紙の本
「使命」とは「命を使う」と書く
2014/04/16 15:58
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ytniigata - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの日、千年に一度という大地震と大津波を、私たちは報道で知った。
あの日、安全神話が崩れ、日本中を不安に陥れた原発の真の姿を、私たちは見た。
ヘリコプターから撮影された津波の映像は、田畑が呑まれ、街が失われ、人々の命が奪われていく「今」を伝えていた。その「今」のなかで、人の命を救うために「人としての使命」を果たし、自らの命を落とした記者がいた。反対に、迫りくる濁流を前に、今まさに呑みこまれゆく老人と幼子を助けることができず、自らは生き延び、震災から3年、「記者としての使命」を果たしながら、葛藤し続ける記者がいた。
人命か。報道か。
使命とは何か。
本書の中で、紅蓮の炎をあげる街を写した記者は語っている。「自分の身の安全が二の次になっていました。(中略)新聞記者というのは、危険なところへ一歩でも前へと突き進む」
『記者たちは海に向かった』──本書には、津波に向かった記者たちの、放射能のただ中に向かった記者たちの、ジャーナリストという「宿命」、大震災という「運命」、そしてそれぞれの報道人として、人としての「使命」 が克明に記されている。その様は「人は宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃ゆ」の言葉さながらの真実だ。
奇しくも、この本が出る前に父を亡くした。
大腸癌、肺癌、咽頭癌を経てもなお、生きる希望を持ち続け、誤嚥でつぶれた肺で最後の最後まで呼吸をし続けた父は、モルヒネ投与後に自らの力で起き上がり、「遺言」を私の掌にしたためた。深い眠りに着いた父の顔は安らかだった。そこには、文字通り命を使いきり、「使命」を果たし終えた父親としての顔があった。
今、私たちは「mission」という言葉をあまりにも安易に使ってはいないだろうか。使命より任務の意で、この重い言葉をあまりにもたやすく多用している。そのかたわらで、津波に襲われ、放射能に汚染され、放置され、見捨てられ、腐敗していく多くの屍がまだ発見されず、無念の声なき声を発しているのも事実だ。多くの死のなかに、命がけで「人としての使命」をまっとうした崇高な生がある。
「使命」とは「命を使う」と書く。
記者の使命とは何か?
「そのとき」人として何ができるのか。
「そのとき」人としてどうするか。
福島の「そのとき」と、新聞人たちの「真実を報道しよう」とする姿に胸揺さぶられる一冊だ。
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綿々と続く紙齢を絶やさぬように、手を尽くす新聞社員達。
己の仕事に対するプライドの高さは見習うべきことが多かった。
これだ。
お客さまは、何を求めているもの、それを一時も絶やさず提供し続けなければならない。
これが使命であり、果たすことで存在意義が認められる。
まだまだ自分の考えは甘い。
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東日本大震災、津波と放射能の現場で、福島民友新聞の記者達がどんな行動をしたのか?津波を撮るために、海に向かった若手ホープ記者・熊田さんは、どんな思いで現場に出向き、そして命を失ったのか?
生きる側も亡くなった側も紙一重だったのは間違いない。せつく辛い気持ちを、ノンフィクション作家の門田さんが拾い上げて、丁寧にまとめあげている。
誰がいい、悪い、とかではなく、そこにあった当たり前の生活を失った地域の人々と新聞記者たちを丹念に描いてくれます。
関係者の思いがこもった、2011年3月12日の福島民友新聞が読みたくなりました。
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東日本大震災を体験した福島民友新聞の記者たちの記録。紙齢をつなぐためにギリギリの闘いをする記者たちに胸が熱くなる。また、未曾有の大震災に遭いながらも取材を続ける記者たちや配達を諦めない販売店の姿は感動した
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私と縁のある人の話ですので、これまで読んだ本とは違って特別なものです。
どうかみなさん読んでください。
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3・11のあのときの緊迫感が伝わってくる作品。
民友新聞(福島県)の新聞記者達の体験して、見た地獄絵図。
記者として、撮り続けるという仕事。
後悔と悔しさと、情けなさと。
それでも新聞を作るという事を諦めない。
読者が待っているから。
そして、津波の後と原子力の見えない恐怖。
ヒシヒシと伝わってくるその時の状況。
でも。
あえて一緒にする必要性は無かったような気がする。
前後作として、前編は新聞、後半は放射能とかって分けた方が読者的には解りやすい。
話しが飛んでしまうので、時系列的には何も間違っていないのだろうけど、読んでいてちょっとウンザリ。
私であれば、『上段・下段』で分けるかなー。
上段で新聞のその時。
下段で放射能のその時。
それであれば、読者的にもパッと見『何これ?』的に思うだろうし。
時系列が同じ時に起きているなら問題ないと思う。
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自分の命を捨てての人命救助も尊いことだけれど、自分の命を家族に届けるのも大事なことです。木口記者に思い悩むことは無いと言いたいです。それにしても、新聞を出すという情熱に感動しました。
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「紙齢をつなぐ」という言葉を初めて聞きました。
記者魂とか聞きますが、新聞記者という人たちはこんなにも新聞に命がけで向き合っているものかと大変驚きました。
