投稿元:
レビューを見る
若年層に向けて書かれた本だと思いますが大人が読んでも大変心に染みる言葉がたくさんありました。
大変読みごたえがあり、二百数ページの本ですがじっくり読んだので三日かかりました。
人によってこの本で大事だと思うところはさまざまあると思いますが、私がメモしたところを少しだけ書いておきます。
私も自分だけの一冊をみつけたいと思いました。
○「読書とは、信頼する人間と交わる楽しみであった」(伊藤仁斎)
本はいかに多く読むかが問題ではない。むしろ、どうやって「読み終わらない本」に出会うかが問題。
仁斎が『論語』を見つけたように、ぼくたちも「わたしの古典」を見つけて行かなくてはならない。
○「人は心からも血を流します」(高橋巌)
言葉で世界が変わるなんて、大げさに聞こえるかもしれない。でもほんとうだ。言葉は世界を変え得る。むしろ、言葉こそ、世界の在りようを根底から変える「ちから」を持っている。
○これからの時代、人を死に追いやるのは、病より孤独だという研究がある。言葉との波長が合いづらいこともある。エッセイを読むことも、一篇の詩を受け容れることも、むずかしく感じることがある。そんなときは、目にしている言葉を全部、読もうなどしなくていい。そのとき、ほんとうに必要な言葉を摂りいれればそれでいい。
○高村光太郎は詩は人間が「書く」のではなく、人間から「生まれてくる」ものだという。人間の力で「作った」ものではなく、「いのち」から言葉が「生まれてくる」とき、それは自ずと詩になっていく。人生の困難にあるとき、ぼくたちを救うのは「作る」力だけではなく、さらにいえば「作る」力よりも「生む」ちからだ。
○君にたくさんの本を読んでほしいとは思っていない。でも簡単に「読み終わらない本」には出会ってほしい。そして、君を変えるだけでない変わっていく君と共に「生きて」くれるような本に出会ってほしい。
投稿元:
レビューを見る
.
100分de名著の人気講師が、自分の人生を変えた本、言葉、人間について伝えたく、したためた12編の手紙。「君たちはどう生きるか」の吉野源三郎に関する手紙をまずは読みたい
#読み終わらない本
#若松英輔
23/3/1出版
#読書好きな人と繋がりたい
#読書
#本好き
#読みたい本
https://amzn.to/3SKuGVZ
投稿元:
レビューを見る
昨今、よくメディアにも登場する若松氏。読み終わらない本は手元に置いてあるだけでよい。また、かなしみ、いつくしむ、おもうなど、漢字に置き変えるとその意味合いも微妙に変わってくるなどを、深く探究されていた。一番印象に残ったのは思考ではなく、思索することの意味合い。人生への解答がないことは、生きていてわかってきたとは思うが、芯を支える部分を見失わないようにしたいと云うべきだろうか。詩を書いてほしいということをしきりに語りかけていた。それは生きていく上で必要になるものであると。ブームにのるだけではなく、自らがそう思うようになった時、詩にも触れていきたいと思った。
投稿元:
レビューを見る
これまでの本と同じように、やさしい文体で心が落ち着く文章だった。
本を読むこと、心のおもいを書くことについて、丁寧な気持ちが見て取れる感じで、共感しっぱなしだったかもしれない。『星の王子さま』『君たちはどう生きるか』『苦海浄土』『草枕』『読書について』などさまざまな言葉がちりばめられており、著者自身の詩についてもやさしい形になっている。
「おもう」ことの範囲の広さについても面白かった。
個人の細かい感情を表すことのできる漢字がこんなにたくさんあるということも、日本語の深さ・寛容さを感じることができた。
思う(思考——頭で考える)
意う(注意——意思、あるいは意志をもって感じる)
憶う(記憶——過去を今によみがえらせる)
想う(想像——見えないものを感じる)
忖う(忖度——相手の心を推し量る)
懐う(懐古——懐かしむ)
顧う(回顧——過去を顧みる)
恋う(恋愛——何かを恋する)
惟う(思惟——人間を超えた存在をおもう)
念う(祈念——言葉にならないおもいを宿す)(pp.32-33)
============
「読書とは、信頼する人間と交わる楽しみであった」(伊藤仁斎)(p.14)
私がまだ始まらぬまえから
始まっていたいのちの音
座っていると
その音は
永遠の宇宙から
愛しく哀しく
私の皮膚に包まれて
