紙の本
なんだか騙されているような気のする人に贈りたい
2010/01/26 02:08
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けい - この投稿者のレビュー一覧を見る
「論理」という言葉に弱い、それはもう滅法、弱いのです。推理小説、それも謎が論理的に解かれることを主眼とした「本格ミステリ」と呼ばれるものが好きだからかもしれません。
この本を手にしたのも、探偵小説がらみ。ミステリで用いられる「論理」。これは実は厳密なロジックではなく、一流の職人である推理作家のマジックによるものだ、という想いがあったからです。その魔法の正体を知りたい。その想いで、この本を手に取りました。
普段、新書なんてほとんど読まないのに。
詭弁、というのは実に面白いです。こんなことを研究している人がいる。それもはるか昔から、人間は詭弁というものについて考えてきた、ということが興味深いです。たぶん、昔から言葉を巧みに使って人を騙す悪い奴はいて、悲しくもおかしいことにこの先もその手の輩は絶えないのでしょう。
どういったものが詭弁か、という実例を挙げて、その詭弁の裏に見え隠れする人間の考えや企みを解説していってくれるのですが、「たとえばこんな文章は詭弁ですよ」と紹介される事例に「えっ、そんなのが詭弁なの」と思うことが前半はしばしば。なんだか騙されているようです。本当に私たちは詭弁について知らないんだな、と思わされます。
内容は私には、すらすら読めるほど簡単ではなかったですが、そのぶん、刺激的でした。「ん、これはどういうことだ?」と考えながら読むことは、ミステリばかり読んでいる私には新鮮でした。しまいには「これは著者の詭弁ではないか」などとまで感じ始め、「騙されないぞ」と眉につばつけ、警戒しながら読む始末。うーん、こんな読書もたまにはいいものです。
じゃあ、内容は面白かったかと問われれば、うーん、と唸った後「なんだか騙されたみたいな気がする」というのが正直なところ。
なんとかして自分や自分の大切なものをを守ろうとして、ついには馬鹿馬鹿しいほどの論法で人を騙そうとする人間の姿は醜くも、いとおしい。詭弁を用いてしまわずにいられない私たちが本当にごまかしたいのは、そんな自分自身なのかもしれない。そう思いました。
騙されたと思って、読んでみてください。
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「欺かれるとは、間違いを正しいと見なしてしまうのみを言うのではあるまい。正しいものを間違いと見なしてしまうときも、やはり欺かれているのではないか。詭弁に欺かれまいとして、正しい理屈に欺かれるのである。」
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詭弁のテクニック・pros/consを知ることを通じて、相手の詭弁を見抜き、同時に、安易に詭弁を使わないことで、本質的な議論を行う、ことを目的に書かれた本である。
しかし、自分にとっては、陥りがちな詭弁の事例の面白さ、だけで楽しめた。
コレによって議論が深まるか、は疑問。しかし、詭弁を使う相手に遭遇した場合、以前より少し冷静に、愉しめるのではないか、と感じた。
数時間でサラッと読めるので、暇つぶしにどうぞ。
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筆者曰く「詭弁を学ぶことで、相手の用いた詭弁を自らの議論の武器にすることができる」とのこと。
本書は様々な詭弁のパターンが紹介されています。
特に第五章で紹介されていた「人に訴える議論」は、普段のコミュニケーションの中でも見られるような身近な例で面白かったです。
「人に訴える議論とは、ある人物の議論に対して、その議論の妥当性を問うのではなく、その人物の人格、発言の動機、実際の行動や過去の発言との整合性等を問題にすることで、その議論そのものを否定しようとする詭弁である。」
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詭弁の特徴を捉えつつ、「人間は何故一般化することが出来るほど明確な『詭弁』に引っ掛かってしまうのか」を読み解く。
論理学の本と云うより修辞学の本であり、論理学的な内容を期待していると肩すかしを食らい兼ねないものの、詭弁そのものの解説・解釈においては非常に興味深い内容が続いている。
筆者の解説・解釈が時折各章で論じている詭弁のテーマそのものと相違ない内容になっているのは作者なりのジョークなのか、或いはそれほど『詭弁』を解説することが困難なのか。その答えは本書の最終章で明らかになっている。
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[ 内容 ]
論理ではなく、詭弁を身につけてみないか?詭弁と聞くと、子供だましの芸当と聞こえるが、口先だけ達者になることではない。
詭弁には、思考そのものを鍛える力がある。
人が詭弁を使う時、その人特有の癖があらわれる。
その癖を見抜くことで、思考のパターンが理解でき、おのずと論議も強くなる。
論理的思考に満足しない人のための一冊。
[ 目次 ]
序章 馬鹿だから詭弁に騙されるのではない
第1章 詭弁なしではいられない
第2章 曖昧さには罠がいっぱい―多義あるいは曖昧の詭弁
第3章 弱い敵を作り出す―藁人形攻撃
第4章 論より人が気に喰わない―人に訴える議論
第5章 一を教えて十を誤らせる―性急な一般化
あとがきにかえて―語学の達人に学べるか?
