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筆者の夫世代の日本人男性として、読んでよかった。
いかに自分が「男女の格差」という問題を他人事として捉えていたか、まざまざと感じさせられた。
本書で提示されるような問題に対して、心の中で言い訳をして知らぬ顔をしてきた自分に、ストレートパンチを決めてくる容赦のない本。自分の中の当たり前や、世の中の当たり前を別の角度から見れるような視野をくれる、考えるきっかけになる本だった。
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韓国の女性による随筆。日本語版表装を担当したイラストレーターのファンなので、そこかをきっかけに興味を持った。
「フェミニスト」「フェミニズム」という言葉は語る側にも、語られる側にも何らかの緊張をもたらすことに気づいて、この言葉の扱いに慎重になる女性は増えていると感じる。バズワード化した言葉をちゃんと振り返り、丁寧に定義する取組は必要だ。
ただ、その定義にちゃんと立ち戻って、冷静に語る時間も惜しいくらい、「信じられない」ということが世の中にたくさん野放しされているのも紛れもない事実ではある。
冒頭、筆者はフェミニズムを「性別によって定められた苦しい部分に共感し、話し合い、目線を変えてみようという考え方」と定義するが、読み進めていくと、私にとってはこのように解釈できた。「男」と「女」に代表されるような、異なる価値観、社会通念を持つ人々が、お互いの世界を少しずつ覗き見るための、その旅路のチケットなのかなと。
社会全体のあれこれにテンポ良く切り込む前半から、中盤の「1番身近なパートナー(例えば夫)との向き合い方」「結婚」に進むと話は一気に生々しくなるが、現に起きていることなんだろう(自分は恵まれてるなと思う事例ばかり)。ふと、女性が「フェミニズム」をまっと言うに語りたい上で障壁となっているのはこういった身近なパートナーとの脆く綱渡りな関係性が要因になっていないか?とさえ思う。社会に対して冷静に対処する女性のエネルギーは、身近な人との間の健全な相互の関係性があってこそなのだ。
あと、訳者の方文章、とても素敵だった。もとから日本語なのではないかと思うような、自然な一冊だった。韓国はこんな社会状況なのか、といろいろと考えを巡らせつつ、自分たちの問題にも置き換えて読み進められたのも、こういった自然でストンと心にハマる訳のおかげだとも思ったのでした。
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気づいてすらいなかった
夫の実家優先が当然というのはおかしいということ
常識として刷り込まれているんだとおもった
違和感に気づいて次の世代に強要しないように
しないといけないなと。
そういう違和感にきづくきっかけになった。
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“彼らはフェミニストという単語が自分を非難する道具だと思っている。いままで何の問題意識もなくやってきたことを問題視されるのが許せないのだ。”(p.101)
“そっか、現状に不満がない側は、あえてエネルギーを注いで状況を変えようとする必要がないんだ。だから、夫は私が問題提起するたびに話をそらすんだ。”(p.191)
“ときどきイベント的に料理するだけの夫は、料理しながら妻に尋ねる。「しょうゆはどこ?」「ねえ、どれが塩なの?」。そうして一つひとつサポートしてやったあげく、料理が完成すれば、妻は夫が普段やらないことをやってくれたと、褒めてやらなくちゃいけないのだ。”(p.209)
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女性が女性であることが原因で苦しむ事があるのなら、それをみんなで協力して解決できるようにする。男性が男性である…、人種、見た目のコンプレックス、マイノリティが…それらについてそれぞれの苦しみの原因を無くす事ができたらいいと思わない?
