サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

新規会員70%OFFクーポン

生き屏風 みんなのレビュー

  • 田辺青蛙
予約購入について
  • 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
  • ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
  • ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
  • 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。

みんなのレビュー5件

みんなの評価4.3

評価内訳

  • 星 5 (2件)
  • 星 4 (3件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)
3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本生き屛風

2008/10/25 23:30

田辺青蛙「生き屏風」を読んで

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:杉山あつし - この投稿者のレビュー一覧を見る

文芸評論家、東雅夫氏の推薦文にはどこか香具師の口上のようなものを感じる。虚空から薔薇をつかみだすような手品のような瞬間性の魅力とでもいうべきか。しかし、加齢とともに嗜好が変化し、そんな魅力的にすすめられる品々もこのごろはむなしく見送ることが、私は増えてきていた。
しかし、田辺青蛙氏の「生き屏風」における東雅夫氏の推薦にひさびさにのってみようという気になった。私が偏愛してやまない梨木香歩氏の「家守奇譚」との関連性が指摘されていたからだ。
「生き屏風」を読了し感じたのは、この作家にとって怪談という表現形式は必然的なものだということだった。つまり、狭間でいきることの苦悩をえがいた節のある表題作(作中の基本構図となる、死者と妖との対話という状況から窺えるだろう)には、おそらく、作家の表現者と生活者としての葛藤も仮託されているのではないだろうか。ゆえに「怪しい話」という側面から「怪談」という語彙を規定するのであれば、この作家において「怪談」は理想的な場といえる。
表題作をおおう「夕焼け」には、西洋的な黄昏の意味あいよりは、日本的な「逢魔ヶ時」的な日常と非日常の混在を促す時制としての採択としてみるのが妥当であろう。いずれにしても作中における「夕焼け」は現実世界の朧化を促している。
この連作集をよみおえて感じたのは、三橋一夫のまぼろし部落シリーズとの近似であった。人間と非日常的な場の住民たちが仲良く暮らす空間を描いた連作であるが、そうした理想郷的なものへの憧憬も田辺氏の作品集からは感じられる。
この作品集において私がもっとも評価するのは「猫雪」である。東雅夫氏も解説で絶賛しているが、作中に展開される作家の全方位的なまなざしを感じさせる雪の描写は秀逸だ。特に発想力に作者の力を感じる作品集である。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本生き屛風

2008/11/09 12:57

「ここではないどこか」の物語

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:侘助 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 一冊の本を読み進めるうちに,いつまでもページが途切れなければ良いのにと思うことがある。それは幸福な読書体験である。作中の世界にどっぷりと浸り切り,現実への帰還を拒否したくなる。本書は久しぶりに私にそのような思いを抱かせてくれた。
 往古より「あやかし」は人によって「語られる」存在であった。ある時は史料に恠異として記載され,またある時は口碑として採話され,そしてまたある時は囲炉裏端における古老の語りや,怪談会の場で「あったること」として披露される。その何れにおいても「あやかし」そのものが言葉を発する訳ではなく,それは常に人の口を媒介として我々の側に立ち顕れる。
 しかしながら,本書では常に「語られる」存在であるはずのあやかしそのものが,自らあやかしを「語る」という逆転の位相が中核を成している。この逆転は実に小気味よく,読者を作品世界へと誘い,決して飽かせることがない。
 私が本書に没頭した別の要因の一つに,読み進めるうちに胸中に湧いた,言いようのない郷愁がある
 作中の世界はどこか明治・大正期の日本を思わせる。登場する村人の名前や,風俗描写から,舞台は恐らく古き良き時代の日本なのではないかと想像される。しかしその傍らで,道士が影響力を持ち,花精が現れるなど中国的な要素も見られる。またその一方で,「非生物」「呪術的」「策略家」「捜索」といった現代的な修辞も散見し,ひょっとするとこの世界は,今私のいる世界と地続きなのではないだろうかとも錯覚させられる。
 このような要素が巧みに組み合わされ精緻に描かれる世界は,知っているようで本当は知らない,それでいてどこか懐かしさを感じさせる「ここではないどこか」に他ならない。私の抱いた感情は,その身近なようで決して手の届くことのない異世界に対する憧憬であるのかもしれない。
 蛇足ながら,作中に登場する現代的修辞は作品の価値を貶めるものではないということを強調しておきたい。気になる向きは「四つ足・けもの」「まじもの・まじない」「策士」「山狩り」と置き換えて頂ければ事足りるであろう。先に挙げた表現は,現実と虚実の境界を淡いものとする意味で成功しており,決して作品の瑕疵となるものではない。
 ふと,本書は国立国会図書館に無事納本されたであろうかという問いが頭を擡げる。
 本書に収録された作品は,その何れもが時代の流れと共に被る風化とは無縁であるように思われる。もし百年後の未来に稀代のアンソロジストが現れ,過去の時代を振り返り,平成の怪談文芸の潮流を総括する一冊を編む時が来るとしたなら,本書に収録された決して色褪せることのない作品が,収録の栄に浴することは想像に難くない。ただ一つ残念なことは,私自身がこの眼でそれを見届けることが出来ないであろうことである。
 本書に冠せられた「ホラー」というレーベルに惑わされることなく,出来るだけ多くの人に手にとって欲しい一冊である。
 表紙を捲り,扉を開けば,異世界を巡る至福の体験が出来ること請け合いである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本生き屛風

