紙の本
40年前の慧眼のありか
2008/01/22 23:00
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新年を迎えて 1972年に発行された本書を読んでみた。読んでいてため息しかでなかった。
本書は 1972年の段階で 今後の人口増加と盲目的な経済成長は 地球の破綻につながる可能性があると警鐘を鳴らしたことで名高い。確かに 36年後の現在 本書を読んでみると その見通しの確かさにはうなるしかない。
食料問題、資源産出国と消費国との対立、二酸化炭素ガスの増加。
最近毎日 新聞を賑わしている話が この1972年の本書で既に 将来の課題・問題として はっきり提出されている。
この間の36年を振り返ってみると それなりに人類も「進歩」してきたのも確かだ。
本書で期待していた太陽光発電も商業的実用性まであと一息である。
京都議定書などで二酸化炭素の排出を地球レベルで規制しようという動きも 本書の延長上で果たされた人類の成果の一つなのだろう。
ロハスといった 新しい哲学も産まれてきた。(あだ花で終わらないと良いが)
一方 その進歩がどれだけ「早さ」を持ってきたのかという点は疑問も残る。本書の警告の最大のポイントは幾何学級数的な変化であるのに対し その間の進歩がかような早さを持ってきたとも思えないからだ。その意味でも本書は今なお新しい。
かつて「ノストラダムスの大予言」が一世を風靡した時代があった。つまり 人々は「末世に関する予言」には不感症ではないということなのだと思う。本書が現在まで40年近い時空を経て いまだに読まれているとしたら 十分「感じさせる」ものがあるからだと思う。実際上記の通り 本書の慧眼は今なお生きている。今なお 問題は解決していないのだ。
紙の本
成長の限界
2001/11/13 17:39
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:333 - この投稿者のレビュー一覧を見る
極めて科学的な認識に基づいた地球の経済や環境問題やその他の問題について、倫理的な考察をなしているのがこの本である。
その表題が示すとおり人類がどれほどに発展していけるのか、またどのように人類の限界がくるのかを緻密に予測している。
この本は人類に対する警鐘となりうる本である。
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地球の環境や資源が無尽蔵であるかのような人間の活動を、地球がいつまで許すのか? 地球を1つのシステムとして捉え、コンピュータで地球のモデリングを行った衝撃の報告書。
例えば、食糧の増産に成功したから人口爆発が起こり、人口爆発が起こったから資源の枯渇や環境汚染が進む・・・というように、地球上のあらゆる活動は、互いに関連しあっている。
もともとの目的は、複雑に関連しあった地球システムのどこに介入すれば、破滅を食い止められるかを探るための調査研究だった。しかし、結果は衝撃の内容だった。遅かれ早かれ破滅は止められない。
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『成長の限界』は、カーソンの『沈黙の春』、シューマッハーの『スモールイズビューティフル』とならぶ、現代環境思想の古典的名著のひとつである。
「人類が今後大きな変革もなくこのまま”成長”を行っていくならば、2100年までに社会は必ず悲劇的な破局を迎える」、というこの衝撃的な内容は、当時の成長主義者や科学技術的な楽観主義者だけでなく、多くの人々に多大な影響を与えた。
その後の国際的な環境政策の合言葉となった「持続可能な開発(sustainable development)」の原点はここにあるといっても過言ではないだろう。 (続き→
http://www.geocities.jp/persypersimmon/environment/enviro-list01.htm#08)
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-この豊かさへの指向は、人類全体の幸福に必ずしも結びつくものではなく、むしろ、人類はその生存上、きわめて重大な危機に直面してきていると受けとらなければならない状態にまでさし迫ってきたと考えられる-
組織の長たるもの、世界屈指の科学者、経済学者、プランナー、教育者、経営者などから構成される、ローマ・クラブの存在と、彼らがやった研究はしっておくべし。豊かさを追求することによって生じる様々な不調和をモデル化し、科学的に「成長の限界」を示している。
