないだろうという幻想である。
この二つに対して「科学の方法」はこういう。
p22 “科学が発見したものの実体もまた法則も、こういう意味では、人間と自然との共同作品である。”
p158 “今日ほど科学が進歩しても、まだ我々の知らないことが、この自然界には、たくさん隠されているということは、常に頭に入れておいて良いことである。”
p196 “しかし自然科学は、人間が自然の中から、現在の科学の方法によって、抜き出した自然像である。自然そのものは、もっと複雑でかつ深いものである。従って自然科学の将来は、まだまだ永久に発展していくべき性質のものであろう。”
こういわれるとなんか元気でる。
科学が人間と自然との共同作品と考えると、作品であれば俺でも作れそうなんて単純に思えてくる。
まあ前半は主に科学の限界の話なので科学万歳ってわけでもないんだが。
理科離れに嘆く人、理科離れしたっていいじゃんと開き直る人に読んでほしい一冊。
目次
1.科学の限界
2.科学の本質
3.測定の精度
4.質量とエネルギー
5.解ける問題と解けない問題
6.物質の科学と生命の科学
7.科学と数学
8.定性的と定量的
9.実験
10.理論
11.科学における人間的要素
12.結び
付録
茶碗の曲線
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高校生の頃、読みました。
受験勉強から離れて、久しぶりに読むと新たな発見があり、心が開かれる気がしました。
良い本だと思います。
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「科学的である」とはどういうことか、についてのエッセイ。
かなり古い本のため、現在分かっていることとどれくらい合っているのか
分からないが、現代物理学の基礎になった重大な発見の周辺の
エピソードは、有名な内容だが、何度読んでも面白い。
本書の大まかなメッセージは、
科学は再現可能であることが必要である、ということで、
再現が難しい事象については適用しにくい。
統計手法によって、全体としての再現性は得られたが、
一つひとつの挙動については今の科学では解明できそうもない。
だが過去にも科学者は制約の中でさまざまな発見をして
知識を深めており、まだまだ未解明で残された領域についても
少しずつ知識を深めていくに違いない。
…という内容。
エッセイなので、科学の方法について厳密に論証しているわけでもなく、
また著者自身も特にこれだという考えがなさそうである。
だがそれが逆に、自分でニュートラルに考えることができてよかった。