紙の本
かの国では今もあまり変わっていないらしい。
2005/08/07 00:17
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kokusuda - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近の小中学校ではイデオロギーについてあまり教えられていないようです。
しかし、現実には旧ソ連、中国、アメリカ、ドイツなど日本とは違うイデオロギーによって
運営される国家があります。
それらの国を理解し作品を楽しむためには作者が影響されているであろうイデオロギーを
少しなりとも理解する必要があると思うのですが、、、。
古代の賢人の言葉「愛と飢餓がこの世を支配している」
その支配から人類が解放された未来。
長年の教育と最高指導者「恩人」が率いる秘密警察の監視のもと、個性と自由が除去され
人々の行動は画一化されていました。
犯罪も飢餓も暴力も無い満ち足りた世界、、、。
すべての人間は「員数」として番号で管理され、生産も研究も愛情も生殖も国家の統制下にあります。
建物はすべて透明なガラスで造られ、すべての行動が秘密警察に監視され仕事も散歩も食事も
睡眠も性交渉も国民の義務として国家の計画した命令通りに行わなければいけませんでした。**
そんな「単一国」の技術者「D−503号」の手記が綴られていきます。
ロシア文学の伝統的な「語り」形式で描かれていく「単一国」の日常。
そんな彼に謎の女性「I−330号」が接近してくる。
「単一国」当局とその支配を逃れたい人々の争いに巻きこまれしまったのだ。
彼が開発していた宇宙船をめぐり戦いが起きていく。
自由とは何なのか?幸福とは何なのか?
平和とは?正義とは?
最近では見かけなくなった「語り」「告白」形式の小説です。
通常の一人称、三人称といった形式しか知らない読者には読みにくい小説かもしれません。
主人公「D−503号」の現実と夢、事実と想像が混乱し、自分でも気付かないうちに変貌していく様が
そのまま描かれているからです。
読者は彼の周囲で何が起こっているのか?
人間関係や社会はどうなっているのか?などを判断し展開を追いかけなければいけません。**
小説の形式が見慣れない上に全体に隠されたテーマがイデオロギーです。
少なくとも社会主義、共産主義、全体主義などの関係性を理解しておいた方が読みやすいでしょう。
作者のザミャーチン氏はロシア革命に参加し、その後ロシア文学界に大きな影響を与えました。
しかし、本作を発表後、レーニンと対立し、1931年パリに亡命しています。
エヴゲーニイ・イワノヴィチ・ザミャーチン(1884〜1937)
作中に旧ソ連と思われる政治思想が描き出され社会の幸福の元に抑圧される個人が登場します。
この作品は後年の研究によってさまざまな解釈や批評が行われ事実関係が明らかになってきています。
作者の表現や発想の豊かさと共に自分たちのイデオロギーについて考えさせられる作品です。
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高校生のときに初めて読んで以来、たまに開いてみることがある本。でも私が入手したのはこちらの本ではなく、講談社の全集の一部。確か、高一のときの「現代社会」の授業の副読本だか資料集で、情報化社会における国民葬背番号制度の危険性についてのコラムの中でジョージオーウェルの「1984」と一緒に取り上げられていたと記憶している。非常に面白かった。ロシア人(ソ連人)であることもあってか、イギリス人のオーウェルが書いたものより、真に迫っている、というのはいいすぎとしても、ディテールにこっているように思います。訳のせい(巧さ?)かもしれませんが、こちらの方が主人公の記述が機械的な感じがしてリアルに感じました。たまに1984と内容がごっちゃになります。
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反ユートピア小説。ソヴィエト時代に発表されたが、共産主義政権に対する侮辱として、ペレストロイカ後まで長らく本国では発禁になっていた。
独特の「語り」口調に馴染むまではなかなか読みづらい。特に語り手である主人公が常軌を逸し始めてからは、彼自身言葉を選ぶのに苦労しているため結構つらい。
しかし話の内容は抜群。共産主義社会に西欧の科学技術が取り入れられた社会を描くが、その結果立ち現れるのはほぼ完璧に近い管理社会。「自由を完全に封じてこそ、幸福が訪れる」という思想のもと、人々は時間単位に規律づけられた行動をとらされる。
そんな中、そのような社会に疑問を抱いた一部の分子が主人公に接触し、主人公も徐々に徐々に影響を受け始める・・・。
その過程はどことなくタブッキの『供述によるとペレイラは…』を思い出させた。また今まで信じていた価値観が崩れ、徐々に「壊れて」いく主人公の語り口は、ロシア文学らしい病的な興奮といったもの(よくドストエフスキーの小説で登場人物が陥ってるあの状態)で、読み手に臨場感を強く与える。
科学技術の進歩に対して常に付きまとう不安は現代においても不変のテーマである。テーマ的にも話の面白さ的にもなかなかのオススメ作品。
