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商品説明
【サントリー学芸賞(第23回)】【芸術選奨文部科学大臣賞(2000年度)】ベルニーニのエクスタシーからフェルメールの新興市民まで、琳派のリアルから東照宮の幻想までを内在させる「るつぼ」のような江戸を、100枚の絵図で読む。『朝日ジャーナル』の連載に大幅に加筆し、一冊にまとめる。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
田中 優子
- 略歴
- 〈田中優子〉1952年神奈川県生まれ。法政大学第一教養部教授。著書に「江戸はネットワーク」「張形」などがある。
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紙の本
江戸の図像は世界に通じている
2000/07/30 06:15
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:野村正人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつの時代のものでも図像は面白い。図像を集めた書物を繰っているだけで、絵は時代や国を越え、直接私たちの眼に訴えかけてきて、まさに眼福というにふさわしい楽しみを与えてくれる。田中優子の『江戸百夢』がそれである。ここには、江戸時代の絵図、建築、工芸、挿絵など、様々なジャンルから選ばれた図像が2ページほどの解説とともに並べられている。まさに江戸の視覚世界は豊饒な「るつぼ」。そこから取り出されるひとつひとつのイメージのユニークな多様性には改めて驚かざるをえない。
私の記憶にあるヨーロッパの絵を挙げて、洋の東西、図像比べと洒落てみる。まずは『江戸百夢』に現れる伊藤若冲の「野菜涅槃図」である。死んだ大根のまわりに、蕪やら椎茸やらの野菜が集まって嘆き悲しんでいるの図が、墨絵でさらりと描かれている。私の知る19世紀フランスにはアメデ・ヴァランという人の『野菜の帝国』なる挿絵本があり、年寄りメロンに浮気者のニンジン女房の図などが細かいリアルなタッチで描かれていたのを思い出す。
人間=野菜のほかにも、人間=動物の「見立て」がある。ヴァランの同時代人グランヴィルは、ウサギやらライオンやら動物に人間の服装を纏わせ、当時の風俗を風刺してみせた。対する江戸では、歌川国芳の絵だ。粋な縞模様の着物を着て下駄を履いた雌猫を、船頭の雄猫が屋形船に乗せて夕涼み。どちらも甲乙つけがたく可愛らしい。
そして顔のいろいろである。本書には、近世リアリズムの画家、円山応挙描くところの年齢職業も違う様々な顔が挙げられている。一方、西欧では18世紀末に観相学がさかんになり、ホガースやボワイイが都会にうごめく人々の顔を仔細に描き出す。なるほど都市には氏素性のわからぬ人間が群れ集ってきて、その異なった顔つきが好奇の対象となったわけだ。それにしても、あちらの科学標本のような正確さに比べて、こちらの漫画的なところが面白い。そう、漫画的と言えば、木村兼葭堂の肖像にとどめを刺す。著者も大好きだと述べているが、この懐の深い茫洋とした微笑みはまさに「大愚」の顔で、そのインパクトの強さに西欧の肖像画も顔色なしである。
確かに、洋の向こうに伍すというのであれば、鎖国時代の日本は、上に見たように、独自の視覚文化を創り上げていた。しかしそう言ってしまっては、この書物が持つ意図を裏切ることになる。著者は、江戸空間を閉じるのではなく、それを「近世」の地球的な共通性の中に置こうとしているからだ。
図像は眺めるだけで面白い。だが学識豊かで柔軟な頭脳による解説によって、思いもよらぬ視野を得る楽しみがあればさらに喜ばしい。その意味で田中優子は希有のナビゲーターである。彼女に手を引かれるまま、徳川270年間の図像の夢の奥深く水脈をたどっていくと、私たちは、突然、教会や市庁舎が建ち並ぶアムステルダムの広場へと至りつく。長崎を通って江戸へと運ばれる西洋の書物はこんな街でつくられていたのだ。
あるいはまた、浮世絵に描かれた深川芸者の帯から、私たちはインドやインドネシアへと運ばれるだろう。江戸の女性たちは東南アジアに端を発する「粋な」縦縞を着て、ジャワ・バティックの帯を絞めていたのだ。そしてそのインド木綿は、極東日本のファッションだけでなく、さらに西では、イギリスの政治・経済的支配を誘惑するという遙かな広がりを持っていた。
鎖国に守られながら、ぬくぬくと眠りを貪っていた江戸が眼を覚ますと、わずかな隙間だと思われた長崎の窓は実のところ、大きく外に開けられていたのだった。そこから同時代の微風がそよいで来て、知らずのうちに、日本は、世界と同じ空気を吸っていた。江戸は、江戸であって江戸ではない。軽やかにさらりと書かれた『江戸百夢』を読んで、そう納得する。 (bk1ブックナビゲーター:野村正人/東京農工大学教授 2000.07.29)