こだましせまってくるのです(p.176)
ショーペンハウエルが強く促すのは「考える」こと、彼がいう「思索」だ。「思索」と「思考」は違う。「思考」はすでにあるものを確かめるように考えることだが、「思索」は人が、おのれの固有の人生の問題と向き合い、その本質を見極めるために、「あたま」だけでなく、全身で生きてみることだといっていい。
(中略)「読む」ということと「思索」が呼吸のように自然にまじりあうとき、何かが起きる。未知なる自己へと通じる道が、ゆっくりと開かれてくる。その合図になるのは言葉だ。ある言葉と巡り合うとき、ぼくたちの「読む」という旅が始まる。(p.189)
投稿元:
レビューを見る
改めて慈しむことの大切さを、噛み締めた一冊…。対人への向かい方を、また、精進していこうと、思えました。
著者の書物はまた、手にとりたいですし、様々な、書籍に触れていこうと、思いました
投稿元:
レビューを見る
青少年に向けた大人からの手紙という感じの
本。
いわゆる、最近はやった君はどう生きるかと同じ感じの
本。
詩を書くこと、言葉を紡ぐことの大事さを説いている感じですが。少し自分にはあまり響かなかったかなと思いました。
投稿元:
レビューを見る
エッセイストで詩人の若松英輔が若い人に向けた書簡の形で自分が影響を受けた本や著者について話し、それがどのように自分の思想を作っていったかを書いた本。
序盤と最後はとても良かったが、途中は少し言葉遊びのように感じてしまった部分がある。
それでも心の動きを大切にする著者らしく、温かみに溢れる読書エッセイであった。
投稿元:
レビューを見る
寒いと思っていたのにいつの間にかコートはいらなくなっていた。季節はいつも気が付かないうちにやってくる。冬の寒い日、ぼくたちは、早く春が来てほしいと願う。でも、もし冬がなければ、春の意味を改めて感じることもないかもしれない。「人生における冬の季節」と表現すると、何か過酷な毎日を想像するようだけど、そう感じる人ばかりでもない。冬こそ、もっとも確かに春を予告する、と感じる人もいる。
会いたいと思う人に会えるのはすばらしい。でも、君がその人のことをほんとうに強くおもっているのは、会えずにいて、会いたいと想っているときではないだろうか 。「思う」とき、ぼくたちの心の眼は、十分に開いていないのかもしれな い 。でも、誰かをほんとうに「想う」とき、その「眼」は、静かに 開き始める。肉眼でものを見ようとするときよりも、それが目では見えないときに開かれる。
書いたけど出さなかった手紙、書いたけど出さなかったメール、という経験はないだろうか。ある人のことを思いながら手紙を書く。すると、書こうと思ったときとちがったことを書いてしまって、出すのをやめたことはないだろうか。許せない、そう思った人に、あるいは、ほんとうに好きになった人に向かって書いた手紙を出さないまま、机の中にしまったことはないだろうか。ぼくはある。何度もある。そうなんだ。書くということは、思ったことを文字にすることだけではない。書くことで自分のおもいを知る。書くことで、ぼくたちは自分が何を感じ、どう生きてきたかを知る。「おもい」と一言でいうのは、簡単だ。でも、複雑な思い、という表現があるように、事実、「おもい」は、「思い」や「想い」という言葉では表現できない、深く、広い意味を持
っている。このことをめぐっては、また、次の手紙で。からだをいつも労ってください。君が、いちばん大事な人を大切にするように、自分自身のからだとこころを労ることを忘れないでいてください。君は君の「バラ」にも「責任がある」んだから。
投稿元:
レビューを見る
若松英輔さんが繰り返し引用する、石牟礼道子(いしむれみちこ)さんの「苦海浄土」や神谷美恵子さん、小林秀雄さんの作品とともに、読むこと、人生の目的について語りかける文章がやさしく心に届く。
ショーペンハウエルの「読書について」にまつわる読書における「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」についての文章が興味深い。
まえに「読書について」を読んだとき、"多読に人生を費やす人間は自分で考える力を失う"の文章を読んで悲しくなって読書の意味ってなんだ?読まずに1人で考えた方がいいのか?とわからなくなっていた。