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環境問題関係で一番お勧めの本。
環境問題が注目される前から、この本ではすでに人類に対して警告している。
「物事は指数関数的に変化するために、気づいたときにはすでに手遅れ」という主張。
当たり前のことなのかもしれないが、いついつまでにこれをしないとっていう感じで書かれている。
でも・・・それが実行されずに今に至る人類。これを読んだらもう手遅れなのかもとも思う本でした。
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"「均衡状態において一定に保たれるべき量は、人口と資本のみである。大量のかけがえのない資源を要しない、あるいは環境の重大な悪化を生じないような人類の活動は、無限に成長を続けるであろう」"p159
" 「世界の富をより平等に分配するための最も大きな障害となる可能性のあるのは、人口成長である。」"p163
" 「どの社会もけっして制約からのがれることはできないから、均衡状態でも制約からのがれられないであろう。均衡は、子どもを無限に生む、あるいは資源を好きなだけ使うというような人間のある種の自由を、汚染、混雑、および破局の危機から世界システムを救うというもう一つの自由とひきかえることを要求するであろう。」"p165
歴史的な書物をようやっと読みました。
人口に関する結論、提言に、本能的な拒否感を抱きました。
「いのち」が「いのち」について考えてしまうことが、人類の原罪なのでしょうか。
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1970年代に指摘されたという点で、画期的な本。現在では常識ともなっている内容だが、環境問題に興味のある人は必読の古典。
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環境問題の原点である. 40年前の時点で高らかに鳴らされた警鐘が今に生かされているのかどうか, これを読んで一人ひとりが考えるべきである.
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1972年のローマ・クラブのレポート。
緊急性のある問題だし、
なぜ成長ができないのかということもよくわかった。
どのような社会を作っていけばいいのか。
残された時間はほとんどないと思う。
成長の限界。
成長ではなく、発展。
マインドセットできるかどうか。
個人個人の積み重ねなんかなーとも思う。
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感動的!しかし、この本に書かれた事が「嘘っぱち」だったというのがスゴイ。事実の中に嘘を含めた世紀のプロパガンダ(石油、食料メジャー)と知るに、「世界的な陰謀なんて嘘ウソ」というのがまた嘘だろ、と思う。こんなレベルで権利者はやるのかと、驚く資料。
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人類の未来を考えるには、やはり人口と資源が不可避なテーマになる。
これらに加え、工業生産と食糧と汚染を主な変数としての分析。
特に感じたのは、「人口」という変数を今後どのように取り扱っていくべきなのかということ。
中国の一人っ子政策といった政策は現時点では失敗だろう。
政策として、個人として、どう取り組むべきなのか深めたい。
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地球の限界について1970年代に書かれた本。
当時すでに成長を続けると資源は枯渇する、汚染は増大するということを言っているというのはすごいと思う。
汚染には当時は気づかなかったCO2の問題などは入っていない。
2000年と2100年を節目ととらえている。
現在では資源価格の上昇は問題になっているものの枯渇についてはそこまで危機的に考えられていないのではなかろうか。この上昇は枯渇を意識してのものだと言えるのかもしれないが、その割には省資源という観点からの意識が低すぎると思う。
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幾何級数的に増える消費と、等差級数的にしか増やすことのできない生産の将来に対するバランスについて書かれた本。
地球環境にフィードバックされる5つの基本的な水準である、人口、資本、食料、天然資源、汚染そのものに対して使用の減少を図ったり、生産量を増やすことを図っても、将来的な負のフィードバックが拡大するだけである。
