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商品説明
【読売文学賞小説賞(第49回)】子どもの殺人に原因はないよ、幼児が迷子になるのに原因がないのと同じだ。親が目を離したから? それは原因じゃなくて子どもが迷子になる過程の一つにすぎない…。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
村上 龍
- 略歴
- 〈村上竜〉1952年長崎県生まれ。武蔵野美術大学中退。小説家。著書に「すべての男は消耗品である。」「イビサ」「ピアッシング」「5分後の世界」など多数。
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紙の本
「依存」を拒絶するために「外部」を意識すること。
2002/07/03 03:44
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投稿者:あおい - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上龍という作家は、恐るべきロマンティスト、というかヒューマニストだと思う。彼は絶望的な状況を描くことが多いにもかかわらず、けっして諦めはしない人物を主人公やあるいはメインの人物に据える。制度にスポイルされるのを徹底して嫌うために、「救いがないことが救いなのだ」というメッセージが、彼の作品を貫く根本的なテーゼであるように思う。
日本に住んでいる人は、「日本」というシステムに依存しているのだ、というのが村上龍の口癖だが、彼の小説の面白いところは、「外部の人」が単に理想として描かれているわけではないということだと思う。「外部」は、ある種の理念、または方向としてだけあって、そんな場所は実は何処にもない。フランクは「日本」というシステムからすれば「外部」の人だが、しかし「理想的な人格」とはほど遠く、実際彼(フランク)は彼自身の「狂気」というシステムに依存しているだけであって、その意味では「日本人」と本質的な差異があるわけではない。だからフランクは「答え」ではない。「答え」はケンジ、つまり「自分」が探すしかない。内田百けん(うーん漢字がない)の小説『山高帽子』に、「ひとつの思いこみから解放されたと思うのもまたひとつの思いこみであって、結局解放されるなんてことはないのだ」という意味の台詞があるが、村上龍の小説からも、「出口はない、しかしつねにシステムを疑え」という声が聴こえてくるような気がする。この物語ののケンジは優柔不断にも見えるけれど、「日本」というシステムと「フランク(狂気)」というシステムのいわば「あいだ」に立っているのだ。