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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■この本を知ったきっかけ
Amazonのおすすめで紹介された
■読もうと思ったわけ
著者の『レトリックと詭弁 禁断の議論術講座』が面白かったので
■感想
読みながら思ったことを書いてみる。
・人は「自分と他人の意見が対立した時、客観的に検討せず、どうあっても自分が正しいことを証明しようとする」心理が働く。
・「人間は本来的に独善的で、自分の立場に固執するものである。」ショーペンハウアー
・ブログを書いたりするのもエロースによる心霊的生殖の一種なのだろうか。それがたとえ匿名であっても。
・反論する人ははじめから悪意を持って反論する。なので細かい文脈や意図を読み取ろうとせず、勝手に読み違えて反論する。そのため反論自体が的外れになってしまう。
・詭弁に反論するには、その詭弁を分類し、具体的な例題を挙げて反論するのがよさそうだな。だが、そんなもんとっさには思いつきそうにないな。
・普通の会話でもたまに極論を言って話しをすり替える人がいるなぁ、今度突っ込んでみようかなぁ。
・発言の批判は、発言内容よりも発言者の資質に対するものが多い。つまり、あの人嫌いだから言ってることも納得できないって。Twitterの良いところはツイートの内容がよければ発言者の資質と関係なくRTされて広まることだ。
・ヘタリアなどの擬人化は偏見を持っているからこそ成り立つのではないか?性急な一般化の拡大解釈。いい意味での。
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詭弁を弄するためではなく、詭弁に陥らないために、詭弁を学ぶ。
なるほど。
読んでると「あーこれ詭弁だわ」と自制が働く。
http://takoashiattack.blog8.fc2.com/blog-entry-1470.html
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詭弁とは……
「《 sophism 》論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法」(大辞泉)。
詭弁とは虚偽であるが、ただの虚偽ではなく、「もっともらしく見える」虚偽である。著者は「……詭弁として成立するためには、逆説的であるが、そこにいくらかの真実を含んでいる必要がある」という。
「もっともらしく見える」ことについて、第四章の「人に訴える議論」で面白い議論がなされている。
とある教育学会において、評価の高い学説があった。しかし、その学説を唱えた教育学者は品行に問題があった。
ここで、教育学者のパーソナリティによって学説の価値は変わるだろうか。
いや、学説は学説として完結しているはずで、「論者」と「論」とは峻別をしなければいけない、となるだろう。
しかし、私達は往々にして「論者」と「論」とを混同してしまう。
ここで著者は、以下の三点を踏まえた上で、人と論とは必ずしも切り離せず、あながちに詭弁とは判定できないこともあるという。
一、言葉は常に誰かの言葉として現れ、現象的には人と論を切り離すことが出来ない。
二、人は論の一部となり、その正しさを論証するための論拠を補完する役割を果たす。
三、人と論とが内容的に関係すると考えられるときのみに、人を内容の評価に参加させている。
「人に訴える議論」の詭弁に陥ってしまうのは、そこに「もっともらしさ」があるからだ。その「もっともらしさ」は、人と論とを関係づけて間違わなかったという経験から来ている。故に「人に訴える議論」は、経験則から言ってあながち虚偽とは言えず、詭弁と言えない場合があるということになる。
ただ、「人と論とが内容的に関係すると考えられるとき」に関係づけられるのであり、例えば、ある定理を完成させた数学者がいてその人物の品行に問題があったとしても、定理の内容に影響はない。また、関係づけが「合理的」であったとしても、「論理的」であるかどうかについては再検討が必要になる。
「人に訴える議論」は詭弁でない時があるかもしれないが、だからと言ってそれが正論だと言い切ることは出来ない。
それぞれの議論にグラデーションがある中で、「もっともらしい」のか「もっとも」なのかを判断する目を養いたい。
2010/10/13読了
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「詭弁」というものに焦点を当てた本。
まず、こういうものを研究というか専門にしている人がいるというのに驚いたわけだが。
内容は非常に面白かった。
過度な一般化や意味のすり替えなど、日常的に使っている(というか意識しなくても勝手に出てしまっている)詭弁について、分かりやすい具体例を挙げながら紹介・解説する。
特に面白いのは、その詭弁の解説に終わることなく、その詭弁に陥り易い理由とか、そういう部分まで解説を深掘りしているところ。
あとついでに、後書きの内容が非常に共感できた。
