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紙の本
戦争であり、戦争にあらず
2002/11/29 00:44
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投稿者:おぎ - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦争を体験していない僕が戦争を語ること、そこにはとまどいがある。それが悲惨で残酷で、邪悪なものであることは頭ではよく理解できるのだけど、どうも実体がつかめない。さらにいえば、戦争に“関わる”事柄に“関わる”ことにすら後ずさりをしてしまう。そういう意味では、たとえば、アート・スピーゲルマンの漫画『マウス』は、まさに僕のそのような感情をうまく代弁してくれた。アウシュビッツの後遺症に悩む父親の性癖を理解できない主人公。彼は「アウシュビッツ」を題材に漫画を描こうと、調べていくうちに、次第に父への共感を深め、最後には和解へと近づいていった。
さて、T・オブライエンである。彼が扱うのはヴェトナム戦争。人類史上、最も無意味で、空虚で、錯綜していた戦争。もちろんあらゆる戦争は、それら修飾語句を冠するに値するが、ヴェトナムは本当にひどかった。だいいち、戦争の目的が完全に喪失していた。そこには前線もなければ、敵か味方の区別もしばしば明瞭ではない。自分たちが何のために戦っているのかもわからない。従軍兵士たちの志気は最低だったという。実際、彼らの姿はマリファナとロックに象徴され、そのイメージは今でも付きまとう。
そんな渦中に放り込まれた、ごく普通の、普通過ぎるくらいの青年ポール・バリーン。他の兵士と同じく、彼は常に戸惑い、混乱している。でも、彼には恐れの裏返しの空威張りもなければ、投げやりもない。ただ恐怖を恐怖として、困難を困難として真っ正直に、真っ向から受け止めてしまう。そんな彼がとった手段が、「想像」であった。「想像力を飛翔させること」、そう書かれている。言い換えれば、要するに、異空間・異時間への飛躍。“ここ”に、“このとき”にいながらにして、“ここ”ではない“どこか”へ、“このとき”ではない“いつか”へ。
それは、悪く言えば、現実逃避なのかもしれない。だけど、ここで留意しなければいけないことが二つある。一つは、創造は想像の延長線上にあるということ。実際に、オブライエンはヴェトナムを体験しなければ、小説なんて書かなかったと発言しているし、ストーリー・テリングの方法にしても、思い浮かべた(想像した)ことを、思い浮かべた(想像した)がまま、徐々に積み重ね、短いエピソードを編み上げて長編に仕立てていく。彼の小説は綿密に構築された「創造」物というよりは、もっとてらいのない「想像」物に近い(その「てらいのなさ」は、一部、批評家たちによるオブライエン文学の無視を招いたけど)。
そしてそのことは第二の留意点にもつながる。それは、誰もが誰も自分の物語を持っている、ということだ。僕たちは、自分らの将来を思う。たとえば、弁護士になった「私」を思い浮かべる、今はただの貧乏学生、それでも必死に勉強する。そこには想像(フィクション)がある(そしてもちろん可能性がある)。あるいは過去に思いをはせる。へまをやったことばかりが喚起される人もいれば、思春期の無垢が失われてしまったことを嘆く人もいる。取捨選択、人間は記憶を選び取る、そして作りかえさえする。そこにもフィクションはないだろうか?
このように、この世界自体、虚構の上に成立しているといっても過言ではない。誰もが虚構の中で息を吸い、吐き、自分だけの物語をせっせと紡ぎだしている。そういう意味で、『カチアートを追跡して』は、戦争を媒介とした、もっと普遍的で、身近な話だ。
戦争にデリケートになっている人も、距離を感じる人も大丈夫。この作品は戦争の物語であり、戦争の物語ではない。