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いわゆるディストピア小説。主人公の手記という形で書かれているんだけど、情景描写が多くて映画を見ているような感じ。世界はガラスを主な素材としてできていて、建物や道路は透き通り、きらめき、世界を反射して映し出している。人々は青灰色の制服を着て音楽に合わせて行進する。いかにもSF映画的な感じ。この小説が書かれたのは1921年のソ連なので、むしろこっちがオリジナルなんだろう。そのほかにも、壁、ガス室、大200年戦争などというアイテムが出てきて、第二次大戦前からこれらのアイデアがあったということに認識を新たにした。
始めのうちは状況がよく分からないせいもあってなかなか読み進まないが、謎の女「I」が絡んでくるとがぜん面白くなって、止まらない。理性と情動の対立というか、情動に翻弄される状態は不幸なのか幸福なのか、そんな話。
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社会主義の嘲笑が聞こえる。・・・そこにあるのは楽園という名の奈落。脱個性の天国。甲高い鐘の音はあの尖塔からうるさく鳴っている。ぐちゃぐちゃと脳に反響する。処刑された仲間の悲鳴もわんわんと響く。人間はアンドロイドと化けても地球は回り続ける。トップの人間だけが得をする共産主義である。それならトップになればいいんだ、いいんだ。そんな思考を持つことすら許されない。――ぁ、目の前にはギロチンが。26世紀現在。
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透明なガラスで作られた街の中で、徹底的に管理・監視されている状況に何の疑問も覚えずに生きる、個性の無い無機質な人々を想像してぞっとした。
しかし、こんな感情を持つことすら、彼らからしてみれば異常なこと、想像力病に罹患している状態なのだから。
一体何が「しあわせ」なのかを考えさせられた。
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日々の行動はおろか、恋愛や生殖も、ガラスでできた世界の中で全て監視される。反対者は処刑され、植物も動物も排除される。
なにもかも、自分以外の全体主義国家によるものでなければ許されない。
これを読んで末恐ろしいと思いながら、すでにそういう世界が現実になっている部分も否めない。
何を捨てずに守るならば、こうならずに済むのだろう。
ディスプレイに表示される、おすすめの検索結果に甘んじずに、自分自身で思考しなければ。
「われら」を読むと、そういう気持ちになる。
訳文としては、「ロシア〈3〉/集英社ギャラリー「世界の文学」〈15〉」に掲載されている小笠原豊樹訳( http://booklog.jp/item/1/4081290156 )のほうが個人的には好き。
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アーキテクチャはライフスタイルである。プライバシーは功利主義的統治形態の敵である。全体主義的な員数成員(ナンバー)は複数的なマルチチュードの反対。自由がなければ犯罪もない。非自由は幸福。テイラー・システムの全時間全世界へのインテグレート。
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ザミャーチンだった。しばらくザチャーミンだと思っていました。ザミャーチンが正しいんだみゃー。
主人公は「わたし」とは言えないんですよ。「われら」としか言えないんですよ。元祖アンチユートピア・ディストピア小説。オーウェルよりハクスリーよりこっちが先。なんだか掴みどころがない世界。色がキラキラしていて風景がフワフワしている。
登場人物の名前はアルファベットと数字で区別される。しかし考えてみれば、そもそもわたしたちが「名前」と称している言葉ですら、文字の羅列にすぎないのだ。名前を付与するのが親か家族か、社会か組織かの違い。均一化された人間、パートナーも決められた通り。こちらはビックブラザーの代わりに守護天使がついている。ピアノの音がながれている。どこかで見たイメージとしてはボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』。
そもそもここに出てくる登場人物って人間の形をしているのかも疑問なのだ。もしかして植物のほうに近くないか? 花粉が飛んだり、蔓がのびてきたり。困ったことになると足元が崩れるし。もしかすると、もしかしてこれってSF?これなんてSF?岩波にもSFってあるのか。まさか岩波から宇宙に飛び出すとは思わなかった。出版社の先入観。
自分の乏しいSF体験から、過去の記憶から引っぱり出されるのはなぜか『青い宇宙のルナ』。ふるい。ロシアでSFってのに面食らったのは自分のロシアのイメージがたぶん19世紀くらいで止まっているからだろう。
主人公D(デー)、主人公の定番の相手はO(オー)、Dが惹かれる女I(アイ)はお酒飲むし煙草は吸うし、いつの間にか反逆者になってるし。後半に出てくるイケてないけどDのこと好きな女はU(ユー)。女性は全部母音らしい。今気がついたけど「ぼいん」の「ぼ」って「母」って字が使われる日本語の不思議。
