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母親を殺したのは、私。でも殺されたのも私。
この罪は、誰のもの?
誰がどう償うべきもの?
自分を虐待していた母親を死なせたが、10歳という年齢のため少年院ではなく児童自立支援施設に送られることになった萌果。
事件前の関係者の印象と、事件後の態度のあまりの違い。どっちが本来の萌果なのか。なぜ言葉遣いも態度もこんなにも違うのだろう、という違和感を持ちながら読み進める。
自立支援施設の中での吐き気のするような「事件」、それが原因となって別の施設に移される萌果。
そこで出会う寮長寮母の夫婦と、臨床心理士。
「家庭」のような環境で過ごしながら心理士によって自分の心と向き合う。萌果にとって最初に必要なのは、罪の償いよりも本人の心のケアと保護。償いは心身が安定して、初めて行うことができる、という考え方。
ここでの生活のなかで見える萌果の心の変化。
相手をきちんと受け入れること、そして思いを伝えあうこと。相手を尊重し、考えを押し付けないこと。そんな基本的なことを体験してこなかった萌果。
幼児が親と過ごす中で経験していくいろんなこと、通い合わせる情、学んでいく社会性、そして過ちへの赦し。そんなひとつひとつに抵抗しながらも受け入れていく。
そして心理士の齋藤との面接がとてもリアル。齋藤が言葉を使って「今、ここで起こっている感情」を意識させていく流れの描写は見事。そんな齋藤とのやり取りの中で「信頼」を積み上げていく。
普通の家庭で普通に育っていれば何の問題もなく身についていたであろうあれこれ。それを寮長夫婦や心理士齋藤との間で構築していく姿に、胸を痛めながらもほっとする。
このカウンセリングは齋藤という人間あってのことだろう。多分自分というものを極限まで見つめぬいた齋藤だからこそ、萌果の心の奥深いところに降りて行って共に共感しあうことができたのだろう。
萌果が本当に求めていたもの。
罪は罪である。死なせた人は二度と戻らない。萌果はこの先の人生を、自分自身と犯した罪を見つめ続けて生きていく。この罪を償うことはできるのか。償うために、何をすべきなのか。罪を贖うことはできるのか。本当の意味で萌果が罪を受け入れたとき、いったい彼女の精神はどうなってしまうのか。
誰にも出せない答え。萌果が向き合うべき罪は、深く大きく、その道は長い。
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・失われた命を別の命で贖うことはできない。罪を犯した者は誠実に生きて生をまっとうするのが償いである。というのを改めて認識した話。
・死んだ母親の人格が娘に乗り移った?(解離性同一性障害?)なのかは深堀されなかったけど、つまりはそれだけ主人公の萌果の精神的ショックが大きかったわけで、そうそう簡単に解決する問題では無いですよ、という事なのかな。
・そもそも事件がきっかけで人格が変わったのか。本当は殺す前から変わっていた可能性も無きにしも非ず
・帯の「致命傷必須」まではいかなかったけど、深堀したくなる小説
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11月-26。2.5点。
母親殺害の罪で、児童矯正施設で暮らす女児。多重人格なのか。
うーん、結局何が言いたかったのかわかりづらかった。よくあるテーマのストーリー、ラストに向かって光があるのだが、結論とか解決とかが不明。
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2020冬の文芸書フェア
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『人間に向いてない』で衝撃のデビューを果たした黒澤いづみさんの2作目。前作では引きこもり、本作では児童虐待と、現代社会(それも家庭内)の暗部を題材に小説化する手腕は見事で、今回も引き込まれた。10歳の少女が虐待から逃れるために誤って母親を殺してしまうが、直後から彼女の言動に変化が起きる。少女になにが起きたのか、彼女の中になにがいるのかを探りながらの読書となるが、真相とその後の展開は想像を超えてずっと重いものだった。
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母親に虐待され、それに抵抗するはずみで殺してしまった十歳の少女。情状酌量の余地がありながらもいっさい反省の色を見せず周りに反発し続ける少女の中に潜む何者か。彼女はいわゆる「多重人格者」なのか、それとも……? 痛々しくて、だけどさまざまなことを考えさせられてしまう一作です
虐待で多重人格に、というのはありがちですが。三章のラストで絶句。まさかそんなことが! そしてそれがわかってから読んでみると、萌果の子供らしからぬ言動の数々が腑に落ちるような気がしました。もちろんそれが真実とも限らなくて、ありがちな多重人格の可能性もあるのだけれど。いずれにしろ、彼女たちはどちらも被害者だったのだな、と。だからといって赦されるわけではないけれど、救われることはあってはいいのじゃないかと思います。それこそ羊裁判のように、ひとつの答えを押し付けられるものではないんじゃないかな。
