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【期間限定価格】無常という力―「方丈記」に学ぶ心の在り方― 新着
著者 玄侑宗久
何が起ころうと悩まない。決めつけない。そして全てを受け容れ揺らぎ続ける。それが自由になることであり、強くなることであり、未来を楽しむことである――。幾多の天災人災を経験し...
【期間限定価格】無常という力―「方丈記」に学ぶ心の在り方―
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無常という力 「方丈記」に学ぶ心の在り方
商品説明
何が起ころうと悩まない。決めつけない。そして全てを受け容れ揺らぎ続ける。それが自由になることであり、強くなることであり、未来を楽しむことである――。幾多の天災人災を経験し綴られた鴨長明の境地を今に重ね読み解く。フクシマに暮らす著者だからこそ語れる、無常を力に変えてしなやかに生きぬくための智慧。
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紙の本
遅かれ早かれ死から免れないという状況の中で、善く生きるということは何なのか
2012/01/23 11:12
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
数ある宗教の中で仏教は比較的穏やかな宗教だと一般的には思われるかもしれないが、本書を読む限り、仏教も大変厳しいものがあるということを再認識した。
本書で著者は以下のように言っている。因みに著者は福島から遠く離れた安全な場所で発言されているのではなく、正しくフクシマにてこれを言っている点は付け加えておく。
「しかし(放射能に)悩まずにいようではありませんか。自分が感知しえないもののためにうんざりするのは仕方ないが、わざわざ悩みを深める必要はない」(55頁)
「放射線量は低ければ低いほどいいという考え方があります。しかし、じつはそうではないかもしれない。」(60頁)
著者のこういう発言を科学的な見地から見て正しいかどうかは不明である。本書で著者が引用している科学的データや科学者の発言に関しても、それが正しいかどうかを判断出来る知見が僕には無い。
但し、著者は科学として上記を発言したとは僕は思わない。仏教という立場で放射能を語っていると僕は読んだ。
本書で著者は鴨長明の方丈記を読み解くことで、仏教というものの厳しさを説いている。全ての執着心を捨て、「執着心を捨てた自分」すらも捨てなくてはならないという仏教の在り方がそこにはある。
その場所から今回の震災を見直した場合に違う風景が見えてくるということなのだろう。上記発言に関しても「放射能が体に悪いかどうか」という科学的な見地を突き抜けたその先で、「放射能という煩悩からどうやって抜け出すのか」、「放射能に執着する心」をどうするのかという問題を提起している。全ての人は遅かれ早かれ死から免れないという状況の中で、善く生きるということは何なのかという問題に組み立てなおしたとしたら、あるいは上記のような発言も可能なのだろう。
それをフクシマという場所で著者に言わせているのが仏教の厳しさであり、同時に仏教の勁さでもあるのではないだろうか。それが僕の読後感である。
紙の本
無常とは
2012/01/27 12:00
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Qちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「方丈記」に、これからのフクシマのこれからを見出して行こうとするメッセージが込められた1冊。
講演録になっているので講演会を聞いた方もそして聞かなかった人にとっても文字となり何度も読み返すことができるので、内容的には理解しやすいかと思う。
玄侑さんが説くフクシマでの震災後はほんのさわりであり、まだまだもっと厳しい状況が続いており、被災された方の気持ちを分け合うことはとても出来ないとは思う。
「揺らげ、揺らぎつづけろ」「風流であれ」と言われても、そこまで達観して物事を見れないのが本当のところではないだろうか。
現代語訳「方丈記」は、僧侶としての見方が如実に現れているし一読の価値はある。しかし我ら凡人にはそこまでいけるかというとかなりの疑問を感じる。
フクシマの苦悩を忘れない為にも一人でも多くの方に読んでいただきたいと思う。