それにしても毛深くて野蛮人に近そうな主人公はなんでこんなに女にモテるのかナゾだ。バラ色って呼ばれていたのにOの扱いがひどい。主人公Dが色ボケになって反逆者Iに翻弄されすぎ。そんなふうだから利用されて(ry
共産主義もレーニンが誰かってよく知らなくても壮大な叙事詩を眺めているような読書感覚。個人的には読んでいてこれがSFだと気が付くのがちょっと遅かった。自由というのは野蛮で、想像力は危険なんですよ。
巻末の解説にてロシアでは意外とジュール・ヴェルヌが読まれているとあって吃驚。ちょうどヴェルヌの『二十世紀のパリ』を読んでいたところです。ちなみに『われら』の“恩人”は『20世紀少年』の“ともだち”のイメージだった。
ディストピアをテーマにいくつか関連しそうな本を読んでみると一定したパターンがある。社会があって、組織があって、支配されていて、自由が制限されていて、異性と出会って、愛情が生まれて、最終的にはそれを否定される。人生に意味があるのかないのか。果たしてそれを決めるのは誰なのか。もしかしてそれってどんな小説でも一緒か。つまりそれが普遍的な物語性。
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徹底的に管理された社会で、半ば巻き込まれる形に近いながらもそれに反抗しようとする人間の物語。これが書かれた1920年代の旧ソビエトでは、反体制的だとされ、国家により非難されてしまったのですが、現代では果たしてどうでしょうか? 私のように自由の意味を履き違え、やりたい放題好き放題にやっている人間が溢れている今の世の中では? 本文中に出てくる「人間を自由から救い出してやる」や「自由の野蛮状態」といったフレーズが強く心に残ります。この本は私にとって、時間をおいてもう一度再読したい。という一冊になりました。
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かなり奇妙な本ではある。執筆されたのは1920年からその翌年というソ連建国直前の時期であり、その全体主義批判のディストピアSFというテーマが故に本国ではペレストロイカ後の1988年になってやっと出版されたという。また、単一国家による徹底した監視体制という、オーウェルの『1984年』やハックスリーの『すばらしい新世界』を先取りする内容にも関わらずその文体は余りに透明で、幻想的なために重苦しさや抑圧感とはどこか無縁な印象を受けてしまうのだ。そしてこれは「彼ら」に対してではなく、「私たち」に向けられている。
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原書名:Мы(Замятин,Евгений И.)
著者:エヴゲーニイ・ザミャーチン、1884ロシア-1937、作家、ペテルブルク理工科大学卒
訳者:川端香男里、1933東京生、ロシア文学者、東京大学教養学部教養学科→同大学院→パリ大学、東京大学文学部名誉教授
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『最も悪質な反ソ宣伝の書』こと、ディストピアSFの古典。
SFというよりは幻想的な雰囲気が色濃く出ていた。
『一九八四年』『すばらしい新世界』等、ディストピアSFの名作は多くあるが、個人的にはこれが一番好きだ。
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覚え書(個人的な備忘録:記述途中)
ディストピアな単一国が宇宙船を作っている。その宇宙船は「単一国の美と偉大さに関する論文、ポエム、宣言、頌詩、その他の作品」を最初の積荷とする。その積荷のひとつになることを目的に、宇宙船の製作担当官で数学者の主人公が、ノリノリで他の惑星の住人に上から目線で如何に自分たちの社会は理想を実現しているか(如何にあなた達は未熟で不幸かも含む)を日記形式(覚え書というタイトルで40篇で構成)で綴り始める。
主人公ははじめは単一国の社会や体制に不満は全く無く単一国の未来こそ最高で人間にとって最後の理想くらいに信じている。しかし謎の女性(実は革命家)と出会いその魅力に溺れていく中でだんだん狂ってくる(「魂」が宿る病気を患っていると医者に言われる。単一国では「魂」を持つこと自体病気である)。
主人公自身は覚え書を書きはじめた当初はマトモで途中から自分は病気で狂ってきたと思う。しかし読み手の私ははじめが狂っていて途中でだんだん人間らしく少しだけマトモになっているのでは思う。そのギャップが面白いし読んでいて頭がクラクラしてくる。(....いつか追記するはず)
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1920から1921年に書かれた本。日本では大正時代。そんな頃に、こんな未来小説、しかもディストピアものが書かれていたことに驚く。単一国という緑の壁に囲まれた国、人間がナンバーで管理された社会。ガラス張りの部屋に住んでいて、丸見えってことは、床はどうなっているのかめちゃめちゃ気になった。単一国の外の世界は首からしたが毛むくじゃらの色んな色の人々が住んでいて、でもそんな進化あるかな?と思った。もしかしたら、遺伝子操作されたのかも。小物使いも面白い小説。