紙の本
マルクス
2020/11/08 09:33
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
カールマルクスの資本論を、佐藤優さんらしい視点で分析されていて、よかったです。現代に生かす方向を提示してほしいです。
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2010/11/13 Amazonより届く。
2014/11/21〜12/8
帯にあるように、まさに鬼才 佐藤優氏の浦和高校時代から同志社大学神学部時代の回想録。しかし、なんと濃密な生活を送っていたのだうか。それに比べて自分の同時期はそれなりに充実していたとは思うが、薄っぺらいなあ。
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佐藤 優という元外交官の思考法に、いかにキリスト教が組み込まれているかを、改めて再確認することができる一冊である。マルクス主義とキリスト教という二つの思想が、彼の中で時に交わり時に衝突していたことが、行間から読み取れる。彼がロシア外交官になったのは、ある意味では運命なのかもしれないと思った。
キリスト教にもマルクス主義にも、ある程度の知識がないと、本書の内容を十分に理解することはできないと思う。私自身、わからないところは多々あった。万人に勧められる本ではないという点で、星3つ。
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キリスト教にもマルクスにもほとんど知識がない私でも十分に愉しめる内容だった。1975年の一年間を京都で過ごした私にとって京都は特別の街。それから数年後、学生紛争と真摯な勉学に明け暮れるこんな青春があったのかと驚きと懐かしさがこみ上げてくる。
学生時代、もっと体系的にそして深く勉強をすべき対象があまりにもたくさんあったことにいまさらながら気付く。
それにしてもあとがきの中村うさぎさん^^・・この名前を聞くだけで楽しくなって優越感にひたれる、自虐ネタが多い作家の・・・一時的に”ファン”でした。なんか、ひかれるものがあったのは、佐藤氏と通じる”何か”があったのだろうな。
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著者・佐藤優さんが、青春時代(高校から大学院)を振り返った一冊。
1980年代になっても、学生運動の熾火が未だに残り、
どこか取り残された感が残る、同志社大学神学部が主な舞台です。
題名にもあるマルクスに限らず、神学の思想家たちとの知的な交流がベースに。
といっても、結構“やんちゃ”な事もやっておられたようで、
その辺りの時代を感じる「私日記」として触れても面白いかと。
なんですが、読み終えるのにかなりの時間がかかりました。。
これは原因はひとえに自分の力と知識不足です、、特に宗教に対する。
三大宗教の概要くらいは押さえておかないとかなぁ、、
特に中東を読み解くには、その辺りは避けては通れなさそうです。
“資本主義の内在的論理についてマルクスが『資本論』で解明した論理は、超克不能である”
遅れ馳せながら、このフレーズの真意の半分でも理解できるようになりたいです。。
学生時代にもっと勉強しておけばよかったなぁ、と後悔先に立たず、デス。 orz
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佐藤優が三度のマルクスとの邂逅を通してつづられる思想的自叙伝の前編です。いやぁ、濃ゆい。かなりこの人は濃密な学生生活を送っています。
この本は『外務省のラスプーチン』の異名をとった佐藤優の埼玉県立浦和高校から同志社大学神学部、そして同大学院時代までの思想的な自叙伝の前編です。最近この本が文庫化されたことを知り、この記事を書くためということもあわせて、今回再読してここに書評を掲載しますが、今回また改めて読み直してもいやぁ、濃い。非常に内容が濃ゆい。著者が大学生活を送ったのは80年代くらいのことだと思われますが、学生運動あり、「アザーワールド」を中心とした個性的な仲間たちとの交流。そして、濃密な学問の世界…。佐藤優の魅力が全開でした。
ここに書かれている神学や西欧の思想化のことは僕が門外漢でほとんどその思想的な背景はわかりませんでしたが。登場人物たちが話す会話の『濃さ』はここ最近の大学生には決して存在しないだろう、という気高さがあって、それが途方もなく好きでした。僕も大学時代にはいいことも悪いことも含めて色々な事がありましたけれども、それにしても同志社大学神学部ってこんな『濃ゆい』人間たちが集まるところなのかと。読んでいてそう思いました。
そして、佐藤優の思想的な原点が読めるということについて、貴重な記録であるといえます。そして、ひとつお断りしておきたいのはこの本はいわゆる『即効性』はまったくといっていいほどありません。しかし、忙しい現代人にこそ、この人の思想的な記録を少し立ち止まって、じっくりと読んでみるべきではないかと思う、今日この頃です。そして、文庫版に収録されている講演やその後の質疑応答もものすごく知的スリリングにあふれたもので、そちらも見逃せません。
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『同志社ガラパゴス』には笑った。70年代初めに終息した学生運動が80年代に入っても続いていたことを奇跡の島ガラパゴスに喩えて言う。偶々、氏とは同時期、同キャンパスで学んだ。但し面識はない。残念ながら一学年40人の神学部に知人は居なかった。共通点は行きつけの喫茶店と拉麺屋のみ。元同大生も知らなかった神学部や当時の学生運動の内実が語られており興味深く読む。同時代・同空間を描いてくれる貴重な書き手だ。ところで果たして基督教神学とマルクス、国家主義がひとりの人間の中で矛盾なく共存し得るのだろうか?積読本を読もう!
