投稿元:
レビューを見る
受刑者が自らの生い立ちや犯罪について語り合う刑務所での更生プログラムを映したドキュメンタリー映画『プリズンサークル』。そのプロデューサーが10代の若者と、映画に出演した加害者、被害者たちを集めて行ったワークショップの記録である。
万引きをやめられない青年。友人のために人を殺してしまった青年。中学生によるバスジャック事件で友人を殺害され、自らも重症を負った女性。それぞれの話は、今まで思っていた「加害者」「被害者」のイメージとは全く違っていて、犯罪というもののイメージが変わるものだった。
犯罪を犯してしまった二人に共通していた、自分は悪いことをしたのだから、誰にも話を聞いてもらえないという感覚を、刑務所という空間や、検察官や弁護士による聞き取りは、助長していく。その様子が、「加害者」の口から語られるのは、痛々しかった。
更生の意志を持っていても、それを助ける人がいるか。現実には、ほとんどいないことに、もやもやとする感覚が残った。
「被害者」となった人の話も、考えさせられるものがあった。
「許したわけじゃない」けれども、目の前でバスジャックを起こしている少年を見て、どうしてこの子は、こんなことをしているのだろう、と素朴に思う気持ち。自分が傷つけられ、友人を殺され、「加害者」を許せない、極刑にしてほしい。そういった単純な気持ちや思考回路とは、全く違った、「被害者」の複雑な心理が、「被害者」自身の口から語られる。
何かしらの犯罪に関わった人が、実体験を語る言葉が、この上なく重い本だった。
今回は、犯罪の「加害者」と「被害者」がテーマであったが、それ以上に、人には語りたくない人の経験を聞く、その心構えを問い直されたように感じる。
自分以外の他人、人の心の奥底を垣間見ざるを得ない人、そうした経験に触れてみたい人、そうした人たちに読んでもらいたい。
投稿元:
レビューを見る
興味があったけどなかなか手に取れないでいた(映画もみていない)「プリズン・サークル」の著者(制作者)による、中学生から大学生まで10代の若者4人との5回にわたるワークショップの様子を記録した本。
刑務所内のTC(回復共同体)のプログラムを撮影した「プリズン・サークル」をみたうえで、そこに登場した元受刑者(加害者)二人や別の事件の被害者となった人を一人ずつゲストにむかえて対話していく。加害者といっても多くは元被害/被虐待児(やその家族)だったりもする。被害者といっても、加害する立場が転じて被害を受けることになったケースもある。加害と被害の話は複雑でしんどい。対話形式なのでその気になればどんどん読めるが、自分も7人目の参加者になったつもりで考え考え、休み休み読んでいく。
自分の子らと同じ年頃の少年の起こした事件に巻き込まれ友人を失った山口さんの話(事件の渦中の言動もその後の気持ちも…)がとくに印象深かった。自分と似たタイプの人とも思えて。山口さんのお話で、最近言われるようになった「修復的司法」の意義についても具体的に腑に落ちた。司法や刑法というシステムからはこぼれてしまう「忘れられた存在(被害者)」や「無視された人(加害者)」の問題をこれからも考えていきたい。
世の中には生まれついての「悪人」なんてたぶんいなくて、環境やタイミングなどが相まってそうならざるをえなかったのだろう、とそれは前から思っていたことだったけれど、そこからどう回復というか生き直せるようになるか、「安心と信頼が感じられる居場所」が鍵かと思うが、いまの社会には難しい課題ばかりだと改めて思った。いろんな人に読んでほしい。とくに親や教師など、こどもに関わる人は一度は読んでみてほしいと思う。
巻末の作品案内が充実していて、芋づる式に読みたい本が何冊もある。
投稿元:
レビューを見る
プリズンサークルの著者
観た方がこの本楽しめる
対話形式で進められている
被害者と加害者
西鉄バスジャック事件
投稿元:
レビューを見る
自分が今まで関わったことのない人の話を聞けることがかなり新鮮だった。そして対話している4人が悩みながらも自分の言葉で言語化していくのを見て、「わからない」の一言で済まさずに思ったことだけでも言葉にしていくことの大切さを感じた。修復的司法という考え方を初めて聞いたが、確かに大切な考え方だと思う。もう少しそこについて勉強していきたい。
中学生の頃にこういう本を読みたかったな、と思う。
投稿元:
レビューを見る
映画「プリズン・サークル」を見てから、著者の本をいくつか読んでいますが、このタイトルにある、根っからの悪人っているの?という問いかけが常にあるような気がします。その答えは対話から導かれること、個別性があり、各人がその答えを考えるよう問われているように感じました。言葉は優しいですが、内容は決して優しくはなく、繰り返し読みたい本です。
投稿元:
レビューを見る
この本、とっても面白かったです!
