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商品説明
常に大舞台で脚光を浴び続ける騎手界の第一人者による痛快エッセイ。勝利の喜びや敗戦の悔しさ、レース中の駆け引き、プライベートな交友録など、本音のつまった一冊。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
「田バチャン、アル・パチーノを一瞬超えてたぜ、おめでとう」
2005/07/10 14:26
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Straight No Chaser - この投稿者のレビュー一覧を見る
田原成貴が騎手として大きな一歩を刻み込んだふたつのレース。
93年12月26日の有馬記念。トウカイテイオーでの劇的な勝利。
そしてこの『馬上の風に吹かれて』で語られる、97年4月27日の天皇賞(春)。マヤノトップガンでの勝利。
前作『競馬場の風来坊』にくらべて、かなり筆が乱れている。書き手の不安定な心が、じかに伝わってくる。「おれは、いったい、なにをやっているんだろう?」
田原成貴は『競馬場の風来坊』のなかで言っていた。
「馬の魂を揺さぶるには、自分の魂を限界まで揺さぶらなければならない。」
ある人はそれを甘えの表現と見るのかもしれない。あのような事件を起してしまった以上は。
でも、あの頃、田原成貴が少なからぬ人に勇気や感動を与えたのは確かなのだ。
で、自分の魂を限界まで揺さぶること……そのことの辛さがより深く刻み込まれている、そういう意味では前作『競馬場の風来坊』よりも、この『馬上の風に吹かれて』のほうが上であるかもしれない。
「阪神大賞典が終わってから天皇賞までの数週間、何度彼の出演しているビデオテープを見ただろう。時間にして述べ30〜40時間は見ただろう。/なぜアル・パチーノなのか、私にも明確な答えがあった訳ではない。しかしそれが、天皇賞でマヤノトップガンに騎乗して、サクラローレルやマーベラスサンデーを相手に、優勝する答えを見つけることが出来る唯一の方法ではないかと、思ったからだ。」
……ある意味、狂っている。アル・パチーノのように、しかもアル・パチーノを上回るような演技を馬上で見せることができれば勝てるかもしれない。大真面目に、そこまで思いつめているわけだ。おいおい、そんなわけないだろ、と突っ込みたくもなる。
そして彼が導き出した答は
「意識を消すことだ。これが全てだ、と。」
「演じる=演じない=演じる。」
無の境地?……たぶん、人々が揶揄するような口調でひねくりだす、そんなものとは違うのだ。どうして、わかる? それを端的に示しているのは、この箇所だ。
「内回りの4コーナーを少し回った所に綺麗な百合の花が置かれていた。/その地点でスイ(四位洋文)と私は両手を合わせ、数十秒の間黙祷した。/『成貴さん、あの花、誰が置いたんスかね……?』/『あいつの友達だよ……』/『でもうれしいスよね……本当うれしいっスよ……』/調整ルームへと向かう私の後ろでスイは何度か、花の置かれている所を振り返ってそうつぶやいた。/『潤ちゃん見てるかな、俺達のこと……』/『どうかな……でも何処に行くのかな……スイどう思う……』」
岡潤一郎。平成5年に24歳の若さで落馬事故で亡くなった彼のことを、田原成貴は、いつまでも忘れずにいる。(田原さんの本には、必ずといっていいくらい岡潤一郎=潤ぺーが登場する。ちなみに、百合の花を置いたのは、武豊らしい。)
巻末に収められた騎手・松永幹夫(落馬事故で腎臓を摘出、復帰後の時期)との対談のなかの言葉が印象に残っている。
田原→「幹夫が突き抜けるには、マイナスの部分がまだ少なすぎると思うんだ。」
松永→「マイナス……ですか?」
田原→「そう。競馬の上でのいい意味でのマイナス。豊や岡部さんにはそれが沢山ある。高く跳ぼうと思ったら、突っ立ったままジャンプするより、いったんグッとしゃがみこんだほうがいいのと同じ。でも、そこでしゃがみすぎたら駄目なんだけどね。……」
しがらみだらけの競馬サークルで破天荒に熱く生きる田原成貴の言葉は、いま読んでも(いま読むからこそ?)大いに力をもつと思います。『競馬場の風来坊』&『馬上の風に吹かれて』。競馬なんか知らなくても楽しめる、熱くなれる、おすすめのエッセイ集です。