紙の本
宮脇文学の原点
2015/10/19 20:46
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投稿者:小市民 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は「移動以外の目的で鉄道に乗る」というマニアックな行為を広く世に知らしめた宮脇文学の原点である。
氏の文章は自身が行為の主体でありながらそれを第三者的な視点から書き連ねていくことで、マニア本にありがちな「俺ってすごいだろ」という独善的な表現を一切排除している。だからこそ、広く受け入れられたのだろう。
元々、氏は名うての編集者であり、高名な作家であっても出来上がりの体裁を考えた上で校正をしたという逸話のある方なので、自身の文章をどのようにすればよいかくらいはごく普通の作業であったに違いない。
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淡々とした語り口調でとっつきやすい文章に引きこまれ読み進めるうちに鉄道地図を購入し照らし合わせて読んだ。現在の廃線の多さに驚愕されたし。著者は偉業を成し遂げたが仰々しさがなく最後まで著者らしく淡々としていて良作。
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昭和50年代前半に日本の国鉄(当時)を全線制覇した著者の旅行エッセイとゆうかひたすら電車に乗りまくった記録的エッセイ。主な路線はほぼ乗り尽くした後から話は始まるので、出てくるのはローカル線ばかりで、しかも日本全国にちらばっている。たった数キロ乗るために金曜仕事帰りに夜行で九州にでも北海道にでも行ってしまう著者の情熱だか根性だか道楽だか…まあ、ともかく脱帽。いろんな意味で凄いとしか言いようがないです。でも一番凄いのは、そこまでマニアな内容なのに、特に列車に興味がない人でも楽しく読めてしまう事でしょう。この作品は「第五回日本ノンフィクション大賞」を取ったんだそうですが、もの凄く納得です。
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私は、電車マニアではないが、本書は単純に読み物として面白かった。
特に想定外のことが起きたときの著者の行動・考えを注目しながら読んだ。
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今から30年以上前、JRがまだ国鉄だった頃の乗車記録であり、もうけして見ることのできない車窓風景の挽歌である。
もちろん時代を経ても変わらないもの(男子高校生の”生態”なぞ、制帽がないだけであとは今も同じである)もあるが、変わってしまったものの方が圧倒的に多い。特に、諸々の事情で廃線となり、今では乗ることも叶わないローカル線の風景は貴重な記録であると言えよう。
しかも、最終章が開通直後の気仙沼線であることは、311を経験した現在、あまりにも物悲しいとしか言いようがない。
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サラリーマンが土日の休みを利用して、今まで乗ったことが無かった国鉄を完乗するまでの旅行記。
宮脇先生の原点。この本を読むと、あー自分と同じ嗜好の人がいるんだぁ、と思わざるを得ませんでした。
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JTBの「時刻表」が創刊から通算1000号を迎へたさうです。月刊誌なので、1年に12冊しか発行されません。それで1000号ですよ。大したものですなあ。
さういふ「時刻表」ですから、古くから多くの愛読者がゐました。
宮脇俊三さんもその一人で、時刻表の最新号が発売されると、その晩は何時間も読み耽る、と書いてゐます。そして読むだけでは飽き足らず、実際に「時刻表に乗る」ための旅を長年続け、つひには当時の国鉄全線を乗りつぶしてしまつたといふことです。
本書は、その体験を綴つたノンフィクションでありますが、鉄道マニヤの自慢話ではありません。むしろ「児戯に類する行為」などと卑下し、すべてに控へ目で、抑制が効いてをります。万人に薦められる文章と申せませう。
その宮脇さんが逝つて早6年。現在では知識の豊富なライターが数多く活躍してゐますが、情報中心に偏する印象があり、いったんダイヤ改正があれば、たちまち存在価値を失ふ文章が案外多いのです。
文章自体の魅力で読ませる、宮脇さんを継ぐ紀行作家はもう現れないのでせうか......
