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紙の本
1855年の分水嶺
2012/06/09 11:48
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ダケ - この投稿者のレビュー一覧を見る
トルストイはクリミア戦争の激戦地である港町セワ"ストーポリのロシア陣地を視察した。そこの前戦はフランス軍の猛攻を受けて、砲弾が雨嵐と降り注いでいる。第一次世界大戦に先駆けての大量殺戮が現れていたのだ。
激しい砲撃によって野戦病院は一杯になり、死体は山と積み重なる。そんな戦場に、志願兵が次々とやってくる。貴族の子弟達は、その名誉のために、愛国心と勇気を証明するために、モスクワからペテルブルグから、戦時の困難を乗り越えながらここへやって来る。
しかしその将校も兵士達も、日々に無惨な死者を生み続けるこの戦場に恐れおののく。明日にも、今日にも自分がその死体となるのではないかと蒼ざめるが、帰ることも叶わない。そして何日か、何週間かと過ぎるうちに慣れてしまう。慣れるというよりは、麻痺するというのが正しいかもしれない。皆が、運び出されていく死者達を横目に、飲み、遊び、そして新入りには心得を説く。
トルストイは、この戦場で九死に一生を得た将校と、彼を追って志願して来た弟の二人の兄弟を配置してその跡を辿る。年の離れた弟は桃色の頬のまだあどけない風でもあり、資金や装備の調達にかつかつになりながらもなんとかモスクワから遠く離れたセワ"ストーポリに辿り着いたのだが、そこは想像していたであろう騎士的な活躍の期待できる戦場ではない。兄は弟を迎えて、彼をこの環境に投げ込むべきか、追い返すべきかの狭間で宙ぶらりんになる。最悪の危機を笑い飛ばしているようでいても、内心ではそんな自分たちを冷笑しているのだ。
また一時的な停戦の際に、敵軍の兵士達とフランス語で会話するの楽しむ彼らの内面は、ロシアの抱えるコンプレックスがうまく処理できないでいることが戦争の背景であることを示唆しているだろう。一方でこのシーンは、伊藤桂一「静かなノモンハン」で、日ソ両軍の遺体収容係が束の間邂逅するのに似て、苦くも静かな期待を感じさせる。
やがて彼らは、敵の突撃兵を迎え撃つことになる。それもまた果ての無い肉弾戦だ。まったく英雄的でない戦場で、英雄的に振舞うことを自分に課さなくてはならない、この戦場は戦争というものが人類の行為の中で最大の矛盾であることを示しているだろう。その矛盾を矛盾として開き直りもせず、諦観もしない。ただここに生み出される悲劇が存在感をもって描かれることで、これからの世界が変容していく予感を伝えようとしていたようにも思える。