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紙の本
日本文学史 (講談社学術文庫)
著者 小西 甚一 (著)
文藝作品の内なる表現理念=「雅・俗」の交錯によって時代を区分したところに本書の不滅の独創がある。健康で溌溂とした「俗」を本性とする古代文藝、端正・繊細な「雅」を重んずる中...
日本文学史 (講談社学術文庫)
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商品説明
文藝作品の内なる表現理念=「雅・俗」の交錯によって時代を区分したところに本書の不滅の独創がある。健康で溌溂とした「俗」を本性とする古代文藝、端正・繊細な「雅」を重んずる中世、また古代とは別種の新奇な「俗」を本質とする近代。加えて著者は、日本文学を「世界」の場に引き出し、比較文学の視点からも全体的理解に努める。長く盛名のみ高く入手困難だった「幻の名著」の待望の復刊。(解説=ドナルド・キーン)【商品解説】
目次
- 0 序説
- 1 古代
- 1.萌芽時代
- 2.古代国家の成立とその文藝
- 3.万葉の世紀
- 4.古代拾遺
- 2 中世第1期
- 1.漢詩文の隆盛と和歌の新風
- 2.散文の発達
- 3.拾遺集時代と白詩
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紙の本
二百枚の原稿が啓く文藝史
2004/04/17 12:59
21人中、21人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:北祭 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ドナルド・キーン氏が大著『日本文学の歴史』を刊行するにあたり、その刊行を励ます会におけるスピーチで、小西甚一氏は「日本人に本当の日本文学史が書けないはずはありません。キーンさんのよりも良い文藝史を、わたくしが書きます」と宣言し、事実、大著『日本文藝史』を書いたのは有名である。この知的な戦いには背景があった。
ドナルド・キーン氏が京都に留学していた昭和二十九年のことである。キーン氏は京都から東京に向かう列車のなかで読む本を探しに駅構内の本屋に入った。そこに全然目立たない小さい本(本書)に気がつく。列車の中でキーン氏は本書を読みすすめ、感銘を受ける。この邂逅はキーン氏に絶大なる影響を与えたのであった。本書の解説でキーン氏はそう語るのである。
それまでキーン氏は「愛国的文化論は客観性に乏しく、他国人が日本文学史を書いたほうがより客観性がでるだろう」と考えていたものであったが、本書を読んで全くその自信がなくなったという。本書のいたることろに鉛筆のマークを走らせた。「私の蒙を啓いてくれた恩人である」、これがキーン氏の小西氏とその著作への思いを伝える言葉である。
まもなく小西氏はキーン氏の来訪を受け、お互いに良い意味で意識しあう仲となる。やがて、キーン氏の大仕事に触発され、野心を動かし発奮の先述した宣戦布告へとつながるのであった。
本書は、古代から現代までの文学史が四百字詰め二百枚にまとめられたものである。たった二百枚である。それを可能としたのは小西氏の書誌に対する基本姿勢にあるように思われる。
キーン氏も指摘することであるが、一般に文学史を書く学者は数々の事実の無味乾燥な羅列に終始するきらいがあるという。そのような目録作成に陥る学者に対して、書誌学の面から谷沢永一氏は『日本近代書誌学細見』のなかで次のように戒めた。曰く「故に私は世の目録作成者に告ぐ。読め。読んで判断せよ。…最も避けるべきは、内容も知らない文献を、いちおう恰好よく並べるペテンの業である。これからの書誌学は評価あるのみ」。
小西氏は読む(キーン氏が読もうとしても難しくて読めないものまで読んでいる)。読んで「評価に値するもの」のみ極々少数を取り上げ、そしてキーン氏の言葉を借りるならば「至るところに学問的でありながら読者をびっくりさせる新鮮な見解」に満ちた論考をすすめるのである。
印象深い見解をひとつ挙げてみたい。それは、「物語」と「小説」との違いについてである。
「ところで、作り物語は、一般的にいって小説とはたいへん違った特性をもつ。それは、小説が人生の<切断面>を描くものであるのに対し、物語は人生の<全体>を述べる面であるという点である。つまり、小説は、…作者の描こうとする中心があり、それを適切に描き出すため、いろいろな周辺的事実を配置してゆくのだが、物語は、むしろ、周辺的な事実をこまごま書いてゆくことが本体なのである。…小説ならば、失敗として非難されるであろう無統一性が、物語においては、かえって本来の性格をなる。小説をよむときの批判基準は、物語には適用できないのである。」
小西氏はこのような視点から作り物語『源氏物語』を語る。近代小説の構成に慣れた眼にはあきれるほかないような「むだ」、統一性を志向せずにこまごまと書かれる主人公の生活。そのような無限定性が、実は「全体」として主人公の生活をいっそう広く深く暗示する。それが『源氏物語』を物語の史的展開において頂点をなす物語足らしめるという。
まことに本書は蒙を啓いてくれる一品である。