10代など若い子向けの本を、親世代の私が読んでも、非常に感銘を受けたので、若い子が読んだら、きっと世界が変わるんじゃないかなと思います。
私も日頃から、悲しいニュースなどを見て、加害者の肩を持つわけじゃないけど、可哀想だな…こんな事件を起こす前に誰か気づいてあげられなかったのかな…と思う事が少なくなかったんだけど、少なからずそういう感情は抱いて良いものなんだと思いました。
この先もなくならないであろう学生のいじめ問題も、いじめられた方のフォローばかりではなく、いじめる方の子のメンタルのフォローを、何故もっとしてあげられないのだろうとも思う。
いじめないとやってられないメンタル状態ってことは、家庭や友人関係など、何かでストレスを抱えているのだろうから…。
このシリーズ、他の本も読んでみようと思います。
投稿元:
レビューを見る
どうしてこの本を手に取ろうと思ったのだろう。
きっかけは忘れてしまったけれど、暫くの間ずっと読んでみたいと焦がれていた。
「根っからの悪人っているの?」に対する答え。
わたしは「いない」と思う。
でも読む前にはあんなにもハッキリと爽やかな気持ちで「いない」と思っていたのに、読了後はなぜたか真っ白な霧の中に立っているような気持ちで、先の見えない曇りを前にして「いない」と思っている。そしてすぐその後に「難しい」と言葉を続けたくなってしまう。
何故だろう。
根っからの、生まれた時からの悪人はいない。それを作り上げてしまったのは環境だ。彼らの周りの環境が、彼らがそうならざるをえないような大きな影響を与えてしまったのだろう。
じゃあそんな環境が悪かったのか?
そんな環境を作り上げたのだってその周りの環境だ。
じゃあそんな悪の連鎖はどうやって断ち切ったらいいのだろう。
幼い頃殴られる、という経験を持って成長した人。殴られたことがない人と違って、その人は「人を殴る」というコマンドを持ってしまっている。
「人を撫でる」とか「抱きしめる」と隣り合わせに「人を殴る」が存在しているのだ。それは恵まれた環境を生きた人には存在しないコマンド。
そんなコマンドを持ってしまっただけで、その人はそれを使うか使わないか、という「選択」を迫られている。人よりも「選択」が多い状態だ。
じゃあ大事なのはそんな環境の中でそのコマンドを使わない選択をし続けること。彼らが使わないで生きれるように、恵まれた余白のある人たちが支えることではないだろうか。
本書で特に印象に残った言葉があった。
"両極にあるものに対する、「あいだ」にあるものは全部広場であるって考えれば、それをいかに豊かにしていくかって言うことが、いろんなことを紐解いていくきっかけの一つになるんだろうなって。"
「広場」を豊かにしていくこと。
言い換えれば、被害者と加害者のあいだを考えること、善と悪とのあいだを見つめること、自分と他人のあいだに意識を向けること、だろうか。
両極のあいだは矛盾と曖昧さを孕んでいる。そこにこそ現実はあるのだろう。
その価値観は、少年と他の人質とのあいだに立った女性と少年と警察とのあいだに立った女性、その2人の姿をしていると思った。
それは、これから私が生きていく上で、すごく大事にしていきたい価値観だった。
投稿元:
レビューを見る
創元社という出版社が最近リリースしている「あいだで考える」シリーズ。気になるタイトルの作品がとても多く本著もタイトルに惹かれて買った。オモシロ過ぎて1日で一気読み…自分の頭で何かを考えて言語化すること重要さを痛感した。
著者は映画監督であり、島根の刑務所でのTC(回復共同体)という取り組みに関する映画『プリズン・サークル』を撮った方。最初はその映画に関する感想の語り合い、そして映画内で実際に登場した受刑者(つまり加害者)との対話、さらには西鉄バスジャックの被害者との対話という構成。特筆すべきはその対話会に参加しているのは中学生〜大学生までの若い人達という点。私たち大人は子どもを幼い存在だと甘く見ることも多いかもしれないが、彼らの芯を捉えまくった意見の数々に何度も「そうだよなぁ」と納得した。なかでも「まほ」という女の子の発言は借り物ではなく自身からうねり出てきているようなワードが多くラッパーか詩人になれるのでは?と思うレベルだった。一部引用。
*誰かと話すっていうことは、自分を相手と同一化して、相手と同じようになろうとすることじゃなくて、私と相手のあいだに「3つめの空間」をつくるような感覚だと思ってて。そこにお互い招き合う。お互いを招き入れる。「理解」っていうことは必要だと思うけど、それは同一化とか同情じゃない。*
*優しい気持ちとか、正しい気持ちが育っていくことだけが大切なのではなく、攻撃的な気持ちとかも含めて、どれだけ心が揺れたかっていうのが、その人の、人生になっていくというか。
誰でも、ささいなことで感情が動いて、崩れ落ちてしまいそうになることってあるじゃないですか。その時、自分の中に、「柔らかいもの」がいかに存在しているかが大事だと思ってて。*
