紙の本
すべてが1シーンだった
2002/03/31 22:37
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投稿者:acco3 - この投稿者のレビュー一覧を見る
京都の街は確かに絵になる。
京大に合格、絵に書いた様なおぼっちゃまの「僕」
世間では学生運動、ロックアウトだのと騒いでいる中で世を拗ねたような友人清家と出会い、映画の世界へとどんどんはまっていく…
そしてそれぞれが恋に落ち2人は青春と言う名の渦に巻き込まれて行く。
しかし清家が愛した女性はスクリーンの中に住む「活動写真の女」だった−。
青春と恋と友情と京都。
どれをとっても絵になる。
私達がかつて経験した青春。
肉体と精神ははたして別のものなのか。
確かに私達の心の中にあった
かっこわるいぐらいの気難しさ、甘酸っぱいこだわりをもう一度思い出す、すばらしい作品。
一語一語が心のスクリーンに情景となって映される。
浅田次郎はすごい。
紙の本
悲しくて切ない長編恋愛小説
2000/09/23 12:43
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投稿者:かれん - この投稿者のレビュー一覧を見る
もし、好きになった女性が、30年も前にこの世を去った女性だったらどうしますか?
時代背景は昭和44年。
京大に合格、通い始めたものの どうも京都の言葉に馴染めない 友人も出来ない僕。
そんなある日、映画館で 京大医学部生の清家と出会う。
清家も地元出身でありながら、ちょっと変わった雰囲気をもつ男。
彼のつてで、撮影所のバイトを始めることになるが、そこで、とても綺麗な女性に会う。
あれだけの美貌を持ちながら、大部屋女優。
彼女は、映画界に未練を残しながら、自らの手でこの世を去った者だと知らされながらも、
あまりの彼女の美貌に恋に落ちる清家。
人を好きになったら、もう誰にも止められない。
純粋培養、沢山の期待を背負って今まで生きていた清家。
恋に落ちたら、30年の月日なんてもう問題ないのかもしれません。
死人は、歳も取らないし…。
悲しくて、切ない長編恋愛小説。
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生まれ故郷の太秦が舞台。日本のハリウッドとして華やかなりし頃の話。その空気を感じれたのはぼくらの世代がギリギリ最後かもしれない。
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“時代に抗ってはならない。逃避してはならない。そしてもちろん、傍観してはならない。僕は人間の名誉にかけて、僕らの時代を幻想としてはならないと思った。”銀幕がテレビに取って代わっていった時代と学生運動のさかんな頃の映画好きな京大生の青春とが交錯する。・・と書くとなんと陳腐に聞こえることだろう。(読了'07/06)
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01.22.09読了。清家(三谷の友人)、夕霞(30年前に自殺した女優)、早苗(主人公の恋人)、三谷(主人公)。三谷(文学部)と清家(医学部)は京都大学の同級生で早苗(哲学部で数年先輩)は三田にと同じアパートに住んでる住人だったが、三谷との付き合いが始まる。清家の紹介で三谷は撮影所でバイトをするが、ある日、エキストラのアルバイトをしてるさいちゅうに3人そろって、大女優らしきひとを見かける。その人の名前は伏見夕霞で、清家は彼女をこの世の人ではない事を知りながら恋に落ちる。ファンタジーちっくな内容でまあまあだったかな。
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舞台が京都、大学生3人が繰り広げる話、おまけに怪談。ということで、以前読んだ森見登美彦の小説とダブるような気持ちで読み始めた。
浅田次郎はギャグ話を盛り込んでくることが多い。しかし、本書は怪談話ということだからなのか、ギャク、悪ふざけはほとんどなかった。しっとりとして、良い作品だった。自分の好みとしてもギャク小説よりも本作のようなもののほうが合うようだ。
全体的にやはり、森見登美彦を感じてしまった。頭の中で「森見登美彦=京都」という図式が出来上がっているからなのか…
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映画が活動写真と呼ばれていた時代、日本の映画配給会社が他社を出し抜く為に水の様に映画を作り続け、一時代を築いた。
その舞台を手探りで突き抜ける快感がよく描かれている。
背景はもとより、幻想的な恋が主人公を大人へと導き、恋心をくすぐる様なストーリーも申し分なかった。
10年程前に読んだのであまり覚えてないが、楽しく読めた記憶だけが残っている。
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清麗な京都の街を舞台に、京大生となった主人公がリアルと泡沫夢幻の世を行来する。
友人、恋人、そして遥か昔に死んだはずの美しい女優との出会いがセピア色に綴られる。儚く哀しい物語。
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読了!したのが2012年12月 ★★★★☆
浅田次郎のノスタルジー青春物語
なぜ幽霊に恋をしてはいけないのか?
