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紙の本
此一戦 日本海海戦記 (中公文庫)
著者 水野広徳 (著)
後に東郷ターンといわれた敵前大回頭、艦内水兵の会話、秋山真之が敵艦に乗り込み降伏を迫る場面…。バルチック艦隊を撃滅した大海戦に水雷艇艇長として従軍した水野が描いた戦闘の実...
此一戦 日本海海戦記 (中公文庫)
此一戦 日本海海戦記
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商品説明
後に東郷ターンといわれた敵前大回頭、艦内水兵の会話、秋山真之が敵艦に乗り込み降伏を迫る場面…。バルチック艦隊を撃滅した大海戦に水雷艇艇長として従軍した水野が描いた戦闘の実像。両艦隊比較表、戦闘航跡図等も掲載。【「TRC MARC」の商品解説】
皇国の興廃、此の一戦にあり。バルチック艦隊を撃滅した大海戦に水雷艇艇長として従軍した水野は、後に東郷ターンといわれた敵前大回頭、艦内水兵の会話、秋山真之が敵艦に乗り込み降伏を迫る場面など戦闘の実像を描く。両艦隊比較表、戦闘航跡図、艦艇図版を掲載。櫻井忠温『肉弾』に並ぶ日露戦ルポルージュの白眉。〈解説〉長山靖生【商品解説】
著者紹介
水野広徳
- 略歴
- 水野広徳
一八七五(明治八)年、愛媛県生まれ。海軍兵学校卒。水雷艇の艇長として日露戦争に従軍、戦後軍令部出仕となり、日露海戦史編纂に従事。一九一一(明治四四)年、『此一戦』を博文館から刊行、ベストセラーとなる。一四(大正三)年、日米架空戦記『次の一戦』を刊行するが、絶版処分に。その後、欧州留学や視察で第一次世界大戦の惨状を直視、二一(大正一〇)年に参政権付与を提言した「軍人心理」を寄稿し、謹慎処分を受け、海軍の職を辞した。以後軍縮運動に身を投じ、日米戦争を分析し日本の敗北を断言した『新国防方針の解剖』を発表、以後、「中央公論」「改造」誌上にて日米不戦論、軍部大臣現役武官制廃止などで健筆をふるい、さらに統帥権独立憲法違反論を主張するなど、当局の監視下、平和主義的軍事評論家としての姿勢を貫いた。著書に『次の戦争』『海と空』『秋山真之』『秋山好古』など。近年には『水野広徳著作集』(全8巻 1995)が刊行された。
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紙の本
手に取りやすい文庫版の刊行は慶事。しかし難点も。
2023/02/26 09:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アルテミス - この投稿者のレビュー一覧を見る
私がhontoに『此一戦』のレビューを書くのは3度目になる。
1度目は、2004年の明元社で初めて水野の文章に触れた時。
2度目は、2008年、明治44年の博文館の版に、水野について多少知識を蓄えた後。
今読み返すと青臭くてこっぱずかしいのだが本編に対する評価は基本的に変わらないので、今回初めてhontoに書くとしたら、大筋において同じ文章になる。
であるので、今回は内容ではなく、この版について書く。
手に取りやすい文庫版の刊行は喜ばしい。
これまで新本を入手できるのは上記明元社の版と、2010年国書刊行会の現代文に改変したものの二種だが、いずれも2000円以上する。こちらは1000円でおつりが来るし、出先で読むなら文庫の方が荷物にならない。
昭和4年の改造社版に書かれた「著者の言葉」「年譜」を収録しているのも良い。
明治の版から付いている自序は文章が硬い。現代人にはこちらの方が文体がなじみやすい。あとがきから読む習慣のある人には、水野の文章に入りやすくていいだろう。本編にもだいぶ砕けた章があることだし。
しかしながら、難点もいくつか。
まず、カバーイラスト。
巻末に収録の写真を参照したのであろうが、煙突の三本線は平時のもので、戦時は視認性を低めるため濃灰色に塗りつぶされていた。日本海海戦時の三笠としては間違いである。14ページ掲載の絵画を参照されたい。
おそらく底本をスキャンしてテキストデータを作成したのであろうが、「暇なきによるものあらん」「そのよってきたるゆえんを」の「よ」に当たる文字が、「因」でなく「困」になっている。
スキャンの性能が低いか、あるいは逆に優秀すぎるOCRが、現代ではこの場合の「よ」を漢字で書くことはほぼないので、勝手に「困る(こまる)」と判断したか。いずれにせよ校閲で気づくべきであろう。
長山靖生氏の解説の末尾に「水野の墓がある松山市の正宗寺には水野の歌碑が建っている」とある。
確かに正宗寺の境内、子規堂の前に歌碑は建っている。しかし、墓があるのはそこから徒歩で数分離れた蓮福寺である。日露戦争の翌年に水野自身が水野家累代の墓として建て、後に自分も入ったもので、墓のそばには『水野広徳著作集』を編纂した南海放送による刊行記念碑も建っている。
おそらく、『著作集』の編纂に参加した前坂俊之氏がなぜか墓の場所を正宗寺と思い込んで何度もそう書いているので、その影響であろう。
カバー折り返しに「著書に『次の一戦』『海と空』『秋山真之』『秋山好古』『水野広徳著作集』(全八巻)など」とあるが、『海と空』よりもそれを倍以上に膨らませ、刊行直後に発禁処分を受けた『打開か破滅か 興亡の此一戦』を挙げるべきであろう。また、『秋山真之』は立案監修のみ、『秋山好古』は、水野の友人であり後に彼の伝記を書いた松下芳男との共著、『著作集』は没後の編纂である。
個人的には、『戦影』を加えたい。
巻末に収録の「年譜」にも水野自身が「著者もっとも会心の作」と書いているが、実際読み物としては『此一戦』よりこちらの方が面白い。初版時に売れなかったのがよほど心外であったと見え、後に再刊したものへの読者からの手紙が松山市の子規記念博物館に残っている。東京の自宅が空襲で全焼したのにファンレターが残っているのは、大変喜んで疎開先にも持って行ったからであろう。
最後に、おまけの豆知識。
181ページに「朋友飯とかいってシンのあるやつ」とあるが、炊き方が下手で芯があるとなぜ「朋友」なのだろうと思っていたら、1944年、終戦の1年前に刊行の『少年版 此一戦』に「(朋友に信あり)」とあって理由が判明した。