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商品説明
誰もが読んだ「ライ麦畑でつかまえて」なのに誰も見ていなかったものがそこにはある。何故ホールデンは右手に怪我をしたのか。最後に何故雨が降るのか。息をのむ分析力、圧倒的な説得力、新しい切り口で物語を読む。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
今まで私は何を読んでいたのだろう?
2001/01/23 20:02
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投稿者:青月にじむ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「私って、こんなにぼけてたのか!」と地団太踏みたくなる本だった。いや、ぼけてるのは認めるけどさ、どうしてこれだけ物語の中にヒントが隠されてるのに気付かなかったのかなぁ、と。気付く方が変だよ、と誰かに言って欲しいもんである。
フィッツジェラルドの「大いなるギャッツビー」との密接な関係は、雨の中の死、ということで繰り返し表されていること、大好きだった弟のアリーになり替わるために赤いハンティング帽を被っていること、そしてその帽子は妹のフィービーに手渡されることで、フィービーがアリーになり替わること、博物館のガラスケースが好きな訳、窓ガラスの果たす意味、「ゲームに参加しない」訳、アリーが死んだ時にホールデンが狂ってガレージの窓という窓を叩き割って右手を駄目にしたことの意味、ホールデンが老人にも子どもにも見えるという外見の訳、迷った末ガールフレンドに会わない(and 電話するのを止める)訳、フィービーがD.B.の部屋にいる訳、アントリーニ先生の家を夜中に飛び出す理由、そんなこんな、とても小さくてとても重要なひとつひとつの事象を、「これでもか」という程に解説してくれるのだ。
確かに私は「ライ麦畑でつかまえて」に代表されるサリンジャーの作品が好きだし、それらがしばしば「きれいなままの子どもでいたい」という願望を表したものだということは知っていたのだけれど、それは作品から「何となく」感じられるものであり、その正体が一体何なのかまでは突き詰めたことが無かった。今、もう一度読んでみると、全く違う印象を受けるものかも知れない。ここまでパイ生地のように何層にも何層にも薄く「もの」(事象)を重ねて、その間、間にたっぷりと「空気」(意味)を含ませるという方法がここまでできたものかと感心するばかり。そして、改めてホールデンがしでかす奇妙な行動や考え方の訳が分かってくるのだ。
とにかく、ページを繰る毎に襲ってくる感動、これほどのものには久しぶりに会ったように思う。ひとつひとつの解説がそのまま、ホールデンの心の叫びに聞こえてくる。ホールデンは「僕のことなんて誰も理解できないんだよ」という態度をとりつつ、こんなに分かって欲しかったんだ!いや、それは最初っから分かってたんじゃないか、ただ、それを受け止める方法を知らなかっただけで。
全ての、ホールデンを、サリンジャーを愛する人たちに読んで欲しい。これが学術的にどうなのか、なんてことは関係無い。彼らを好きな人たちはもっと好きになる筈だし、どっちだかよく分からなかった人は間違い無く、夢中になるに違いない。