電子書籍
是非、ご一読下さい。多分、納得して頂けると存知ます。
2020/05/01 23:07
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:間抜けなナオリン - この投稿者のレビュー一覧を見る
杜甫は勿論ですが、李白、王維は、素晴らしい、と思って居ります。唐の玄宗の時代にこの三人によって漢詩が体系化された、と思って居ります。然るべくして、、、
紙の本
格好の漢詩(唐詩)入門書
2018/08/15 16:06
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:通りすがりの病理医 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中学生の時に初めて読み、「正篇」では王維、常建、杜牧らの淡白な詩や「続篇」では韓愈の「山石」が10代の受験勉強の間、一服の清涼剤となった。
40歳を超えて久しぶりに再読したが、やはり素晴らしい。年をとったせいか、家庭をもったためか、張若虚「春光花月夜」(とそれに対する三好達治氏の解説)なども実感を伴って味わえるようになった。
いずれ、子供たちにも勧めようと思う。
敢えて、個人的意見を言わせてもらうと、
・王勃の「トウ王閣」が載っていない。・・・「本家」である李攀龍編の唐詩選の巻2の劈頭にある詩。江戸時代の文献(太田南畝の随筆や森川許六の風俗文選など)にその中の詩句「物換わり星移り」がよく引用されている。好みの問題といえばそれまでなのだが・・・
・最新の版では、原文にも新字体が使われてしまっている!・・・この点は最近の岩波文庫の漢詩集(文選とかね)などにもよくみられるのだが、「原文は旧字体、書き下し文・注釈・現代語訳は新字体」というのが戦後の漢詩集(岩波の中国詩人選集[新書版のやつね]、岩波文庫の王維詩集・蘇東坡詩選・旧版の方の中国名詩選、朝日文庫の中国古典選etc.)に共通する『鉄則』だったので、
「全て新字体」になってしまった現状をみると、何か岩波書店に読者が見下されているような錯覚さえ覚える。
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実は古文漢文の教師になろうと思っていたほどの漢文好き。あの漢字のなかから広がる世界って素晴らしいと思う。詩っていいわ。
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これは高2から高3にかけてカバンに入れてよく読んでいた記憶有り。ごく短い間ではあったが、王維、白楽天、杜甫などを身近に感じていた頃があったのは確か。仕事に一段落つけたら旅の途上で携行してみたい一書。
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高校の漢文の授業でこの本を読まされて以来の愛読書。今でもたまに引っ張り出して読みたくなる。唐詩のリズム感と生き生きとした描写は素晴らしい。一度中国人の友達に北京語で朗読してもらって、韻の美しさにびっくり。
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2人の名ソムリエによる漢詩のガイドブック。
風景描写が主で、かつ端的に纏まった詩の数々について、このように膨らませて味わえば良いのかという点で、目から鱗が落ちたようです。
また、「長樂少年行」は吉川・三好共に載せている詩ですが、2人の解釈が異なる所も、2人のアプローチの違いを表しているようで良かったです。
しかし、自力でこの解説のレベルまで補えるか?と思うと自信はありません。
とは言え、厳選された詩はどれも味わい深かったので、細かい事はおいておいて、また読み返したいです。
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[ 内容 ]
中国の詩は、世界の詩のなかでも最も美しいものの一つである。
とりわけ唐代は、李白や杜甫をはじめとして、多くのすぐれた詩人が輩出した時代であった。
中国の詩に親しもうとする若い世代のために、中国文学者と詩人の二人の著者が協力して、主要な唐詩の読解とその味わい方を懇切に説いた唐詩の世界への案内。
[ 目次 ]
前篇(杜甫 十五首;李白 二十九首;王維 十二首;孟浩然 一首;常建 二首;王昌齢 一首;崔国輔 二首)
後篇
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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久々に本を買った。図書館から借りて読んでいるのは1965年版だが、著者への感謝の意を込めて新品を買った。まだ途中までしか読んでいないが、これは手元に置いておきたい本。多分トイレに置くけど。
杜甫、李白、王維らの詩とその解説が載っている。中学か高校で五言絶句とか七言律詩とか言葉は習ったが、この本を買わせるだけで良かったのに。
とは言え中高の時に出会っても絶対に読まないだろうな。「これは名著」と思う自分に歳を感じる。
何なら中高の時に授業で漢詩を読んでいる可能性があるし、この本を紹介されている可能性すらある。しかし残念ながら何も憶えていない。藤田先生ごめんなさい。
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岩波新書 新唐詩選
