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紙の本
まるで推理小説を読むような
2002/03/25 17:14
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かわうそ亭 - この投稿者のレビュー一覧を見る
花衣ぬぐやまつはるひもいろいろ
谺して山時鳥ほしいまま
足袋つぐやノラともならず教師妻
多少なりとも俳句に親しんだほどの人で、これらの句を知らないということはまず考えられません。それほど杉田久女という俳人は何十年に一人という逸材には違いないのですが、しかし、俳句愛好者の間での久女のイメージはどんなものでしょうか。
ホトトギスを舞台に素晴らしく印象的な句を詠みながら、その奇矯な振舞いから虚子に疎まれ、最期にはホトトギスから除名された女流俳人、といった感じでしょうか。
じつは杉田久女については、松本清張と吉屋信子がそれぞれ『菊枕』と『底のぬけた柄杓』という久女をモデルにした作品を発表していて(ぼく自身はどちらも未見ですが)これによってそのイメージが決定付けられたという面があるようです。なにしろ、どちらも大物ですからね。ところが、これらの作品があくまで事実に基づいた評伝であればいいのですが、たまたまどちらも小説としてのテーマを追求するために、かなり事実関係については虚構に満ちていて、ために久女のイメージはずいぶん歪められていると、田辺聖子さんは書いておられます。
本書が驚くほどスリリングなのは、こうした虚構がなぜ流布し、いつのまにか定着したのかということを、明解にしかも遠慮なく書いているからだと思います。誰が久女を追込み、その精神をずたずたにしたのか、本書は一種の推理小説仕立ての名誉回復劇でもあるかのようです。俳句の世界に親炙した人は、おそらく、おおよその筋道が見えていると思いますが、ここでは推理小説ではないけれどネタバレは避けておきます。
第十五章における田辺さんの、静かで澄明ですが、しかし揺るぎ無い「瞋恚」にぼくはこころをゆさぶられました。
本書は、1986年の女流文学賞受賞作品です。
かわうそ亭