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佐野洋子さんのエッセイは、何を読んでも、何回読んでも面白い。しかも今回は、谷川俊太郎さんとのインタビューが中心。面白くない訳がない。
「友だちは、無駄である。」
「でも、無駄なことが、どんなに大切か。」
彼女のメッセージが、胸に響いてくる。
中高生向けに企画された本らしいが、大人にだって、充分に面白い。だって、私を含め、それを忘れてしまっている(判っていても、ついつい、余計なことを言ってしまう)大人は、結構、たくさんいるもの。
中高生向きということで、いつもより毒気が少なかったので、★を1つ減らしてみました。
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タイトルとはまったく逆の内容。聞き手の谷川俊太郎さんに対して佐野さんがあの口調でばりばりお話をするというスタイル。友だちは年月が大事とおっしゃる。長さには関係ないという結論に至りつつあるわたしには少々共感しかねる部分も。
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体験からそのままでてきた友情論。友だちは何の役にも立たないから無駄だという。
深い。
たしかに、友だちを何かの手段に「使って」はいけないのだ。何かに「使う」ようでは友だちとは言えない。
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この本は、友達は無駄ものだと言っている本です。この本では、友人はお金になるわけではなく、社会的地位向上に役立つものでもない。すぐには役立ちそうもないし、何に使ったらよいのかもわからない。能率や成績や進歩にも直接かかわらない。そういう意味で無駄である。友達なんていなくてもいいけれど、ともに持つ無駄な時間にこそ意味がある。と書いてあります。僕も、この本をよみ書いてあることに納得してしまいました。確かに友達が多くいてもお金はてに入らないし、自分にとってどういうメリットがあるのかもわからないけど、友達と過ごす楽しい時間には、ものすごく価値があると思いました。ぜひ、読んでください。
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友情って何?
友達って本当に必要?
「友だちは無駄」と言い切った大胆なタイトルの裏に隠された、繊細で柔らかい佐野さんの子供時代。
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佐野洋子さんの本。
対談、エッセイに近い。インタビュアーは谷川俊太郎さん。
(な、なんて大御所…!言葉の魔術師が2人も…!)
過激なタイトルに惹かれて読了です。
佐野さんの人生観、友達観が語られています。
友達は何の役に立つわけじゃない、
利益や向上に役立つわけじゃない
(もしそれがあるとしたらその時からそれは友達じゃなくて仕事で)
ただ無駄な時を過ごし共有するものだ…
豊かな人生経験があってこその価値観、といった内容。
さすが佐野さん。
児童書ですが、文字は文庫並みに小さいです。
内容も精神的な話が中心であるため、一般書でも通じる。
今の子どもたちが読むだろうかと思うと悩んでしまいますが、
子どもの時こそ一読の価値あり。
そして感想を聞かせてほしい…
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表題についつい惹かれて手にとってしまった本。
著者の佐野さんのとっても自分の心に正直な雰囲気が伝わってきますね~。
友達ってものは、お互いの利害とか、そういったものとは全く違うところに存在するもんなんだと、改めて日ごろの自分の人付き合いについて再考する機会となりました。
ちなみに、対話の相手が谷川俊太郎さんで、読み進めるうちに、谷川さんの可笑しさもちょっと伝わってきたのが印象深かったです。
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豊かな人生とは何か?生きたいと積極的に願える人生とは何か?それは無駄なものが多い人生ではないだろうか?
タイトルから早とちりすることなかれ。友だちというものは無駄な存在だから排除せよ、ということを言いたい本ではない。むしろその「無駄」こそが何物にも換え難い価値があるということ。「100万回生きたねこ」の佐野洋子が、自らの青春を対話形式で振り返り、
私たちにはなぜ友達が必要なのか?というある種の「謎」を解明していくような、目から鱗が落ちるような一冊。
しかし本書を読んで改めて思ったことは、人生を豊かにする本というのは本当のことしか書かれていないものだということ。「100万回生きたねこ」だって愛に関する本当のことしか書いていなかった。
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友だちは人生に直接役立つものでなく、役立ったらそれは友達でなく別の何かである。友だちと共に過ごす無駄な時間こそ貴重である、とか。
対談形式はなんだか入り込みにくいけど、この対談相手佐野さんと仲良しなのかなあ、頭がよくてインタビュアーとして冴えてて佐野さんとの会話のテンポもすばらしいなあ、と思ってたら谷川俊太郎さんだった。ええー!