前篇 吉川幸次郎 は 杜甫 解説がわかりやすい。後篇 三好達治 は 詩のチョイスがいい。表現は異なるが、両者とも詩の中の景色や自然から 人間の情感を取り出している。
吉川氏は 詩人別の特性を強調し、三好氏は 詩の読み方を強調している
吉川氏の杜甫と李白の詩の取り出し方の違いは面白かった
*杜甫の詩は 自然と人間を比較し、自然の完全な秩序や調和から人間の不完全や有限性(老い)の悲観性を憂い
*李白の詩は 人生を大きな夢に例え、自然と一体となって 秩序を保ちながら生きる楽観的な人間像を捉えている
李白の荘子的な詩情は印象に残る
*今日は風日好ろしきも、明日は恐らく如かざらん〜春風は人に笑う
*世に処るは大きな夢のごとし(人生は大きな夢である)
*頭を挙げて山月を望み、頭をたれて故郷を思う
三好氏は漢詩を読むことを歴史を読むことと同じに捉えている〜なるほどと思う
〈絶句ニ首〉
江は碧(みどり)にして 鳥は いよいよ白く
*江=揚子江→揚子江のみどりの水面の上を飛ぶ白い鳥
*白=旅人の悲しみ
山は青くして 花は燃えんと欲す 今の春も看のあたりに又過ぐ 何の日か是れ帰る年ぞ
*燃えんと欲す=自然のエネルギー
*今の春も看のあたりに又過ぐ=今年の春も今までと同じように通り過ぎていく→万物はみな推移する感覚
*何の日か是れ帰る年ぞ=失った官吏の職を得るために長安に帰れるだろうか〜おのれの命は旅人として推移しているが
吉川幸次郎 杜甫解説
〈春の望(なが)め〉
国破れて山河在り 城は春にして草木深し
*国家の機構が解体してボロボロになった状態→敗戦を意味しない
*城郭に囲まれた町に今年も春が来た〜人間は秩序を失っても自然は秩序を失わない
烽火(ほうか)は三月に連なり 家書は万金に抵る
*三月=最も美しい月だが、安禄山の乱による狼煙の火はやまない
*家族はどうしているだろうか〜家書(家からの消息の知らせ)が得られたら万金に相当する
〈江亭〉
腹をたいらにすれば江亭の暖かに 長く吟じて野を望むる時
*江亭に大の字に寝そべりながら詩を口ずさむ幸福な時間
水は流れて心競わず 雲は在りて意はともにのどかなり
*悠々たる春の流れのように、わが命を安らかに、時間の流れに託す
*自然と同じ秩序にいる
〈高きに登りて〉
風は急に天は高くして〜不尽の長江はコンコンとして来たる
*風は 激しく山から見る天空は 高い
*長江は大きくうごめきつつ流れている
万里に秋を悲しんで常に客となり 百年の多病に独り台に登る
*郷国を去ること万里、おのれはいつまでも客(たびびと)である
*人生百年の半ばを過ぎたのに、わが身には多病と孤独しかない
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この本は後篇を読んでから前篇を読んだ方が理解が進む。
唐詩をしっかり理解して読みたいと思い、前に何冊か買って読んだ。小川環樹の『唐詩概説』(岩波文庫)は基礎知識をつけて変遷を追いかける意味ではまあよかったが、詩歌の魅力に迫ることはなく、また同じ人の『李白』(岩波新書)はただただ眠かった。前野直彬の『唐詩選』(岩波文庫)は上巻だけ読んだが、苦痛でしかなかった。どれを読んでも詩歌の面白さが伝わらず、文法解説書にしか思えない。
三度目の正直を期待して本著を購入したが、吉川幸次郎の担当した前篇(本篇)全部削って三好達治に紙幅を譲りたいくらい、三好達治の「オマケ」が素晴らしい。詩歌の楽しみ方や、目を向けるべきところ、中国詩の特徴など、詩歌に疎い人にとって非常に為になる話ばかり。吉川の文章はどちらかというと論語でも読まされているような感じで、訳文も、ゆうたら悪いが、センスがない。いづれにしてもあの文章を通じて詩歌に魅力を見出すことはできなかった。
前篇は書題どおり『"新しい"唐詩選』で、吉川幸次郎の(多分)独断と偏見で選ばれた唐詩が解説とともに紹介されている。ただし紙幅の関係で扱う範囲は盛唐から晩唐で、つまりどう考えたってはじめから杜甫と李白しか紹介する気がない。実際、吉川担当の前半だけで李白の詩が60頁。前半全164頁の中の60頁なので、三分の一強。本家唐詩選も李白の詩が可也の数収録されているらしいので、この割合についてとやかく言うつもりはなかったが、王昌齢の紹介で「ただこの詩人については、吉川の前著……に、相当詳しい記載があるので、ここには……一首のみをあげる」という乱暴ぶりに驚いた。自著の宣伝か。
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p.128
「杜甫が人間の心情の美しさを歌う詩人であり、李白が人間の行為の美しさを歌う詩人であるとすれば、王維は主として自然の美しさを歌う詩人である。中国における自然詩……は……自然を詠ぜんとして自然を詠じたのではない。……自然の美しさを人間の道理の源泉、典型としてあがめつつ詠ずる……傾向にある。……王維の自然詩は、他への関心をたって、純粋に自然の美を探究する。」
p.140
獨坐幽篁裏,彈琴復長嘯。
深林人不知,明月來相照。
(独り幽篁の裏に坐して、弾琴復た長嘯。
深林人知らず、明月来たりて相に照らす)
鳥の声や風の音、葉や枝の触れ合うささめきを聴くのではなく、琴や唄いという人工音で悦に入っている時点で自然美といえるのか甚だ疑問。自然と人間の間で生きているといった方が当たっているのでは。
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正直、読み下し文を読んでもさっぱり理解できなかったので、しっかり語句を解説してくれてる前編はよちよちながら進めることが出来た。後編は辛かった…