「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
電子書籍化お知らせメール
商品が電子書籍化すると、メールでお知らせする機能です。
「メールを登録する」ボタンを押して登録完了です。
キャンセルをご希望の場合は、同じ場所から「メール登録を解除する」を押してください。
イエス像の二千年 (講談社学術文庫)
予約購入とは
まだ販売されていない電子書籍の予約ができます。予約すると、販売開始日に自動的に決済されて本が読めます。
- ※商品は販売開始日にダウンロード可能となります。
- ※価格と販売開始日は変更となる可能性があります。
- ※ポイント・クーポンはご利用いただけません。
- ※間違えて予約購入しても、予約一覧から簡単にキャンセルができます。
- ※honto会員とクレジットカードの登録が必要です。未登録でも、ボタンを押せばスムーズにご案内します。
ワンステップ購入とは
ワンステップ購入とは、ボタンを1回押すだけでカートを通らずに電子書籍を購入できる機能です。
こんな方にオススメ
- ①とにかくすぐ読みたい
- ②購入までの手間を省きたい
- ※ポイント・クーポンはご利用いただけません。
- ※間違えて購入しても、完了ページもしくは購入履歴詳細から簡単にキャンセルができます。
- ※初めてのご利用でボタンを押すと会員登録(無料)をご案内します。購入する場合はクレジットカード登録までご案内します。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
2013/11/24 17:44
投稿元:
これはよかったです。尊敬する先生から薦められ、購入だけはしていましたが、いろいろあって積読状態だでした。意を決して読み始めると、含蓄が深く本当に面白かったです。
内容はどういうものかといいますと、二千年のキリスト教歴史の中で、信仰や組織、社会的な位置など、教会自体に様々なうねりがあったことはご存知のところだと思いますが、そんなキリスト教信仰の常に中心であったイエス像の変遷を描いています。真理とは不変であるということは常に語られますが、ことイエス像に関しては、その多様性がキリスト教の世界宣教に大きく寄与してきたことは事実であります。ローマ帝国を飲み込み、中世の暗黒を越え、文芸復興から起こる科学の実験にも晒されながらも、人々の救いを果たし続けた歴史を紐解く名著です。ここでは各章の触りを紹介します。
1.ラビ
ラビというのは、ユダヤ教の教師という意味です。新約聖書学者による史的イエス研究は日本においても進んでいますが、信仰と離れた学問的な研究の結論としてのイエスは、ラビであったということです。イエス当代の共にいた人々も、概ねそのように捉えていたでしょう。真実イエスがラビであったことは然りです。しかしその意識の中に神の子、メシヤとしてのものがあったのか、ここからが信仰と学問の分岐点になりますが。
2.歴史の転換点
イエスが生きているうちは偉大なるラビとして見ていた者たちは、初代キリスト教徒として歩む中で、イエスの存在をラビから預言者、そして預言の指し示す人物へと昇華させていきます。そうして終末論的な歴史観の中に、イエス像を当てはめていきました。歴史の転換点としてのイエスの再臨を人々は伝えるようになるのです。キリストの誕生というところでしょうか。
3.異邦人たちの光
イエスがキリストとして人々の中で成長していくにつれて、それがユダヤの枠を超えた異邦人たちにとってもキリストであるという証明を求めるようになります。旧約聖書における異邦人の聖人、ヨブ、モーセの養父エテロ、そして預言者バラムが神から選ばれたものであることを根拠の一つとして。ローマの詩人ウェルギリウスが初代皇帝アウグストに宛てた詩を、イエスに対する預言として取り込み、その素地となった、古代ギリシャのシビュラの女預言者たちの神託をキリストの預言とすることにより、イエスを異邦人たちの光とすることができました。
4.王の王
ローマ帝国にキリスト教が入り込む中で、政治的な君主である皇帝と魂の主であるキリストとどちらに仕えるのかを問われることがありました。信徒たちは、マリアに対するガブリエルの告知にあるように「ダビデの王座を受け継ぐ」キリストを、王の王として理解し、そのキリストの元に権威を与えられるローマ皇帝に仕えることをよしとすることができました。。政治的な転機は312年コンスタンティヌスの時です。ローマ帝国の首都をコンスタンティノープルに移した際、ローマの司教が持つ霊的権威が首都の機能から解放されたローマにおいて、一層際立つようになったそうです。800年シャルルマーニュが時の教皇レオ3世より戴冠することを通し���教皇権の元に国王があることが明確に示され、キリストの王の王としての権威が確かなものとなりました。