思索(≡咀嚼)しながら読むことで、紙に書かれた思想の足跡以上のものを見て、未知なる自己への道が開かれるという流れが綺麗だった。
今まで読んだ本を振り返って、思索できていただろうか?と思った
投稿元:
レビューを見る
自分にとって大切な「ことば」。
それを読書していくうえで、感じ取っていければと思った。そしてもし、そんなかけがえのない言葉に出会えたら、書き出していこう。
「読み終わらない本」。そんな本に出会えると思うし、もう出会っているかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
若い人にあてた手紙という形をとっているけれど、本に日常的に接している身に沁みてくるような気がした。
「君にたくさんの本を読んでほしいとは思っていない。でも、簡単に「読み終わらない本」には出会ってほしい。そして、君を変えるだけでなく、変わっていく君と共に「生きて」くれるような本に出会ってほしい。」
読み終わらない、とは必ずしも最後まで行きつけない、ということではないだろう。何度も繰り返し読み、そのたびになにかを感じられる。そういう意味での読み終わらない、ではないかな。本というのは、もともと何度も読み、そのたびに新たな何かを感じさせれくれるものである、とは思うけどさ。
ちょっと地味っぽい本で、俺自身がこの本を「読み終わらないんじゃないか」と思ったけど、最後まで読むことはできた。ときにまた、読み返す魅力もある本なんじゃいか、と思う。
投稿元:
レビューを見る
言葉の持つ力について、考えさせられた。著者の言うことは、自分にハマっている。
読書することは、孤独になること。孤立ではなく。自分に向き合う時間になる。でも、言葉を書くことは、もっと自分に向き合う厳しくも慈しみ深い時間である。と、理解した。
そのほかにも、沢山の言葉が心に響いてきたのでメモしておく。
「さようなら」と彼は言いました。
「さようなら」と狐は言いました。
「僕の秘密を教えてあげよう。とても簡単なことだ。心で見なくちゃよく見えない。大切な事は目には見えないんだよ。」
「大切な事は、目には見えない」と、小さな王子様はよく覚えておこうと繰り返しました。
「君のバラをそんなにも大切なものにしたのは、君が君のバラのためにかけた時間だよ。」
「僕が僕のバラのためにかけた時間・・・」と、小さな王子様はよく覚えておこうと繰り返しました。
「人間たちは、この真実を忘れてしまった」と、狐は言いました。
「でも、君がそれを忘れてはいけない。君は自分が飼い馴らしたものに永遠に責任を負うことになる。君は君のバラに責任がある…」
「僕は僕のバラに責任がある…」と、小さな王子様はよく覚えておこうと繰り返しました。
これから
世の中に出ていく
君たちの胸には
たくさんの
希望や喜びの
予感があるのかも
しれない
でも ぼくは
君たちが
希望と喜びと一緒に
いくつかの
大切な悲しみに
出会うことを
願って止まない
真の悲しみは
本当に愛した者を
失ったときにだけ 経験できる
稀有な出来事
悲しみは いつの日か
愛しみとなって 美しみへと
姿を変じる
そのとき君は
君のままでありながら
新しい君に 生まれかわるんだ
自由は無私の精神と置き換えてもよいのかもしれない。自由の地平にもっとも早く、確実にたどり着けるのは自己犠牲的であろうとすることよりも、無私であろうとすることなのかもしれない。
自己犠牲的であるとき、人は、他者を大切にしているが、自分を苛んでいることもある。だが、無私であるとき、人は己の人生への愛を失うことなく、他者にも愛を注ぐことができる。無私の人は見返りを求めない。そして、自分が何をしたのかを覚えていない。
投稿元:
レビューを見る
ある想定したひとりの若い人への長い長い手紙。
生きるということ、自立と孤独、詩の力、人生が問いかけてくるもの、著者がひとりの若い人を通して私たちに伝えたいこと、知っておいてほしいことが丁寧に心を込めて愛情深く、時には厳しく綴られています。今生きていることの重みを感じる本でした。
著者の言う読み終わらない本を持てるように、いつも自分を助け、成長の糧となるような本を見つけたいです。
投稿元:
レビューを見る
孤立と孤独はちがう。孤立は、社会から追放されることで、これはあってはならない。でも、孤独はなくてはならない。それは、自分と向き合うことであり、今の自分にほんとうに必要なものを見極めるときでもある。
.
