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紙の本
なぜ日本の社長に、人事・労務出身者が多いのか?
2002/11/04 00:45
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くるぶし - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治以来、日本企業のトップの大半は、人事・労務出身者に占められてきた。
発明家がその高い付加価値を実現した故に創業者社長になったり、巨大で複雑な組織を短期に改革して利潤を獲得できるプロの経営者が他からやってきたりするのとは、随分違っていた。
なんとなれば、日本企業では、近代以降長きに渡って、労務管理だけが富の源泉だったからだ。つまりは、付加価値の低い後発の資本主義として、労賃を叩く(労働コストを下げる)ことだけが、利益を出し、設備への再投資・経済の拡大再生産へとつなげていく唯一のやり方だった。
当時の日本人の賃金は、もう何世紀もイギリスの植民地であったインドのそれより低かった。もっとも低賃金労働力は、ネズミ講式コスト先送り経営(例えば他の国にはとっくに倒産という規模の借金をしての設備投資-----それを支えたのは、国民に貯金させ高い土地・住宅を買わせることで維持した低金利と高地価による低い資金コストである)とともに、戦後も日本経済の「競争力」を支える支柱だった。たとえば1950年代、日本の中卒者の賃金はインドやスリランカの農業労働者の約半分程度だったし、1960年、アジア経済研究所に就職した経済学士の初任給は月額13500円(37.5ドル)、同じ年スリランカの大学を卒業して大学職員として就職した人の初任給は月額800ルピー(168ドル)だった)。
他にも、この国の鉄道が、電信電話システムが、重工業が、何故すべからく「国営」(しかも軍がらみ)であったのか、そして昭和恐慌は何を引き起こしたのか/それは何故だったのか、までこの本は取り扱う。それらはもちろん繋がっており、事の本質を構成しているのである。その恐慌に「日本経済のいきづまり」を見て結局「海外進出」を主張した高橋亀吉の「恐慌もの」(『昭和金融恐慌史』:これは昭和43年に書いたもので、ちゃっかり「当時の金融システムの未整備」を恐慌の主因としてる)なんかを読むくらいなら、そもそも「海外進出」を必然とする脆弱性を、日本の資本主義確立に見て取るこの本を見るべきだ。事態の原因をアクシデンタルなところに求めるのでなくエッセンシャルな部分に見ることこそ、「危機」を見ることではないか。