2008/11/06 14:24

煙管の煙が目に染みて

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:菊理媛 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私は根っからホラーやオカルトは嫌いな性質で、子供だまし程度でも「お化け屋敷」などというものには近づきたくも無い人間である。真夏であっても、その類の映像は予告を目にすることさえも避けたし、ましてその手の本を好んで読もうと思った記憶もない。
 この『生き屏風』をなぜ手に取ったのかについては、自分のことながらよく分からないくらいで、読み終わった今考えても「なぜ?」と思ってしまう。しかしながら、読み終えた感想としては「粋」とか「洒脱」、あるいは「風流」という言葉さえ似つかわしい作品であり、「恐ろしい」という感覚はまったく感じなかった。
 帯に「ホラー小説」と書いてあるのだから、「恐ろしくなかった」などと書くと貶し言葉になってしまうのかもしれないが、「面白かった」と言って憚らないので、私なりの褒め言葉だと思っていただきたい。
 主役は妖鬼の娘。名は皐月と可愛らしが、父は人に育てられた鬼であり、母は花塊という妖とある。なんとなく父の姿は想像できるが、母の姿は皆目わからない。花の塊というからには美しいのか? とは思う。しかしながら、主人公の皐月は「へちゃむくれ」と屏風中の奥方に言われ、「狐妖と比べて綺麗じゃない」と菊の精に言われ、散々である。しかしながら、そう言われて怒るでもないあたり、かなり性格美人と見受けられるし、妖鬼といってもオデキのような角を前髪で隠せば、見た目には人と変わりない姿の娘のようである。とはいえ、人の一生とはかなり時間基準の違う生を送っているらしく、県境に住み着き、外部から入ってこようとする邪気や病を防いでいる彼女は、赤ん坊が長老と言われるころになっても、まだ変わらすそこに居るのだという。
 土地を守っているのだから、元来、悪い者ではないという認識にいたる。入り込もうとする邪気や病をすべてを祓えるわけではないけれど、力の及ぶ限り人の生活を守ってくれる者とあらば、守り神みたいなものではないかと思う。物語中、神と妖しの違いについてなども、私見程度だけれど書かれていて、なかなか興味深いものがあった。
 さて、日本ホラー小説大賞の短編賞を受賞したという「生き屏風」。皐月がいつものように生活しているところへ、近所の酒屋の小間使いがやってくる。その酒屋では、一昨年前に亡くなった奥方が夏場になると屏風の中に現れて我儘放題を言って家の者を困らせるので、人ならぬ皐月に彼女の相手をして欲しいという。あまり気が進まないながらも出かけてみると、口は良くないがなんとなく気の合いそうな奥方が、まっかな屏風の中にいて。。。
屏風中の奥方は、商家の妻女というよりは置屋の女将といった感じの粋な女性で、三味線を爪弾きながら小唄を口ずさんでいる婀娜っぽい姿が似合う女性が想像される。生きていたころは体が弱かったため外出もあまりしなかったという色白の肌と、半開きの赤い唇に寄せたガラスの煙管から漂う赤や紫の煙という描写が、えも言われぬ美しい絵を想像させてくれる。(もっともディズニーの『不思議の国のアリス』に出てくる幼虫の姿とも多少はダブらないこともないが)
 死んでなお、この世に居つき、残した者たちに我儘を言う奥方の、ちょっと捩れた愛情が見え隠れする。読み手には、この世に残した旦那に対する愛情が見えるのに、居着かれた旦那は迷惑なばかりのようで、邪魔をされていると思いこんだ手つき女には火をつけられそうになる。それを旦那が止めるのも、死んだ女房がかわいいからでなく、家が燃えては困るからであり、悪鬼となって祟られてはたまらないからという、心根で比べればどちらが妖怪か分からないような心情が語られる。
 なんとなく胸が痛くなるような展開だが、最後にほっとするような一文があることで、心が和んだ。
 恐ろしげだが、尋常ならぬ美しい妖の女。生きてはあるが、了見の狭い愚直な人の女。屏風の奥方や里外れに住むの狐妖の方が、旦那のお手つき女や、(狐妖の宴に出てくる)八つ当たり娘よりも、粋に婀娜っぽく、美しく描かれている。
 もっとも、生身の女たちの描かれ方も、生身ならば当たり前という程度のものではあるけれど。一人、「猫雪」に出てくるお妙さんが、生身の女の面目を躍如してくれているのが救いと思う。
 収録の作品どれをとっても、ホラーというには優しく、美しい情景の話に仕上がっている。ホラー嫌いの私としては、ちょっとしたカルチャーショックな作品だった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

3 件中 1 件~ 3 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。