本はいかに多くを読むかが問題ではない。むしろ、どうやって「読み終わらない本」に出会うかが問題だ。
.
言葉という器には収まらないものはたくさんある。だから、絵画があって、音楽がある。彫刻があって舞踊がある。無数の芸術が、言葉からこぼれおちるものをすくいあげている。
文学は言葉によって言葉にならないものを表現しようとする芸術だ。
.
書くという行為は、料理に似ている。言葉という食物を書くことで「料理」にし、それを食べる。ほかの人のために作ることもできるが、ぼくたちは、まず自分のために作らなくてはならない。
.
あるときから人は、本を「あたま」で考えながら、読むようになる。知識を得るために読むようになる。だが、童話は「あたま」で読むことはできない。それは別なところで味わうことを求めてくる。
.
子どもにはむずかしいことは分からない、とよく言われる。でもほんとうだろうか。大人たちが世界を複雑にしているだけで、子どもはむしろ、世界の本質をしっかりとらえているのかもしれない。子どもの方が「孤独」の意味を深く感じているのかもしれない。
.
日本語の「自由」は“freedom”と“liberty”のどちらかではなく、この二つが折り重なったものなのかもしれない。それは「自らに由る」という語感だ。人は誰も、真の自己に忠実であるとき、ほんとうの意味で「自由」だといえる。
.
どう生きたらよいか迷っているとき、ぼくたちが探さなくてはならないのは、何が自分にとって得で、何が損かという判断基準ではなくて、たった一つの言葉なのかもしれない。
.
言葉の種子をはっきりと感じ取る方法、それは書くことだ。思ったことをどんどん書くのではなく、書きながら自分が何を思っているのかを確かめるように書くんだ。考えたことをそのまま文字にするんじゃなくて、むしろ、書くことで自分の心の中にあるものを知るように書くんだ。
.
人は何かを「作る」力をもっている。しかし、「生む」ちからもわが身に宿している。(中略)人生の困難にあるとき、ぼくたちを救うのは「作る」力だけではなく、さらにいえば「作る」力よりも「生む」ちからなんだ。
.
ぼくたちは、そのとき必要な本に自分で出会うことがなければ、いつも誰かに薦められた本を読んでいなくてはいけない。書店や図書館に行って、本を探す。「探す」というよりも本に「呼ばれる」ような経験をする。それが最初の、そして最重要の課題なんだ。
.
心の深みにある何かを言葉にすることで、君を、絶望の底から救い出すことができる。なぜなら人は、自分を救い出す言葉を自分のなかに宿して生まれてきているからだ。
.
投稿元:
レビューを見る
若松英輔さんの言葉は、温かく優しく繊細で誠実。その想いが、じんわり心にしみこんできます。ゆっくり少しずつ丁寧に読みたい素敵な一冊です。