われらの時代(新潮文庫) みんなのレビュー
- 大江健三郎 (著)
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紙の本われらの時代 改版
2009/05/06 18:01
読了できず……!
5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:石曽根康一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕は以前、「村上春樹と大江健三郎は教科書を読むように読んでいる」と書いた。
『われらの時代』は本屋に行ったとき、気になった本で、結局は隣の『同時代ゲーム』を買ったのだが、家に帰ってきてから、読みたくなったので、図書館で予約した。
その前にbk1で購入した『私という小説家の作り方』(新潮文庫)を読んだのだが、その中で大江健三郎は次のように書いている。
「私はこの文章を書く準備に、これまでの作家生活で書いたすべての小説を展望した。私は自分が生きてきた時代と社会をよく描いてきたろうか? いまも新潮文庫版で生きている長篇のうち『われらの時代』『遅れてきた青年』『日常生活の冒険』をその他の版では再刊しないことにした。(中略)小説としてかたちがよくととのえられていない、と感じたからだ」(p160)
それで、『私という小説家の作り方』の裏表紙には次のような文章がある。
「小説中の「僕」とは誰か? ジャーナリズムや批評家をアテにせず小説を書いていくには? なぜ多くの引用をするのか? 失敗作はどれか?」
この「失敗作はどれか?」に当たる文章は全体を読んでみたところ、上に引用した160ページのものしか見当たらない。
まあ、裏表紙の文章は作者本人ではなく、編集部が書くのだろうが、こういう書き方を大江健三郎が拒否しなかったというのは、あまり重視してもいけないかもしれないが、一つの指針になる。
しかし僕はそれでも大江健三郎の小説は全部読む!と気をふるい立たせて、ページをめくっていった。
そして気分が悪くなってしまった。まったく官能的ではない性交渉の描写、猫の流産の描写……、そして主人公兄弟のビールを飲みながらの会話、その会話をし終え別れた後に感じる兄の気持ち。
そういう全部がごたまぜになって、僕は続きを読むという気力を失ってしまった。しかしある意味これは僕にとっては敗北だった。「教科書を読むように、全部」読むことを断念したからだ!
結局、パラパラと最後の方のページをめくってみて、どういうストーリーなのかを確かめて、図書館に返却した。
『われらの時代』の何が僕に合わなかったのだろう。それをうまく言葉にできないが、この作品に近いもの―内容の類似点もある―として講談社文芸文庫の『叫び声』を僕はすすめたい。『叫び声』は僕も読了することができた。
実は村上春樹の小説でも『回転木馬のデッド・ヒート』の中のある小説の断定調の文章にいやになって、その本を最後まで読まず、放り投げたことがある。
つまり、僕は「教科書のように読む」と言いながら、二重の意味で落第生なのだ。
大江健三郎は今も現役の作家だ。講談社の「書き下ろし100冊」で新作を出すみたいだから、それを楽しみにしながら、しばらく経ったら、買っておいた『同時代ゲーム』を読もうと思う。『同時代ゲーム』については、『私という小説家の作り方』でこう書かれている。(一部文章をおぎなった)。
「ノーベル賞の選考委員会評ではこの小説(『M/Tと森のフシギの物語』)と『万延元年のフットボール』がもっとも重視された。それでも私がなお抱くもうひとつの野心は、こうだ。今度は『M/Tと森のフシギの物語』に対して、そうではない(原文傍点)と異化の声を発しつつ『同時代ゲーム』にたちかえってくれる批評家、読者が現れてくれればどんなに倖せだろう……』(p98)
『同時代ゲーム』、期待して読みたいと思う。
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