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紙の本
ブローティガンは好きな作家の1人です
2005/04/19 00:48
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:バイシクル和尚 - この投稿者のレビュー一覧を見る
題名のように言う本好きは結構いる。だが現在書店で求められるブローティガンは数少ない。特に小説は軒並み絶版か、在庫切れになり、復刊されているのも『西瓜糖の日々』と『愛のゆくえ』の2タイトルにすぎないのが現状である。しかしこの本だけは未だ手にすることが出来る。
ブローティガンを知ったのが、この『アメリカの鱒釣り』だった。小説というよりも散文のような体裁で、小川の流れに身を任せるかのようにひらひらと漂う文体。ブローティガン作品のとある紹介にあった「青春小説」という触れ込みには最初、苦笑いをしてしまったが、一度この人を知ると自棄に青春という響きが頭から離れない。気恥ずかしい響きだがやはりこれは青春小説である。ただしそれをどう読みとるかは読者自身に任されているといっていいのかもしれない。それだけ「若い」文学であるのはまぎれもないことである。
他の人にはマネのできないセンスと雰囲気によって、夢と現実を行ったり来たりするような感覚にとらわれてしまう。この人の小説を読むとフィクションの可能性というものに驚かされる。私はこんな小説には出会ったことはなかった。繰り返すようだが誰にもマネできないと思っている。
ブローティガンは大好きな作家の1人です。
だから、色々復刊して欲しいものである。一冊数千円もするような敷居の高い作家ではないのだから。
紙の本
訳が分からないのに胸の深いところに染み入ってくる
2007/01/23 23:13
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブローティガンは名前しか知らない作家だったのだが柴田元幸『翻訳教室』で初めて(しかも原文に)接してみて、1冊読んでみずにはいられなくなった。東大の翻訳演習の教材になったその作品は Pacific Radio Fire という小説だった。音楽番組がかかったままのラジオに火をつける話。ラジオが燃えて行くに連れて、ラジオから流れていたヒット・チャート1位の局が13位に落ちたりする、不思議な小説だった。
この『アメリカの鱒釣り』はそれに比べるともう少し荒唐無稽である。いや飛んでるというべきか、あるいは訳が分からんと言ったほうが良いかもしれない。これはアメリカの鱒釣りの指南書でもないし、それをテーマにした物語でもない。<アメリカの鱒釣り>は生きているのである。主人公は<アメリカの鱒釣り>宛てに手紙を書いたり、ビッグ・ウッド川で<彼>に出会ったりしている(それはヘミングウェイが自殺した直後のことだった)。それとは別に<アメリカの鱒釣りちんちくりん>なる人物も登場するし、<アメリカの鱒釣りテロリスト>たちもいれば<アメリカの鱒釣り平和行進>も催される。何のことだかさっぱり分からない。でも、酔っ払いが急に素面に戻って妙に鋭い指摘をするみたいに、突然胸に刺さってくるような描写があったりする。
「魚は再び深く潜り、わたしは釣糸を通して魚の生命から発するエネルギーが、怒鳴り返すようにわたしの手におしよせるのを感じた。釣糸が音になった。赤いライトを明滅させてわたしめがけて直進する救急車のサイレンみたいだった。やがて、それは遠ざかったかと思うと、今度は空気を震わせる空襲警報になった」(「せむし鱒」)──こういう文章がまるでデタラメみたいなストーリーの中に放り込まれているのである。
この本に収められた47の短編は互いに何の関係もないようでいて、微妙に繋がっているような気もする。その癖この小説の主人公(あるいは話者)が作品ごとに異なっているのか別人なのかさえ判らない。
「クリーヴランド建造物取壊し会社」では小川を1フィート単位で売っている(僕にはこの作品が一番印象深かった)。──こういう無尽蔵なまでに自由な想像力は、もう一歩行き過ぎるとただの無意味な遊びに思えて、読者は読む気をなくしてしまう。しかしこの小説は、そこまで行く寸前で読者の胸の深い深いところに染み入って来るのである。読者はとかく深読みをしてしまう(例えば僕は全編を通じて「穏やかな喪失感」とでも言うべきものを嗅ぎ取った)。しかし藤本和子が訳者あとがきに書いているように、作者の笑う声が聞こえてくるのである。深読みをする読者を笑っている声が聞こえてくるのに、それにもかかわらず、我々はその深い感慨から暫く抜け出すことができない。常人には決して書き得ない、類稀なる小説である。
アメリカの歴史と文学に詳しかったら、多分もっと面白かったのではないかと思う。
by yama-a 賢い言葉のWeb
紙の本
ブローティガンの魅力を満喫できる快作、快訳!
2011/04/09 12:07
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ががんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る
カルト的な人気を誇るブローティガン。その人気は何なのだろう?という疑問は本書でぶっ飛んだ。前に『愛のゆくえ』を読んだときには、なんか変な話と思っただけだった。だからこの本を読んで本当に驚いた。
『愛のゆくえ』のような、一風変わった内容の、しかし普通の小説か、と思っていたら、これは形式も内容もまるで変わっている。なるほど取り付かれる人たちがいるのはよくわかる。もちろん翻訳者(藤本和子)の腕のせいでもある。解説の柴田元幸は、これを「翻訳史上の革命的事件だった」と言っている。
最初の数ページの「銅像は大理石語でいうのだ」とか「『アメリカの鱒釣り』の表紙に午後5時が訪れるころ」なんていう表現に浸ってしまう。原文はどうなっているのか、ちょっと興味もわく。
詳しい註や長いあとがきも訳者の思い入れを感じさせるし、そうした点もいい本だ。とても気持ちよく読める。
柴田元幸が、非常に優れているとほめる「あとがき」。前半は自分の話なのに、小説がまだ続いているかと思わせるような見事なブローティガン調。こういうタレントが存在するということは喜ばしいことだ。後半は一転、見事なブローティガン論で、あとがきというよりほとんど論文。やはり優れた人なのだと頷く。
「文庫版へのあとがき」も、いい意味での歳月を感じさせて味があった。
ブローティガンを最初に、あるいは1冊だけ読むなら『アメリカの鱒釣り』と書いてあるが、まったく同感(他はあまり知らなくてもそう思ってしまう)。
この小説についての批評では、悲痛なものとして読むべき、といったかなり難しいことも言われているらしいが、あまり当たっていないという藤本さんの意見は正しいと感じた。私自身も何も考えずに読んだし、基本的に楽しんで読む本だろうと思う。
紙の本
「ようこそ」
2002/05/11 16:00
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:おぎ - この投稿者のレビュー一覧を見る
古本市場で軒並み高い値を付けているブローティガンの小説。そんな中、唯一新品で手に入る作品。しかし『アメリカの鱒釣り』は価値や値段といったものから、最も遠いところにある。四十七の断章からなる内容は、これといった筋もなく一見難解だが、その文体は何度でも再読が出来るほど詩的で儚い。章を一つだけ取り出して味わうもよし、気に入った断片をノートに書き出すもよし。
またこの作品はあらゆる解釈を受け付けると同時に、あらゆる解釈もはねのける。十人いれば、十通りの読み方が可能でありながら、あらゆる「読み」を超越している。その意味において「消費」とは全く無関係の作品といえるだろう。
といったわけで、そういう僕のこの意見も一つのものでしかありえない。藤本和子氏の名訳もさることながら、彼女のあとがきも素晴らしい。とにかく手にとって、美しい文章を堪能してみてもらいたい。
「銅像の土台のまわりには、四つの言葉が彫り付けてある。東に向けて、ようこそ、西に向けて、ようこそ、北に向けて、ようこそ、南に向けて、ようこそ」
良くないですか?