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紙の本
馬上の孤独
2001/04/17 17:27
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投稿者:松島駿二郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
★松島駿二郎の連載「紀行本を紀行する」はこちらからどうぞ
自分のことから書かせてもらえば、旅をしているときわたしがいちばん孤独を感じるのは移動中のことだ。ジェット機で成層圏を貫いて飛んでいるとき、わたしは必ず(できる限り)窓際の席を取り、窓の外をじっと見ている。あるいは船で大洋を横切っているとき、わたしは昼間のほとんどの時間を海を見て過ごす。汽車で移動しているときも、窓の外を走りすぎる風景をぼんやりと見て過ごす。そんなとき、いつも限りない孤独感を感じるのだ。なぜだろうか。たぶん、ある特定の目的に向かって、地表上を動いているのは自分一人だ、という感じがわたしを捕らえるからだろう。同乗者はいても、彼らの目的はわたしとは違うものなので、やはりわたしは孤独なのだ。
筆者のアンヌ・フィリップはシルクロードを馬に乗って旅している。馬で旅したことは残念ながらわたしにはないが、ロバでアンデスの山岳地帯を旅したことはある。だから、たぶん同じような感覚なのだろう。最初は大きな動物(ロバは意外に大きい)に緊張している。でも、すぐに慣れてくる。慣れてくるとロバの背という場所はたいへんに退屈な場所だということに気が付く。そして、標高の高いアンデスの山々に囲まれて、途方もない孤独感に襲われた。たぶん、馬の背も、ラクダの背も同じように退屈で孤独な場所なのだろうと思う。
本書の著者であるアンヌ・フィリップは1948年に中国の奥地である新彊省からインドのカシミールまで旅をした。最初はトラックの荷台に載って、その後は馬の背に乗り換えて、キャラバンとともにパミールの高原を超え、ヒマラヤの高地の峠を越え、ハードな旅を見事にこなした。いまではテレビの4WDのクルーが訪れて、珍しい光景を日本の各家庭に運んでくるが、その当時、アンヌのたどった道は、誰一人知らないような土地だった。年代に注意してみれば、毛沢東が中華人民共和国を創立する1年前のことだと分かる。以降、永らくこのパミール高原一帯の道は鎖国政策のため閉ざされた。わたしたちは行こうと思っても近づくことのできない幻の一帯となった。そういう意味で、鎖国の寸前に中国からインドに抜ける道がどんなものだったかが窺える貴重な資料でもある。
そして、いつも驚かされるのはそのような辺境のまた辺境に、人々が日常生活を営んでいる、ということである。そして、彼女が合流した、というより一緒についていくことにしたキャラバンの男ワヒッドはいう。
「ぼくはキャラバンの生活が好きです。ラサ(チベット)にいる叔父が、大規模なキャラバンを持っていて、ダージリン(インド)と交流をしているんです。(中略)こんな風に一生旅をしていたいのかどうか、よく分かりません。ぼくはインドで学業を終え、インド語に加えて、チベット語、ウルドゥー語、ペルシア語、英語、それに中国語を少し話せます。」キャラバンはこの地域の砂漠と高山の連なりのなかをまるで帆船のように航海していたのだ。ワヒッドは東南アジアの練達の船員たちがそうであるように、立派なコスモポリタンである。
この本の巻末には鶴見俊輔と長田弘の短い対談がついている。それは「馬上の孤独」とタイトルがうってある。キャラバンは何人かで隊列を組まなくてはならないが(つまり他人とのチームワークが必要なのだが)、それでいながら一人一人は行途の馬上で孤独なのだ、という。孤独なコスモポリタンたちでなくては、たぶんシルクロードのキャラバンは組めないのだろう。
わたしはそこに大きな共感を感じた。
★松島駿二郎の連載「紀行本を紀行する」はこちらからどうぞ