加害者が若い人達と対話しながら、加害と被害の関係について議論していく。しかも傷害致死、強盗致傷といった割と厳しい前科の話から自分の生い立ちまで詳らかにしながら。なかなか見聞きできない場面の連続で読む手が止まらなかった。印象的だったのは感情の筋肉ことエモーショナル・リテラシーの話。自分に起こった事象に対して、どういった感情を抱いたか言語化する訓練を行い他人に話せるようになることで暴力を防ぐ。感情の筋肉が家庭環境によって身につかないケースがあるからこそ加害と被害の輪廻が止まらない。ここにタイトルである「根っからの悪人はいるのか」という話が接続し読者は思考を促される。感情の筋肉をつけることで自身の感情をコントロールする、また自分を愛することができるようになって初めて他人の痛みに気付く。ひたすらに加害者を追い込んでいこうとする今の社会情勢とは真逆の議論がそこにはあった。こういう議論を若い時にやっているかどうかは後の人生に大きな影響あるだろうなと思えた。映画の『プリズン・サークル』は配信されていないようなので書籍版を読んでみようと思う。
投稿元:
レビューを見る
映画プリズンサークルを見ました。
映画に出てくる元受刑者と青少年との対話等が中心です。佐賀バスジャック被害者の方との対話もあります。
心に響く、考えさせられる内容でした。
大切な本になりました。
投稿元:
レビューを見る
映画『プリズンサークル』を見ていれば、もっと深い感慨があるだろうが、見ていないので純粋にこの本のみの感想である。
他のさまざまな本、研究でも言われている通り、犯罪者は生育環境に問題があり、自分が大切にされた経験が極端に少なく、そのため自尊感情が育たず、自分の感情を殺す傾向にある。そうしなければ虐待や貧困などに耐えられないからだ。この本に出てくる元犯罪者も、そうである。普通の若者たちが、対話と学習によって、「犯罪者」と自分の間に理解不能な溝があるわけではないことを、自ら理解していく過程が描かれている。
とはいえ、こういう集まりに参加する若者というのは意識が高い若者で、これに参加しなくてもこの答えにたどり着いたのではないかと思う。もちろん読んで考えたことより実際に交流して考えたことの方が深く残るので、これはこれで良いとは思うが、こういう集まりに参加しない大多数の人たち、「プリズンサークル」も見ず、本も読まない人たちにどうわかってもらうかは難しい。
子ども食堂(本来国がどうにかすべき問題を善意の一般人におしつけ)の必要性が増す日本社会で、子どもの育成環境を良くすることが、未来の犯罪防止に繋がると、どれだけの人がわかっているだろうか。
刑務所内のTCも大事だが(それが全国に一ヵ所しかない日本!)、子どもが他者に大事にされる世の中になって欲しい。
投稿元:
レビューを見る
本当に以前犯罪を犯した人と本物の被害者が話し合う1人として参加することで、ヒリヒリするような緊張も生まれるが、同時に「事実である」強さを感じ、深い理解に繋がっていく。
・加害者は過去に被害者であったことが多い。
・受刑者が自分の感情に気づくTCがもっと広がってほしい。
・加害者と被害者が対話できる「修復的司法」が広がってほしい。2023年度から始まったらしい制度(刑務所や少年院の職員を媒介するもの)がその第一歩になればいい。
「根っからの悪人にさせない方法は、ある気がする。その余地は全然ある。」という一文、いいなぁ。
「あいだで考える」シリーズの本気さがよく分かった。
投稿元:
レビューを見る
自分の感情の筋肉を鍛えていくこと、それは自分もまだまだできていないと感じた。
「自分が今この瞬間に何を感じているか?」という意識が無くなってしまうほど、日々の仕事に追われていたり。それを考えないように、周りに合わせるように半ば強制された学校という教育の場での過去があったり。筋肉を使わない癖が知らない間についてしまっていたのかもしれない。その存在を忘れてしまうほど。
社会では、対話の機会は本当に少ない。自分と違う意見や感情と対峙することはすごく体力を使うけれど、人と人とが共に生きていくために必要不可欠な場であることを再確認した。分かり合えるかは定かではないけれど、歩み寄ること、優しい第3の空間を創り出そうと努力することが重要なのではないかと思う。
投稿元:
レビューを見る
もっと禅問答と言うか、本質邸な部分に切り込む内容かと思いましたが、題名が表すような内容ではありませんでした。もうちょっと濃い目の議論が展開されて欲しかった。
投稿元:
レビューを見る
#根っからの悪人っているの
#坂上香
#創元社
気に入った #あいだで考える シリーズです。#プリズンサークル という映画を作成した映画作家がファシリテーターとなり、一般の若者と映画に出ていた少年犯罪の加害者(被害者でもある)と被害者が対話する。居場所と対話。誰にでも必要なものなのだ。
投稿元:
レビューを見る
配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。
https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=01426477