理想論?キレイ言?理想的でキレイな世の中がいいじゃん。それに対してわかってないと冷笑し、密室で勝手にコッソリ決めて、それこそキレイな言葉を意図的に使って懐柔しようとしてくる人がふんぞり返ってる世の中よりよっぽどいい
例えば女性である苦しさを男性である自分が完全に理解出来ないと思う。どれだけ読み、聞き、考えたとしても。でもだからこそ更に読み、聞き、考えることでその差を少しでも埋めれるようにしていきたいとは思っている。それでもやっぱり「そういうとこだよ!」と気付かさせる場面が何度もあると思う。そしたらそれを気づきと思って、より差を埋めていきたい
これまでの伝統と違う方法に気づく、考えるまではできるが、これを実際に行動する。それに伴い別の価値観を持つ人へ説明する(しかも理解が得られない)のはどれだけ骨が折れるだろうと想像するだけでも深いため息が自然と出てしまう
誰かの苦しみの上に成り立ってる誰かの既得権益って
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『オシャレしなくていい自由があって初めて〈好きで〉オシャレできるんだよ。どっちか一つを選ぶ権利がある時に初めて〈好きなほう〉を選べるわけでしょう。きれいにしていないとイヤな思いをする世の中では〈オシャレしなくていい自由〉がないんだよ』
この言葉に、すっとした。
私がいつも感じていることは、うまく説明できなかったことはこれ。
夕飯の支度、したくないならしなきゃいいじゃん。
って言われても、、、ね。
洗濯、掃除、家事全般
選ぶ権利はない様に感じてる。
どうやったら夫と息子(大きな)2人の中で、
妻で母である私は自由な気持ちでいられるのかな。
料理も掃除も洗濯も嫌いじゃない。
むしろ好きな方だと思う。
それなのに、苦しくなる。
フルタイムの仕事しながらお母さんだから妻だから、家事をするのは家をきれいに保つのは私の仕事なの?
専業主婦の頃は、子育てに対してそんなふうに感じてた。
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文化は違えど同じ世代の価値観にとても共感できました。わたしも結婚とその先のことを考えたときに、自分だけ諦めなきゃいけないことが山ほどあるような気がして、今まではあまり感じてこなかった男女格差をひしひしと感じるように。でもぶつぶつ文句を言うのではなく、言葉と行動を変えていくべきですね、未来の女性達のためにも。
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自分がフェミニストだと、声を大にしなくても、色々感じる不公平、違和感。争いたいわけじゃない。分かち合いんだ!
大げさな妻・嫁だと思われても、なんとか伝えようと行動している姿に考えさせられます。
韓国の嫁姑事情も大変だ。徴兵制があるので、また日本と違う文化があるのでしょうね。
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「育休取ろうと思うんだ、どうだろうか」と不安な目で後輩の私に話してくれた男性の先輩社員がいた。でも結局、その先輩が育休を取ることもなく、お子さんが産まれたその瞬間も仕事に追われてた。
フェミニストという視点は決して男性の権利を剥奪するものではなく、女性の自由で囚われない生き方を尊重することで、男女共に自由な選択肢を持てる社会をつくろうというもの。
女性への固定観念が変わらなければ、男性への固定観念も変わらない。この先輩のように、子と同じ時を過ごす権利は獲得できないまま。この本が伝えたいそれが、ただまっすぐに、多くの人に伝わることを1人の"人"として願う。そして、受け取った私も、飲み込み続けた女性としての違和感を言葉にして相手に伝えていきたい。
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・著者が韓国人なので、韓国の事情が垣間見える
兵役を終えた男たちによって、職場の文化が作られること
嫁は名節に夫の実家で料理を手伝うこと
2019年に堕胎罪が違憲になったこと
→とはいえ、国民の意識や風習は日本とあまり変わらないように感じた
・内容は興味深いが文章にまとまりがなく、少し読みづらかった
「普通の人」と「フェミニスト」の間、違和感を抱きつつ現実を生きる、共感しやすい立場の本だとは思う
・フェミニズム
本書では「女性だけのものではなく、性差による苦しみに共感し、目線を変えてみようという考え方」のように書いている
→言葉の話になってしまうけど、男としては「フェm」の部分に、やはり「女性のもの」感を抱いてしまう
→考え方自体は変えずに、「フェミニズム」ではないもっと包括的な概念、単語が生まれるといいなと思った(もうあるのかもしれないけど)
以下メモ
・内輪受けの「結婚ジョーク」
「遅く帰宅したい」「妻には逆らえない」といった発言が既婚男性同士で受ける、笑いのコード
・男はちょっと家事をするだけで「いい夫」と褒められるが、女性が経済活動を頑張っても「いい妻だ」とはならない
むしろ、家族の世話という基本的な義務をほったらかしている、自分勝手な人と思われる
→いい夫の合格点は、いい妻と比較して甘く設定されている