因みに佐藤優氏の積読『自壊する帝国』『ナショナリズムという迷宮』『獄中記』
関連本『闇権力の執行人』(鈴木宗男)、『北方領土交渉秘録』(東郷和彦)
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佐藤優は不思議な人物である。以前『文藝春秋』で評論家の立花隆氏と一緒に自薦の100冊をきめる対談がおこなわれた。その中で立花隆氏が「知の巨人」として紹介されていたのに対し、佐藤氏が「知の怪物」と紹介されていて、妙に納得した。
初めて読んだ佐藤氏の文は、文藝春秋に連載されていた「インテリジェンス交渉術」であった。何か悪さをして捕まった元外交官だとは少しばかり知っていたが、文章では、外交は道徳ではないということが強調されていて最初あまりいい印象は受けなかった。とはいえ連載を読み続けていくうちにその面白さにはまっていった。文藝春秋読者賞を受賞したときに櫻井よしこ氏がドゥマの小説ばりの面白さを選考理由にあげている通りである。
その後も文春誌上で佐藤氏の文をよく見かけたが、その面白さに加え、思想の特異性にも惹かれていった。佐藤氏の母は沖縄戦から生き延びた人である。その母へのインタビュー記事の末尾に佐藤氏は、沖縄と本土の歴史認識の差について沖縄県民は憤っている。もし本土が沖縄の意見に耳を傾けなければ、沖縄は日本からの独立を主張するであろうと。読んだ時はあくまでも机上の空論だと思っていたが、今年にはいり、普天間問題に関して、琉球民族への差別であると国際機関へ提訴がおこなわれたときいて、佐藤氏の慧眼におどろいた。
佐藤氏の人格形成の過程が気になって仕方がなかったところにこの本が出版された。外務省での汚職事件について書いた「国家の罠」、ソ連駐在時について書いた「自壊する帝国」の序章として青年時代のことについて書かれている。
「私はカール・マルクスに3度会ったことがある」という印象的な書き出しから始まる。県立浦和高校在学中に一人で鉄のカーテンの向こうのハンガリーに旅行し、現役時代に東大に落第したあと、神学書をよんで一浪で同志社大学神学部に入学、時代遅れの学生運動に巻き込まれながらもキリスト教神学を学び、そしてなぜかロシア専門の外交官として俗世間へ戻ってしまう。経歴からして奇怪でる。
たしかに神学はほとんどの日本人にはなじみの薄いものであり佐藤氏の人格形成のヒントにはなっていると思うが、いまだカトリック教徒にして国家主義者、護憲派の佐藤氏の謎を解決するにはほど遠かった。とはいえ非常にわかりやすい文章でかかれており、面白さはずば抜けている。
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教養がある人ってこういう人のことを言うんだなあと思った。巻末の付録に著者が行った講演会を文章に直したものがついているが、そのなかで著者は「資料を作らず、立体的に話します」と言っている。本文もそれと同じ構成で、たぶんそこらへんがこの本がおもしろい理由なんだと思う。
青春と思想と深い人間関係が有機的に結びついたすばらしい時間がここにある。
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高校時代の東欧旅行でマルクス主義と出会い、無神論を学ぶために同志社神学部への進学と、洗礼・学生運動とのかかわり、チェコ留学(フロマートカ神学を学ぶため)を目的に外務省の専門官を受けるに至った経緯など、著者の高校・大学時代の自伝。神学論・哲学論はついていけないところがありますが、氏のこれまでの著書のバックグラウンドが初めて伺えた感ありです。
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グラーシュ型社会主義について