それは、幽霊は生き返ることができず、一緒になる為には
生者が命を捨てるしかないから
まわりは言う。
幽霊に引かれて死んでしまうからいけない。
それでも恋の為に命を捨ててもいいというピュアな心を
どうして悪い事だと言えようか。
生きている女を好きになった男と、幽霊を愛してしまった男。
かつては活動写真と呼ばれ、映画となったメディアが、
テレビの波に呑み込まれようとしている時代に
抗うかの様に現れた美しすぎる幽霊。
その美貌故に報われず、愛する男ともすれ違う。
彼女が求めていたのは未練を雪ぐことのはず・・・
魅入られた男は彼女を求めた・・・
その友人は現実の女に恋をして未来を求めて行く・・・
切なすぎるラストに安い感傷などない。
それぞれが決めたこと。
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1969年に京大に入学した主人公が友人や下宿の先輩と出会い、織り成す青春の一コマ。映画ニューシネマパラダイスを思わせる映画への情熱、そしてふとした始まり、終わる恋。古色蒼然、セピア色の思い出となっている学生時代を過ごした大文字、哲学の小径、南禅寺、百万遍の学生喫茶・進々堂などが昨日のように鮮明に蘇ってきました。そして、いつもの死者の登場。懐かしさで一杯になる浅田ワールドを満喫しました。特に同じ時代を京都で過ごした人にはお奨めです。テーマは全く異なるものの、「シェエラザード」と通じるものがあります。
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怪談かと思いきや、さわやかーな恋愛&青春小説だった。愛する人やモノがあるって、本当にいいなぁ…。でもモノより、やっぱり人を愛した方が、幸せですね。
著者が楽しんで京都弁書いてるなーと思ったのと、映画好きなんだなーというのが印象的??(^^;
気持ちよく読めた。
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昭和40年代の京都太秦が舞台のミステリタッチの小説。ふとしたことから映画のエキストラに出た京大生3人が体験するひと夏のできごとを京都の四季・風情を織り交ぜながら叙情的に描いていく。主な登場人物は京大生の主人公・薫と先輩であり恋人の早苗、医学部の友人・清家、最後の活動屋を自認する辻、大部屋女優でしかもこの世の人ではない伏見夕霞。
読了して感じたことは、著者の出世作となった『鉄道員』と随分似通っている内容であるということだ。短編・長編の違いはあるが、対を成す作品であるような気がする。初版は1997年7月発行(『鉄道員』は同年4月発行)になっているので、『鉄道員』以後の作品となるが、ここでは脇役で出てくる活動屋・辻のいわゆる“職人気質モノ”を、更に内容を複雑にした長編と解釈できなくもない。
『鉄道員』で完成されたかに見えるお涙頂戴・職人路線を、作者が再度こだわる必要がなんだったのか分からない。『鉄道員』の中でも有名になった台詞『したって、俺はポッポヤだから』はこの作品では『俺、カツドウヤさかい』という言葉に置きかえられており、思わず(またか…)とげんなり。そして、大部屋女優の伏見夕霞が著者お得意の“幽霊”で出てくると、再度幻滅。最後のとどめは活動屋の辻の昇天が職場であるフィルム倉庫の試写室での殉職ということになると、開いた口が塞がらない。僕にとっては長い長い『鉄道員PArt2』を読まされたような気がした。…ということで、この手の話はあまり新鮮さがなく、二番煎じの感も強いが、そこは著者のうまさか、気がついたらあっという間に読まされてしまった。(うーん、やられた)