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人間の思考の癖について書かれた一冊。極端な方に考えがちだったり、自分の側が正しい前提で考えたり… 論理的に正しい(かに見える)ところにこそ、偏った思考が入り込む。
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人が詭弁を使うとき、その人特有の癖があらわれる。そのクセを見抜くことで、思考のパターンが理解でき、おのずと議論も強くなる。
詭弁のパターンとは
■多義あるいはあいまいの詭弁:議論の中に現れる言葉が複数の意味で使用される、あるいは何を指すのかはっきりしないまま用いる。
■相手の主張をこちらが反論しやすいようおに歪めて表現する。
■その議論の妥当性を問うのではなく、その人物の人格や実際の行動や過去の発言との整合性等を問題にすることでその議論そのものを否定しようとする。
■少数の、あるいは不適切な事例の観察からそれらの事例に見られる性格をそれらを含む母集団全体の性格と決め付ける詭弁。
著者は詭弁を学ぶ事で、
相手の用いた詭弁を自らの議論の武器にすることができる。論争において対立していると、自らの主張が相手よりも正しい事を論証しようとするのだけれど、往々にしてそれは直接的になされるよりも、相手の議論がいかに誤っているかを指摘することで間接的になされる事が多い。なので、相手の詭弁を形式名で名指ししてそれが誤りであることを説明できれば、相手への決定打になる。
と書かれていて、なるほどねーと思った。確かにそれは結構効きそう。
そして、詭弁というのは人間の本質的なクセからきていて、詭弁にだまされる人はバカだからだまされるのではなく、人間の思考がそのようなものを受け入れるクセを持っているからとのこと。
この、本全体の骨格には納得。
で、各詭弁タイプの説明があるんだけど、これがものすごく読みづらかった。
この著者は「詭弁にも三分の理」ということで、↑にもあるように思考のクセだったり、絶対に間違いとはいえないから人は信じてしまう、ということを根底に解説してるんだろうけれど、説明部分は結局何が言いたいのかよくわからず、狐につままれた感あり。
例題が色々出てくるけれどこれが古文体でこれまた読みづらく。。。これ、もっと現代でありがちな例で解説するともっとわかりやすいのになーなんて思ってしまった。
まあ、学者さん?なので、実用的な本じゃなくてアカデミックな本なのさ~ということだろうか。
私的には、内容はいいのにわかりづらくて残念、だった。
とはいえ、骨格部分はわかったので、今度議論が噛み合わなかったら詭弁タイプを考えてみよっと。
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詭弁とは何か。それは論理的にはおかしい、間違った論法である。ところが、我々はその詭弁を意識的にも無意識的にも使うし、また同様に意識的も無意識的にも騙されている。
詭弁の形としては、因果と相関の混同、必要条件と十分条件の誤判定、言葉の多義性からくる拡張と限定の使い分けがある。詭弁を弄する人はこれらをいろいろに使用するので、詭弁に免疫のない人は簡単に騙される。著者によれば、詭弁を知れば知るほど詭弁を使うことには慎重になるという。詭弁は囲碁や将棋におけるハメ手のようなもので、相手に正しく応手されるとこちらが窮してしまうことになる。
したがって、相手の論理力がある程度上か、未知数の人間に対しては詭弁を弄するのは危険だという。ただ、実際には詭弁を認識し、それに反撃を加えることの出来る人はごく少数である。おそらく日本人の場合には10000人に1人も存在しないのではないかと想像する。
日本人が特に詭弁に弱いのは、議論や対話経験がほとんど無いからである。一つのテーマを論理的に論じる経験がないために、思考を構築する言語リテラシー力が決定的に不足している。友人や知人とのほんわかとした当たり障りの会話しかしていないための言語力の顎がゆるゆるになっている。筋肉と同じで、言語力もそれに負荷を加えて使用しなければ見る間に衰えていく。
欧米のように他民族が集まって、周りの人間を全面的に信用できない状態では(それ自体は不幸な環境ではあるが)騙されないために、言語の意味を厳密に捉え、論理的に解釈する傾向が強いので詭弁に対する耐性はかなり強い。それが拡大して、外交力にもなり、日本が外交戦争でほぼ全敗している状況を生んでいる。
こういう詭弁に対する備えという点からも、教育で討論・作文技術の授業をもっと増やすべきなのである。
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詭弁を学ぶことで、詭弁に対抗する術をみにつけようという本。
論理にこだわる人は詭弁にはぐらかされやすいしね。
詭弁は構造から学ぶととても対処しやすいということがわかります。
でも詭弁使う奴はクソ
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詭弁の具体的な型について紹介している本です。ですが、簡単に詭弁と見破れるものが多く、実生活にはあまり役に立たないかもしれません。現代の政治家の具体的なエピソードとかでやっていただければとても痛快だったのに。