記事を創る人、紙面を創る人、印刷する人、配達する人まで一丸となって「情報を届けなくてはならない」という執念にはすさまじいものを感じます。そして日本人ならではという気もします。
そしてこの中には東電の幹部も登場しますが、同じ地域に暮らしていたもの同士と言うことを考えるとここに芽生えてしまった大きな埋めようもない溝はなんて容赦ないのだろうとつくづく感じさせられます。
ある人が喪われた記者にしてあげる、ある行為のシーンを読んだ時、涙が止まりませんでした。きっとあの地震で亡くなられた一人ひとりに大切な人生の物語があっただろうにと思うと言葉に出来ない思いで胸がふさがります。
自分を責めることはない、と多くの人の言うように私もこの自分を責めている記者さんには言ってあげたい。
でもこの記者さんがどうしても自分を責めてしまう気持ちも止めたくても止められないものなのでしょう。ただ、自分と家族を大切に生きて欲しいです。そしてこういう人が記者という仕事をしているということを覚えておきたいと思います。
消防士や警察官など人を守る仕事をしている人には自己犠牲がつき物のようにドラマなどでも表現されますが、
現職の方から聞きましたが、そういうスペシャリストこそ自分の命を最優先に考えなければより多くの人は救えないものだと叩き込まれるそうです。それはやはり技術や手段があるからです。
自己犠牲は尊い。誰でも出来ることではありません。でも自分の命を投げ出しても救いたいという自分のことも、誰かが命を投げ出してでも救いたいと思ってくれているかもしれません。命の比較はできないってそういうことだと思います。気持ちとしてはあっても誰かを救うために死んでもいい命などあるわけがありません。
こんなやりきれないことが起きてしまうのは人間の力及ばない領域としか言えないようにも思います。
巻頭に写真が数枚ありますが、読後見直すと一段と胸に迫るものがあります。よくぞ撮ったな、と思います。
福島民報と福島民友を目にする機会がありますが、これからは一段と真摯な気持ちで紙面に目を通したいと思います。
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地元新聞社である福島民友新聞、そして福島民友新聞の新聞記者たちを通して書かれた東日本大震災の記録。
新聞記者たちは、震災、津波、原発事故という異常事態下においても、新聞記者だった。
ある記者は、目の前に突然津波が押し寄せてきた時に、思わずカメラを持ち写真を撮ろうとする。孫を抱えた老人が現れ、記者のほうに逃げてきた。しかし、もう間に合わないと記者はクルマをバックさせる。あの時、カメラを持たずに救いに走れば間に合ったのではないかと、その記憶に苛まれる。
また、ある記者は、役場の職員とともに津波からの避難指示誘導を続ける。しかし、その記者は津波から戻ってくることはできなかった。
新聞記者はまず普通の人間であるが、同時に記録者である。
その立場には、記録したものを持ち帰り、伝え、記録に残す責務がある。
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新聞記者でもなく、被災者でもないので当事者がどういう面持ちだったのかはどうしても完全に理解することはできないが、震災直後に東北電力に「福島民報を潰す気か!」と詰め寄って復旧を急がせた話を美談とするのは、少しマスコミの奢りが感じられた(筆者は福島民報関係者ではないので、美談にしたのは彼らではないのだが…)。
亡くなった記者とその同僚の話は胸に来るものはあった。
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アジアの活読
記者たちは海に向かった 門田隆将 角川書店
坂戸中央図書館で読了。紙齢を絶やさぬことを使命に、3.11の災禍の中、助けられなかったことを悔やみ、着の身着のままで報道の現場に寝泊まりし、子供がいるから同僚を置いて避難せざるおえなかったり、そして、優秀な社員が犠牲になった現実を受け取める新聞記者の同僚。「僕らはペンとカメラしか持ってないんです」というEpilogueもいいが、P225自分も被災しながらその街で新聞を配達するおばさんのScene。日本人だけでないかい!?
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正直、そこまで紙齢にこだわる気持ちはあまり
理解できない。
でも、震災の翌日に配達のため
被災した配達員が帰ってくるのは
日本人だな…と思った。
日本にいなかったから詳しくしれなかった分
今手当たり次第で読み続ける関連本
個人的に何度か行った薄磯という地名に
想像だけでは理解できない
実際の重みを少し感じた。
でも福島民報だって頑張ってたんじゃないの⁇
並列で書けないほど
どうしようもない記者しかいないのかって
思っちゃうじゃないか…
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東日本大震災に際して、福島民友新聞の記者たちの動きを追ったノンフィクション。登場する人たちの気概、矜持、逡巡などが精緻な取材をもとに描かれていて、涙なくしては読めません。大新聞の足の引っ張り合いの醜態を昨今見せつけられているだけに、より感動が大きい。ただ、個人的に最も涙を禁じ得なかったのは、原発事故後初の東電会見の場面。この本にグッと深みが加わるのはこの部分。必読です。
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東日本大震災直後の福島で混乱の中で新聞を発行しようと奔走した福島民友新聞の記者たちの闘いを描いたノンフィクション。
震災の被害の甚大さと新聞発行にかける福島民友新聞の記者や販売店の人たちの気持ち、思いが伝わってくる作品だった。
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3.11から4年。あの日、地元紙の記者がどう行動し、どう向き合ってきたか。『紙齢を欠いてはならない』という新聞社社員の意地と、海に向かった一人の記者の死。それぞれが直面した大震災がリアルに蘇る一冊。