"当時(1975年頃)のハンガリーの社会主義路線は
「グラーシュ型社会主義」と言われていた。
対外政策やイデオロギーではソ連の公式路線には逆らわないが、
いつでも国民が肉の一杯入ったグラーシュ(シチュー)を食べ、
日常生活面での豊かさを保証するのが、
カーダール・ヤーノーシュ・ハンガリー社会主義労働者党(共産党)第一書記の方針だった"
(「3 やぶにらみのマルクス像」P73)
崩壊前のソビエト連邦の映像を見ると、
「社会主義=パンを買うにも行列」というイメージを
思いだすのですが、この説明はかなり意外でした。
グラーシュ型社会主義というのは、
国民を日常生活に満足させて、
政治について不平不満を持たせないようにする政策です。
このような政策は、当時のハンガリーだけではなく、
ポーランドでも常識だったようです。
http://a-e-dkmemo.blogspot.com/2013/02/blog-post_16.html
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氏の中学~高校~大学時代の話。神学の話は自分には難しすぎるので横に置いて読み進めたけど楽しめた。同志社大時代の話はヴォリュームとられた描かれてたけど、アツい。
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この本を読んでマルクス主義の印象がガラリとかわりました。著者佐藤優氏の同志社大学神学部という本の中で、マルクス主義とキリスト教との関係に触れられていたので、マルクスについても読んでみようと思って手にしたのが本書。キリスト教がローマ帝国の公認となり、宗教が政治と結びつくようになってキリスト教が変化し、その中でマルクス主義が確立してきたと考えると、様々な政治形態があった欧州では国によってキリスト教の扱いは大きく変わっていただろうと容易に想像できる。そのなかでマルクス主義も異なった会社がされたのであろう。
この本で書かれていることの半分程度しか理解できなかったが、マルクス主義を理解するには、マルクスの著書を読むだけではだめで、その国の政治形態や精神性をよく理解しないといけないということはわかる。佐藤氏はそのあたりをよく理解し、東欧の研究にこの結論を求めたようとしたこと。また、それに十分答えられるだけの教授が同志社大学の神学部という小さな学部に揃っていたこと。非常に優秀な学生が強い熱意を持って研究しようとして、これらの先生方と交流できたという時間があったことが羨ましい。あることを深く探求するという大学という存在に強く魅力を感じました。
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マルクスの両親はラビの家系だった。
ドイツでは総合大学と称するためには神学部を擁している必要がある。この伝統は無神論国家を標ぼうしていた東ドイツでも引き継がれいていた。
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マルクスについてというより、佐藤優の思想の変遷。影響を与えられた幼少期のエピソードを、同志社大学神学部自体を中心に綴っている。凄まじい人生。人との出会い、自らの好奇心で突き進む道、正義感が齎す学生運動への関与。外務省入省への決断。
難しい思想を理解し、人生を複雑化し語るのは正しいだろうか。事物には連関性があり、個々の事情を考慮すれば、複雑さを伴う。その事情に秩序を齎すのが、政治システムであり、経済システムであり、宗教であろうか。それらは、所詮、共通の概念に過ぎず、フィクションだ。フィクションを皆で信じる事により、実存化する。
神とは何か。神もまた、偶像に過ぎず、人の頭の中に生まれた解釈であり、記号に過ぎない。こういう考えは、浅いだろうか。