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-201.html
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国鉄全線を乗りつぶす目標を立てたばっかりに、えらい目みちゃった。てへ。
というのがメインテーマのこの本に書かれていることは、乗りつぶす課程と結果だけではありません。
人には理解して貰いにくい趣味を持ってしまったとちょっと恥ずかしがりながら、けれど淡々と、完遂したと自慢することなく、その線路や駅のある土地の現実を、きちんと言葉にして綴られています。
ワタクシ自身も鉄道に乗るのが趣味の人種なのですが、「線路が続いていて、その線路と上を走る列車が、ワタクシをどこかに連れていってくれるのが楽しい」という単線乗り好きなので、制覇する楽しみが理解出来ないうちは、この本の楽しさが分からないのでしょうね。
とか言いながら、この本の北海道の路線の章を読む直前に、ちょうど現地の乗り継ぎ旅をしておりました。
この本にはちょっとした風景描写や地名の由来などが書いてあって、「先に読んでおけば良かった!!」などと、日常に戻って通勤列車に揺られてこの本を読みながら、悔しがってみたりするコネタもあります。
30年ほど前に発行された本なので、廃止された路線の描写も結構あります。それでも、何かを制覇する楽しみをお持ちの方には、羨ましくも、対抗心を燃やす、楽しい読み物ではないでしょうか?そんな傾向ではない方には、ちょっと完読が厳しい本かもしれません。
が、それでも鉄分多めだと自覚のおありの方にならば、「試しに読んでみて」その感想をお伺いしてみたい本です。
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国鉄全盛期の時代に、全路線20,800キロをひたすら乗り潰した元祖“乗り鉄”とも言えるオッサンの道中記です。
時代を越えても、変わり者は変わり者なんだなぁと思いました。ここまで来ると一週回って楽しそう・・・鉄道に興味のない方でもそう思える一冊なのではないでしょうか。変に飾ることもなく、今まで乗っていない路線に乗るだけの旅がただ淡々と語られるだけなのに。
国鉄全盛期のため、今は廃線になってしまっている路線が沢山出てきます。廃止された急行列車・特急列車も沢山出てきます。ここらへんは鉄道ファンだからこそ楽しめる部分だと思います。「へぇー!まだ石勝線が開通してないのか!」とか。
僕もそろそろ中国地方へ行って、まだ乗っていない陰陽連絡路線に乗ってこようと思いました。
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僻地を旅する鉄道好きのエッセイ。
鉄オタでなくても楽しく読めるし、途中出会う人との会話も和やかなのだが、
たんたんと同じペースで進むため、飽きは逃れられなかったです。
誇張などが入っていない、自分に正直な書き方がすごく好感がもてました。
あと、自分の地元の線が出てくると無性にテンションが上がります(笑)
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「乗り鉄」という趣味があることを世に知らしめた古典。昭和50年代前半に中央公論社の編集者をしながら、国鉄完全乗車に執念を燃やす姿を描く。今では廃線になったローカル線の風景描写は、もはや歴史の記録だ。
ローカル線では、地元の高校生の登下校に乗り合わせる場面が多く、著者も高校生が赤字路線を支えていると書いているが、廃線となった現代は、通学はどうしているのかと、ふと気になった。
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国鉄の旅客路線を全て乗りつくそうと思って、やり遂げるまでのお話。昭和のお話。今ではほとんど廃線となってしまった鉄道線を、意地なのか好きなのかただの収集癖なのか乗りに行く。載って観光したり名物を食べたりとか何をするわけではないのは乗り鉄の先輩格である内田百閒先生と同じ。
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今となっては懐かしい響きとなった「国鉄」。その国鉄の全線踏破を筆者は試みる。会社勤めである筆者は只ひたすらに未踏路線を乗車していく。偏屈な鉄道マニアに思えるかもしれない。意味のない暇つぶしに思えるかもしれない。筆者が只ならぬのは「路線長」の定義から検証し時刻表はもとより時には国鉄規程さえ持ちだして厳密にルール化を実行している点だ。やっていることは阿呆らしいのだが(失礼・・・)、ここまで情熱を傾けていると神々しくさえある。大量に登場する地名(駅名)の、路線に関係のない地名は、実に淡々とした描述だが、それでも味わい深い文章に仕上がってるのは筆者の筆力の結果だろう。
国鉄も旅客は6つに分割され、周遊券もほぼ廃止し、撤退した赤字路線も多い。スマホで乗換を検索する時代に時刻表を眺める人はどれだけいるだろう。どちらの時代が良いかはひとそれぞれだが、不便ささえ味わい深い当時の古き良き旅行を記す名作の一つといえよう。
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国内に2万800キロある国鉄(現JR)の路線を全て制覇してしまおうという、作者:宮脇俊三。金曜日の仕事を終えて、夜行や飛行機で現地まで行き、目的の路線に乗るということをくり返す。鉄道ファンの原点。
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国鉄全線約20800キロ全てに乗るまでの旅の記録。ただ、この本に書かれているのは、全線完乗を目指すことを決意した後の、残りの約2700キロ分の記録である。落ち着いた文体でユーモアもあり、興味深く読める。今はなき路線の乗車記録もあり、また、昭和55年の国鉄全路線図が附載されているのもうれしいポイント。鉄道ファンにはたまらない1冊。