・女性アイドルが「キム・ジヨン」を読んだというだけで、アンチができる
→男たちが反発すべき相手はフェミニズムではなく、長いこと貫かれてきた不平等である
・ミソジニー(女性嫌悪)
憎悪して嫌うということではなく、男性と同等の存在として見ない現象全体
・「男は子供だから」という言葉は、全年齢使用可能なフリーパス
・ミートゥー問題の裏側
男性が女性との仕事上の会話を避けたり、「二人で食事しない」と女性を排除している
妻以外の女性と二人きりにならない、というペンス米副大統領の発言(ペンス・ルール)
→ただ排除するだけで、これまでの価値観を変える気がない
・夫に家事をやってほしいが、「褒めて動かす」のも労働で、そんな役なんてしたくない
→一緒に考えて一緒に決めてほしい、「自発的に」やってほしい
・自分の中から湧いてくる義務感や、最大の伏兵(自分の両親)が慣習を守らせてくる
娘が「嫁としてのつとめ」を果たしているか心配する母
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女性嫌悪(ミソジニー)が無意識的に行われていることにとても違和感を感じ、腹が立つことがあるけれどフェミニストという訳ではない。ということを考えていた時に丁度出会いました。
先ず、女性が活躍することとジェンダー平等は全く違うということを知っておく必要がある。
常識は存在しない。
見た目が全てだと思ってはいけない。
「フェミニズムは争いではなく、わかりあうための手段」
欠けたところを無理に繕って埋めようとする(これが固定概念)のではなく、欠けた部分を認めてどう生きていくかを考える(多様性とはこのこと)ことの方がよっぽど大事だと思う。
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韓国人女性が韓国の中で見えるジェンダーギャップについて書いた本。
兵役の有無以外は日本と変わらないな・・・と感じました。
私個人としては「場所」が変われば違う世界がある。と思って生きているようなところがあるので、国が変わってもこんなに同じなのか・・・と驚きました。
この本の中には「解決策」はなく、けれどそれが現実なんだなと思う。
「個人」が姿勢を貫く。
己の中の葛藤を丁寧に感じる。
それが「できること」なんだろうな。
今はその「違和感」に名前が付き始めた段階なんだろうな。
この本の中に私にとって目新しいものはなかったけれど、きっと
「何言ってるか分からない!」と感じる人もいるだろうし
「そんなことが問題だなんて!」と新たな気付きになる人もいるんだろうな。
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愛し合って結婚した男性とでも染みついてきた家父長制や自分の持つ特権を手放そうとしない世の男性の影を感じることがあるのだと悲しく思う。
パートナーはただの一人の人間で私のほしいものを全て目の前に用意してくれる王子様ではない。
自分の考えを理解してもらおうと夫や義父に立ち向かう著者の姿が勇ましくてかっこよかった。
この本を読んでいてパクウジン氏は気が強いと感じる場面が多々あった。そんな私も波風を立てたくないからと言って世のおかしな風潮に目を瞑っているよわっちい女性の一人だ。
おかしいと思っていることに抗議をするのは当たり前のことなのだ。
自分の人生を好きなように生きる。その道をジェンダー規範が阻むのならば戦っていかなければならない。強くそう感じた。
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男尊女卑が未だ厳しい韓国における性役割の差、伝統・慣習における不平等や違和感を一つ一つ言語化している。
女性というだけで男性が当たり前に享受しているものを得られないことへの問題提起にはハッとさせられる。
日本でも未だ結婚という対等な成人同士の契約において、女性側の負担が明らかに大きいのはいうまでもない。どうして好きな人と一緒になるために20数年自分と生涯を共にした、ある意味自分自身である名前を捨てなければいけないのだろうかと考えさせられる。
以下ぐっときたので引用
・「ずっとましだ」は「もう十分」ではない
・「人種差別は終わった」と白人が言っても説得力がない
・敏感より鈍感のほうがタチが悪い
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33歳の韓国人フリーライターの等身大のエッセイ。等身大って難しいからこそ、この本は面白い、と思った。
『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ時も、このまっすぐなありのままを描くってことが、衝撃だったんだろうな、と思ったけど、この本もそれに近い感覚を持った。
大袈裟じゃなく、情動的じゃなく、等身大に冷静に記す。そこがなんだか、今時のフェミニズムっぽい感じもする。
それほどに、世の中の理解が進んできたということでもある。まだまだ全然足りないけどね。
相変わらず、自分を省みて、思い出しては、いたたたた、ってなったりしながら読みました。(自分が加害者なことも本当に多い。)
#フェミニストってわけじゃないけどどこか感じる違和感について #パクウンジ #読書記録