世界を構築する、世界システムそのものを最適化させなければいけないが、具体的な案があるわけではなく直感力に頼るしかないというのが現状。
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あまりにも有名なために、読んだ気になっていたり、今更読む気に
なれなかったりで、ついに読まれることのない本、というものがあ
ります。古典と言われるものの多くはそういうものかもしれません。
本日おすすめする『成長の限界』も、まさにそんな位置づけの一冊
だと思います。初版は1972年。学識経験者や企業経営者からなる民
間のシンクタンク、「ローマ・クラブ」のレポートとして、世に問
われたものでした。
当時、本書がどのように受け止められたのかはリアルタイムで経験
していないため、わかりません。しかし、例えば、アメリカでは、
発売後一週間で2万部を売ったと言いますから、よほど話題になっ
たのでしょう。「このままいけば、100年以内に地球は深刻な危機
に陥る」という本書の警告は、先進諸国にとって、それほど衝撃的
だったのだと思います。翌年にはオイルショックが起きましたから、
資源枯渇の危機も、よりリアルに感じられることができたはずです。
しかし、喉元過ぎれば何とやらで、何だかんだ言って石油はなくな
らないし、原子力はあるし、ということで、危機感は薄れていく。
70年代には問題になっていた人口爆発も、今は沈静化し、先進国で
はむしろ人口減少が問題になっている。食料や水不足の危機も、あ
まりまだ実感はない。異常気象は気になるけれど、温暖化の影響と
は限らない。一方で、ITなどの技術革新が進み、驚くほど便利で快
適な世界が実現するようになっている…。
100年以内に破局とか言ってたけれど、40年たった現時点は、全然、
オッケーじゃん、というのが、正直なところでしょう。そう思うと、
『成長の限界』はいたずらに危機をあおるような本に見えて、ます
ます読む気がなくなります。
井上自身もそうでした。でも、読んでみると、これが実に面白いの
です。まず、とても冷静な分析で、ジャーナリスティックな危機を
あおるような論調は皆無。これだけで信用がおけます。それと、人
口、工業化、食糧、資源、汚染という5つの要素でつくったシンプ
ルな世界モデルによるシミュレーション結果が大変示唆に富みます。
このままの趨勢で行くとどうなるかをシミュレーションした上で、
無尽蔵にエネルギーや食糧があるとした場合、とか、技術が汚染の
問題を解決した場合、など、条件を変えながら、シミュレーション
を繰り返していくのですが、その結果わかることは、技術も無尽蔵
の資源も根本的な解決にはならない、ということです。結局、成長
を目標とすることをやめ、均衡=定常状態を目標とする社会へと舵
を切るほかない、というのが、本書の結論なのです。
じゃあ、その具体策は?というのは書いていません。そうしようと
いう長期的な「目標」の設定と、その目標を達成するための「意志」
が必要、ということが書いてあるのみです。御意。
なお、本書の執筆者の一人が『成長の限界』の続編と言える『2052』
を2012年に出版してい���す(邦訳は2013年)。これは、2012年か
ら40年後の2052年の世界を予測した本で、やはり実に興味深いです。
是非、この機会に併せて読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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一般に、問題の空間的な広がりが大きいほど、また時間的な広がり
が長いほど、その問題の解決にほんとうに関心をもつ人の数は少な
くなる。
作業がまだ暫定的な状態にあるにもかかわらず、われわれはモデル
とわれわれが見出したものを今、発表することが重要であると信じ
ている。毎日、世界のいたるところで決定が下されており、それは
今後何十年にもわたって世界システムの物理的、経済的、社会的状
態に影響を及ぼすであろう。こうした決定は完全なモデルと完璧な
理解を待つことはできない。
大部分の人々は、成長を線形過程として考える傾向がある。
ある量が、一定期間内に、その総量に対し一定の割合で増加する場
合、幾何級数的成長を示すという。
幾何級数的増加は、非常に急速に莫大な数を生み出すので、人を欺
くのである。
人間によって使用されるエネルギーのすべては最終的に熱の形でま
き散らされる。エネルギー源が、入射するエネルギー以外のもの
(たとえば、化石燃料や熱エネルギー)であるならば、その熱は、
一方では直接的に、他方では冷却水からの放熱を通して間接的に、
大気を暖める結果となる。局地的には、放出される熱、あるいは
「熱汚染」が、水生生物の均衡を破壊する原因となる。