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黒澤さんの作品を読んだのは今回が初めて。
帯とあらすじから重たくなることは予想していたけれど、なかなかにして致命傷な一冊だった。
良くあるパターンの「救われて一件落着」って結末にもっていかなかったところに凄く魅力を感じた。
毒親はどこまでも連鎖することを強烈に突きつけられた。
その反面、出逢う人によって良い影響も生まれるという希望も垣間見ることができた。
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私の中にいる
黒澤いずみさん。
とても、不思議なお話でした。
家庭環境。ネグレスト。虐待。
負の連鎖。
虐待された子が、親となり、
同じことをする。
本の中に、
羊の絵本。
というお話が出てくる。
奥深いお話。
結末のない、模範となるべき正解が存在しない物語。それは、まさしく、人生と同じものであるともいえた。
いろいろ考えさせられる本でした。
環境によって、
とても酷い負の連鎖になることもある。
でも、
出会った中で、手を差し伸べてくれる人達もいる。
考えさせられた本でした。
罪に対する1番の贖罪とは、
誠実に生きて死ぬこと以外にないと思う。
償いの意識を持ち、自分が最も善いと思う行いを続けていくことが、贖罪。
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図書館で借りた本。
母親殺しで児童自立支援施設に保護された萌果。施設の大人たちに暴言を吐き、脱走を繰り返す彼女の中に誰がいるのか。萌果の中の誰かではなく、萌果自体の人生として読んでみたかった。
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*
虐待を受けて育った萌果は、正当防衛で母親の
佳奈を殺してしまう。
事件後の萌果は、これまでの内向的で大人しく
暗い様子から攻撃的で粗野に変わっていた。
児童保護、更生の為の学園で萌果は出会う人との
関わりのかな自分を内省していく。
萌果の中はいったい誰なのか。
自分を見つめ直す萌果の口から思いがけない
打ち明けがある。
現実世界で起こしてしまった事件、
その罪を背負い、引き受けた生を背負い
誠実に生きていく事が贖罪ではないか。
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’21年11月28日、読了。黒澤いづみさん、二作目。
かなりヘヴィな話、でした。思っていたストーリーではなかったけど…これはこれで、良かったです。
なんとも悲惨な話で、何度も胸が圧し潰されてしまいました。苦しかった…。忘れられない読書体験になりました。
黒澤いづみさんの、次の作品が「楽しみ」とは、正直なりませんが…多分、また読むんだろうなぁ。そういう「力」のある作品、作家さんだと思います。
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読んでいて心が押し潰されるようになる描写もあり、暗い気持ちになりました、辛い…。ついこの前、韓国映画の「トガニ」を観たばかりだったので、両者に共通するものを感じました。児童虐待は目を背けてはいけない問題ですよね。
結局、萌果は誰なのでしょうか。多重人格?それとも…
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2022.9.11 読了
虐待の連鎖。。。
正当防衛で 母親を殺してしまった娘の贖罪。
それだけではない複雑な話でした。
読んでても 救いようのない、
自分を見つめる内省の過程とか
読んでてしんどかった。。。
早く読み終わりたくて 必死で読みましたー
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デビュー作『人間に向いてない』が良かったので、二作目に当たる本作も期待していたが、結論から言うとやや消化不良。
虐待を受けていた小学5年生の少女が誤って母親を殺してしまう序章で心を鷲掴みにされ、その後に続く児童自立支援施設での職員とのシーンもスリリングで先が気になる展開。
少女の中に存在しているのは羽山萌果本人なのか、それとも別人格なのか。
「私の中にいる」正体が誰なのか気になり読み進める。
頻繁に取り上げられる虐待の連鎖に解離性同一性障害を絡めたストーリーは新鮮ではあるけれど結末に更なるインパクトが欲しかった。
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我が子である萌果に虐待を繰り返す佳奈…ある日突発的気がつくと佳奈が頭を打って死んでいた…。元々大人しく内向的であった萌果だったが、事件後は人が変わったかのように反省の色も見えず反抗的な態度になったこともあり、児童自立支援施設で過ごすことになった…。いったい何があったのか、萌果は萌果ではないのか?…。
内容が内容なだけに終始重い気持ちで読みすすめました。この物語の救いは、施設を変わることでかけがえのない出逢いがあったこと…自身を見つめ直せたことで、その後の人生を誠実に生きていくことこそ贖罪にあたるという思いにたどりつけたことですね!これからの彼女の人生が、明るいものでありますように…そう願わずにはいられません。