年をとってこんな風に話せる相手がいたら最高だなと思った。小形桜子さんとの会話もよい。
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無駄な事が一緒に出来るっていうのは、友達だからこそなんだなあ。
佐野さんの生い立ちを谷川俊太郎さんのインタビューで。
言いたい放題がいいよねぇ。
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すごいタイトルの本だなあ、と思いつつ購入。
読んでみて別に友達なんていらない、という本ではなく自分の有益のためとか損得勘定で友人は作るものではないのだ、という主旨なんだとわかりました。無駄なものだからこそ良いのだ、と。
この方の交友関係はこうなんだなあ、というのはわかったけれどもそれだからと言って自分が彼女のような交友関係を築けるとは思えないなあ。こんな濃密な関係は。確かにうらやましいです。
ずっと同じ人とどんな時も仲良く生きていけたらそれはそれで素敵だけれども生きていく上で興味や生活が変化した時に同じ趣味や同じような生活環境にいる人と出会い友達になるのも素敵だなあ、と思うのです。実際進学の際違う学校に行った人、それぞれ社会に出たとき、友人の結婚などで連絡が途絶えてしまった人たくさんいるなあ。だからと言ってまた出会えた時には友人に戻れると思うのです。あれからどうしてたの、みたいに。継続することが目的ではなく、インターバルがあってもまた友人になれる。そんな関係も素敵だな、と思うのです。
後、自分の周りはなぜか男性の方が幼少時からの友人と今でもつながりを持っていて、帰京するたびに遊ぶなんて話をよく聞きます。女性は結婚しちゃうと昔の友達と今でも月一で会う、なんて話をあまり聞かない。(まあそれだけ結婚生活や子育てに必死、ということがあると思いますが)佐野さんのところと反対だなあ、なんて思いました。
対談相手が谷川俊太郎さんだったんだ~と最後まで読んで思いました。どうりで言葉がやさしいなあと。
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中高生向けのちくまプリマー新書からの文庫落ち。インタヴュー形式で、佐野洋子の「友だち論」が詳細に語られる。封印したはずの過去の自分の感情が激しく揺さぶられて、非常に困った(苦笑)。 思春期になった息子らに、ぜひとも読ませたい。思春期の子供によって「親は敵」だから。親の言葉よりも深く心に染みて響いて、友だちとの仲に思い迷うことがあったら、この本が救いとなりそうだ。 佐野さん…なんて素敵な女性なんだ。ぽわ〜ん(*^^*)。
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タイトルに驚いて読んだ。面白かった!
産まれてはじめの他人との接触から現在までの友達について谷川俊太郎と対談してる。
友達は、なにも生産性がないからこそ大切。無駄なことにこそ光りがある。
改めて思うのは、こどもって大変だったなぁということ。戻ったりしたらやってける気がしないや。
ともだちといつも通りの無駄な時間を過ごしたくなる本。
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成長するごとに変わっていく、友達であるということ・友達でなくなるということ。筆者の色々な体験、考えを交えつつ対談形式で語られている。
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これはまたすごい題名だ。子供の時に見たら「危険な本」だと思ったかもしれない。
そうか『100万回生きたねこ』の著者なのか… と今更ながらに思う。佐野さんが語る友達に対する思いのようなものが書かれているのだろうかと、本の裏の説明を見て中身を想像した。
中を開けば、太陽(?)マークと月マークで表わされる二人による対話で始まる。どちらかが佐野さんなのか? とも思いつつ、どこか大人びた佐野さんが創り出した子供二人による空想の会話に読めてくる。後ろの解説を見ればわけがわかるのかもしれなかったが、何となくそのまま読み進めてみることにした。十分会話が面白かったからである。解説に種明かしはあるので、いろいろと空想しながら読むのもいいかもしれない。
佐野さんの友達との距離の取り方がなかなか変わっている。変わっているというよりは、とらえどころがないと言ったほうがいいのか。くっつきすぎているようなこともあれば、あっさりとした別れもあったりで友達との間で自分の中に湧き上がる感情をもてあそんでいるような不思議な感じがあった。「感受性の強い子」という言葉がなんとなく浮かぶ。佐野さん自身も「感受性の強い子」だなどと自分を思うことがあったり、他人に「感受性の強い子」だと思われたりしたことがあったのだろうか。
本を通して思うことはやはり「よく覚えているなあ」ということ。最近、金井美恵子さんを読んだ時にも思ったけれど、こういった見たもの聞いたものを瑞々しく記憶にとどめることができて、かつ、それを書きだすこともできるような人。そんな人には「こんなに覚えていていやになっちゃう!」という感じが文章から醸し出されていないだろうか、とふと思った。
そしてその「こんなに覚えていていやになっちゃう!」という感覚は、金井さんに至っては「昔のあの映画はよかったのに」という毒に近いものを生み出す契機となったり、佐野さんにとっては「私が覚えているこの『友達』に対する感覚は誰にもひけをとらない」といったまぶしいような感覚を生み出す素になっているんではないかと思ったりする。
読んでみてどこか救われるような気分になる子供、若い人は多いかもしれない。