汚染を吸収する地球の能力の限界がわかっていないということは、
汚染物質の放出に対して慎重でなければならないことの十分な理由
となるであろう。
おそらく、なんらかの害がすでに発生してしまってから制御をかけ
るような汚染制御システムでは、改善に向かう以前に問題が、必ず
やはるかに深刻化してしまうにちがいない。この種のシステムは、
その制御がとくに困難である。なぜならば、それは、はるか将来に
予測される結果にもとづいて現在の行動が決定されることを必要と
するからである。
われわれが世界モデルを用いるのは、行動様式に関する疑問に答え
るためであって、正確な予測をするためではないから、われわれは
まず第一に、フィードバック・ループの構造の妥当性を問題にする
のであって、データの正確さは第二義的な問題である。
2100年よりはるか以前に、成長がとまるということは重要である。
われわれがある程度の確信をもっていえることは、現在のシステム
に大きな変革が何もないと仮定すれば、人口と工業の成長は、おそ
くともつぎの世紀内に確実に停止するだろうということである。
成長をとめる第一の力は、汚染の急激な増加で、その原因は、環境
の自然浄化能力に過度の負担がかかることにある。
技術的解決策の適用のみでは、人口および工業の成長の期間を延長
するにと���まり、成長の究極的な限界をとり去ることは不可能であ
った。
技術的解決とは、「人間の価値観や道徳律をほとんどあるいはまっ
たく変えることなく、自然科学上の技術の変化のみを必要とするよ
うな解決である」と定義できよう。現在、このような意味で技術的
に解決できない問題は、数多い。核兵器戦争、民族間の緊張、失業
等はその例である。
「進歩に盲目的に反対するのではなく、盲目的な進歩に反対する」
(シェラ・クラブのモットー)
もし最初に到達した限界が食糧生産の限界ならば、非工業国は大き
な人口減少をこうむるであろう。もし最初の限界が再生不可能な資
源の枯渇なら、工業国が最も影響を受けるであろう。
均衡状態は、停滞状態を意味するものではない。
成長によって引き起こされる多くの問題と戦うことから開放された
社会では、より多くのエネルギーと創意が、他の問題を解決するの
に使うことが可能になるように思われる。
とくに、多数の人々が最も望ましくかつ満足を与える人間の活動と
して数えあげるであろう教育、芸術、音楽、宗教、基礎科学研究、
運動競技、社会的交流が盛んになるであろう。
均衡社会は、現在の人間の価値を考えるだけでなく、未来の世代を
も考えながら、地球が有限であるために生じるトレード・オフ関係
を重視しなければならないであろう。
何もしないという決定は、破局の危険を増大させるという決定であ
る。
人類は、まったく新しい形の人間社会--何世代にもわたって存続
するようにつくられる社会--を創造するのに、物的に必要なすべ
てをもっている。欠けている二つの要素は、人類を均衡社会に導き
うるような、現実的かつ長期的な目標と、その目標を達成しようと
する人間の意志である。
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●[2]編集後記
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この間、藝大で「未来」についての講義をしました。
最初に、未来に希望を持っているかどうかを学生達に聞いてみたと
ころ、「未来に希望がある」よりも「希望がない」と答えた人のほ
うが多かったです。クリエイティブを志す学生でも、「希望がない」
なんて思うんだなと軽くショックを受けたのですが、まあ、それだ
け日本の社会の先行きは暗い、ということなのでしょう。
確かに、いつ大災害が起きるかわからないし、アベノミクスだって、
いつ崩壊して経済が滅茶苦茶になるかもわからない。未来が確実に
良くなるなんて、夢見れないですよね。先の見えない時代です。
でも、先の見えない時代って、そんなに悪いことではないと思うの
です。確かに、ずるずると衰退していくだけの、閉塞感に満ちた時
代が続くのは勘弁ですが、震災後、それも変わったように思います。
新しい風が吹いているのを感じます。その風は、東北を初め、これ
まで辺境と思われてきたところから吹いてきています��
これから面白い時代になる。そう勝手に予感しているのですが、ど
んなもんでしょうね。
「100年後の人達が見たら、あんな時代に居合わせたかったと思う
ようなとても刺激的な時代に、僕らは居合わせているのではないか」
講義の最後、学生に「先生は未来に希望はありますか?」と問われ
て、そう答えたのですが、本当にそういう時代にしたいものです。