5.宇宙的キリスト
ロゴス的イエス。4世紀までにイエスが獲得した威光ある名称の内、ロゴス以上に重要なものはありません。イエスをロゴスと捉える三位一体教義は、コンスタンティヌスが開いたニケア公会議によって教義とされました。キリストをロゴスとすることにより、古代ギリシャの哲学も飲み込み、特にプラトン的宇宙観により、理解が進むようになります。ヨハネ伝の冒頭にあるように、言葉によってすべてがなった、のであるので、創造主としてのイエス像がこの時期までに確立していくようになります。
6.人の子
古代教父いおいて最も偉大であるとされるのは、ヒッポのアウグスティヌスでしょう。アウグスティヌスといえば『告白』ですが、その中で自らの罪の告白を通じ、人間の原罪に言及し、しかしそれを贖われるキリストの恩恵を讃えます。アウグスティヌスが後代に大きな影響を与えたものは、人の子としてのキリストでした。「神の子」という名称がキリストの神性を表すものであるのに対し、「人の子」というのはキリストの人性、要するに受肉し人間にまで身を低めたキリストを顕す言葉です。キリスト教における贖罪論は人の子としてのイエスを理解せずしては成り立ちません。
7.真の像
古くからの芸術作品のモチーフとして、イエス像は多く使われてきました。モーセの十戒には偶像崇拝の禁止が明確にされているのに、キリスト教においてはイエス像を描くことが概ね許容されています。初代キリスト教の時代から、イエス像は描かれ続けてきました。しかしこの時代は厳密な教義解釈の上で許されていたわけではなくて、単にモーセの十戒が守られていなかったというだけのようです。しかしこのことが、だんだんと問題になり、本格的に解決に取り組みだしたのはビザンツ帝国の時代、8、9世紀のことでした。偶像とも取れるイエス像が許されるようになった教義は、神の受肉の事実から理解されます。神聖なる神ご自身が卑しき肉とまとい、救いのために地上に来られた姿がイエスなのだから、イエスが描かれたものも、神の神性が絵画という形を持って受肉された、と捉え直したということです。
8.十字架に付けられたキリスト
現在でも様々な場面に十字架が掲げられています。教会はもちろんのこと、国旗やエンブレム、少し昔だと王冠にまで、古代ローマの死刑の道具出会った十字架が、キリスト以来全く別の象徴として、世界を飛び回っています。歴史の紆余曲折がありながらも、歴史の中において十字架が示すものは、神の犠牲の愛です。
9.世を統べる修道士
絵画や彫刻等で見られるイエス像のいくつかは、薄汚れたガウンを頭から羽織る修道士の姿をしています。新約聖書の語るイエスには、そのようなところはないにも関わらず、人々はイエスを「世を統べる修道士」として捉えようとしました。修道士のあり方とは、消極的な面を言えば、一言で禁欲です。イエスの言行に根拠を求め、また歴史的な経験の中から、信徒に節制や禁欲をイエス像に含ませていきました。
10.魂の花婿
中世になり修道院が信仰の揺���となる背景に神秘主義の影響が大きくありました。神秘主義とは「究極の実在との一体性の直接の体験」のことをいいます。旧約聖書の雅歌には愛の賛歌が多く取り上げられますが、中世の修道院においては福音書以上に熱心に読まれたのが、この雅歌だったそうです。恋する乙女がその思い人を慕うような内容は、信徒がキリストを待ち望む歌としてうたわれるようになりました。その中でキリスト教徒はキリストの花嫁として、キリストは魂の花婿としてしたわれ続けています。
11.神人のモデル
神が人となった、という受肉の教義がされにすすみ、イエスの人間性に対して新しい理解がされるようになりました。罪の贖い手としてのみではなく、イエスが生き十字架に掛かり昇天するまでの生涯を追うことに関心が寄せられるようになったわけです。そのようにして、信仰の形もキリストに似ることを求めるようになるきっかけとなったのが、12世紀のアシジの聖フランシスコの存在です。教皇ピウス10世により「第二のキリスト」として公認されるまでになったフランシスコが、キリストに倣う生き方を示しました。ブラザーサン・シスタームーンの歌にあるように、彼は自然を崇拝の対象ではなく、兄弟として再発見し、体を痛めつけることを通じ、キリストと同化しようとすることにより、信仰の新しい道を開いてきます。ここでいうキリストは十字架につけられたキリスト、ではなく、清貧におけるキリストとの一致です。
12.普遍人
