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電子書籍
脳死・臓器移植の本当の話
著者 小松美彦
「脳死者は臓器摘出時に激痛を感じている可能性がある」「家族の呼びかけに反応することがある」「妊婦であれば出産できる」「19年間生き続けている者もいる」――1997年に「臓...
脳死・臓器移植の本当の話
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脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書)
商品説明
「脳死者は臓器摘出時に激痛を感じている可能性がある」「家族の呼びかけに反応することがある」「妊婦であれば出産できる」「19年間生き続けている者もいる」――1997年に「臓器移植法」が成立して以来、日本でも脳死・臓器移植は既成事実となった感が強い。ところが近年、脳死を人の死とする医学的な根本が大きく揺らいでいるのだ! 本書は脳死・臓器移植の問題点を、歴史的、科学的に徹底検証。報道されない真実を白日の下にさらし、「死」とは何か、「人間の尊厳」とは何かをあらためて問い直す。68年に行なわれた和田移植、99年の高知赤十字病院移植の綿密な比較検討から浮かび上がる衝撃の新事実に、読者の目は大きく見開かれることだろう。読者の道案内役をつとめてくれるのはサン=テグジュペリ作「星の王子さま」。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ」という言葉が問題を解くカギとなる。
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紙の本
「人間の尊厳」とは、いかなる状態であれ「あなた」と呼べる者がただそこに「いる」ことに思えてならない。(p403)
2004/06/16 12:25
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:趣味は読書 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の小松美彦氏は脳死・臓器移植反対論者として有名で、
著書である『死は共鳴する』は脳死関連の本の中で度々引用されている。
この本は、前著と違い科学的な議論に重点を置いた啓蒙書であるが、
読後に深い余韻を残すという意味で全く稀有な一冊である。
新書という体裁を取りながら、通常の2倍の400ページのボリューム
をもち、しかもその中で1ページとして無駄な記述はないと思える程
驚くべき高密度の議論が展開される。
それはもはや、新書にお決まりの入門的解説書の域をはるかに越えた
本格的な単行本一冊の内容を備えている。
その上かなり専門的な領域に踏み込んでいるにもかかわらず、
平易かつ著者の熱い思いの伝わる文章と、次々に明らかにされる
驚愕の事実によって、最後まで一気に読まされる。
圧巻は第六章で展開される、臓器移植法成立後の第一例目の心臓移植
となった高知赤十字病院移植の驚くべき実態である。
あれだけ世間の注目を集めた、いわば衆人環視の第一例目の移植が
なぜこれほどまでに杜撰だったのかと愕然とする。
今後、移植推進論者にはこの本で提起されたすべての問題点に、
誠実に答える義務があるのではないだろうか。
しかしこの本は、終章まで読み進んだ時全く違う様相をみせることになる。
著者の意図は、単純な脳死・臓器移植反対という政治的立場の表明には
なかったということが最後になって理解できるのである。
このことは、あとがきの冒頭3行に書かれているのだが、その意味は
読み終わって初めて納得できるのだ。
著者の目は、脳死・臓器移植を越えてもっと遠くをそしてもっと深みを
見つめているのである。
テーマが難しそうだとか硬そうだとか、ページが多そうだといって
敬遠しないで欲しい。楳図かずおからの引用があることからもわかるが
著者の緻密な論理の展開のうらには、熱い思いがかくされている。
決して理論で相手を打ち負かそうとして書いているのではない。
理論書でありながら、読んだ後に1編の小説のような深い感銘を残す
そんな本である。できるだけ多くの人に読んでもらいたい。
紙の本
ドナーカード記入はこの本を読んだ後で。
2004/09/02 05:13
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「「看護婦たちは本当に心底動揺していますよ。[脳死者に]メスを入れた途端、脈拍と血圧が急上昇するんですから。そしてそのまま何もしなければ、患者は動き出し、のたうち回りはじめます。摘出手術どころじゃないんです。ですから、移植医は私たち麻酔医に決まってこう言います。ドナー患者に麻酔をかけてくれ、と。」
(本文より)
帯には「脳死者は生きている!」と書かれている。一部の読者には衝撃的であったり反感を抱かせたりする文言であるかもしれないが、この表現は医学的にはまったく事実であり、また現行の「臓器の移植に関する法律」の内容とも矛盾していない。
(臨床的な診断の後の)法的な判定に基づく「脳死」臓器移植は一九九九年の高知から始まったわけだが、わたしたちは今までどのくらい「脳死」に思いを馳せ、どのくらい正確に事態を把握して来たのだろうか。今後国会に「臓器移植法」の改定案が提出されるときまでにわたしたち有権者や国会議員は「脳死」を本当に正しく把握することができているのか、そして本当に正しい判断をすることができるのか。
小松氏は、いままであまり問題にされていなかった「脳死」臓器移植後のレシピエントの生存率や、第一例目で実施された「脳死」判定の過程の妥当性、そもそも現在の判定基準で「脳死」を正しく判定できているのかどうかなど、いろいろ厄介な問題が「脳死」のまわりに山積しっぱなしであることを指摘する。その上で、ではなぜ「脳死」臓器移植がさまざまな機関やさまざまな立場から推進されているのかについて、独自の分析と考察を披瀝する。その中で冒頭の引用文や「ラザロ徴候(兆候)」が紹介され、和田移植なども適宜検証されていく。
TVや新聞など各メディアでは「脳死」臓器移植はもはやニュースにもならないらしい。しかし言葉を連呼していればいつの間にか内容が理解されるわけではないし、ましてやマスコミの報道熱が冷めることと我々が理解することとが同義であるはずもない。知ってるつもりの大きな誤解や「死んだ後のことだし人の役に立てるなら」という素朴な善意だけを前提にして臓器提供意思表示カードを所有するのはあまりおすすめできない。お願いだから、せめてこの本を読んだ後にして‥‥。