14世紀、イタリアを皮切りに文芸復興の嵐がヨーロッパを飲み込みます。自由を抑圧していた教会制度と貴族のあり方から離れ、自由に人間性を追求しようとする、人間本来の願望は人々の個性を刺激し、大きな波になりました。個性を追求し、神よりも自然を強調し、科学の発展を促した人文主義が台頭を始めます。神学の面においては人間イエスの追求が進みます。神秘主義的な理解ではなく、より人格的面においてのイエスを理解しようとしました。イエスに倣うのではなく、その生涯の分析ですよね。研究の対象になっていきました。「普遍人」という言葉の理解は、ちょっと曖昧なので、背景だけ紹介しました。
13.永遠を映す鏡
ルター、カルヴァン等の宗教改革者が、宗教改革の宗教的達成、文化的貢献のための中心方法として、イエスを「永遠を映す鏡」として理解しました。一方は「美の鏡」として、イエスに刺激された文学、芸術、音楽の領域で、もう一方は「善の鏡」としてイエスによる政治秩序の領域です。ルターは主に前者、カルヴァンは後者として、イエスを「永遠を映す鏡」として、宗教改革の原動力としていきました。
14.平和の君
ヨーロッパの歴史を知るときに、戦争を無視して語ることはできません。キリスト教化したヨーロッパにおいても、戦争は繰り返されました。コンスタンティヌスから始まり、十字軍、宗教改革においての30年戦争、近現代に至るまでにも多くの戦争を繰り返しています。イエスの言葉を使い、戦争を肯定することは幾度となく使われてきた手段でした。平和の君としてのイエス像は確かに聖書にも語られていますが、完全なる反戦ということがその真意であるか、時に手段としての戦争も容認するのが平和の道なのか、答えは出ていません。
15.良識の教師
科学が発展しだすと、神秘の領域は狭まります。科学面においてはニュートン、思想面でもヒュームやルソーを通じ、神秘よりも自然を重要視する社会的視座が磨かれていきました。それにつれてイエス像にも神秘的側面を排除しようと、人間イエスの追求に拍車がかかります。史的イエス問題が盛り上がってくると、キリストとしてのイエスを否定する識者も現れ始めました。そういう学問における立場により、神性を語らないまたは否定する人々は、イエスを良識の教師として扱いました。道徳的に人並み外れた理性と、実践力を持つ人物。その歴史的権威は認めつつも、宗教的霊的権威は不可知として、研究の領域から除かれていきました。
16.霊の詩人
19世紀の合理主義がより人間的なイエスを描き出すと、それの反動のように現れたのが「ロマンチシズム」でした。「必ず失敗する運命にあり、われわれの時代までには捨てられてしまった試み、即ち、主観と客観を同一視し、自然と人間、意識と無意識を、『最初にして最後の知恵』である詩によって和解させようとする試み」ということです。ここに来て、ルナンとかシュトラウスという名前が出てきます。キリストとしてのイエスを否定し、印象派的な理解を持ってイエスにおける美、ロマンチシズムをそのイエス伝の中に詠ったわけです。
17.解放者
19世紀に入り、世界が激動しだすと、列強が植民地を争い、富を追い求め、統べる者と囚われる者が現れ始めました。そのような時代において、社会的解放を願う良心的なクリスチャンたちは、イエス像の中に解放者としての姿を見つけ出しました。ロシアのトスルトイは独自のユートピアを作り上げ、脱社会的な生活を人々に呼びかけ、世界的に大きな揺さぶりを与えました。トルストイのこの実験的な試みは失敗に終わりましたが、その晩年に影響を受けたのがインドのガンジーでした。トルストイといくつかの文通をし、非暴力非服従の姿勢を受け継いだガンジーが、イギリスに対しての静かな戦いを行ったのです。そしてそのガンジーの影響を受けたのが、アメリカの黒人解放の騎手、マーチン・ルーサー・キングJrでした。ガンジーはクリスチャンではありませんでしたが、福音書、特にその中の三上の垂訓に関心を持ち、共感を持っていたようです。解放者イエスが推し進めた歴史があります。
18.世界に属する人
イエスの福音が、世界のどの文化、国家に属する人に対しても有効で、意味があることをクリスチャンたちは信じました。イエズス会が聖イグナチオによって起こされ、ザビエルが東洋に伝道に発ってから、多くのクリスチャンが世界の各地へと伝道旅行に赴いたのです。そこで悪戦苦闘をしながらも、土着の文化、宗教、風習の中にも、イエスを受け入れることが出来るものが、世界の各地にあることを確認し、実際にそのような環境を利用し伝道を進めて行きました。その最も成功的な例は、イエズス会のマテオ・リッチにおける中国伝道のモデルでしょう。クリスチャンたちの信仰と、福音の普遍性によりキリスト教は世界の各地での伝道を成功的に収めました。しかし、昨今の統計によると、世界におけるクリスチャン人口は右肩下がりだそうです。こ���だけの伝道の努力にも関わらず、変えることのできない現実は、宗教としての限界を物語っていると著者は語ります。イエスが「世界に属する人」であるならば、宗教とは別の形においてでなければならないと結論づけます。
かなり長くなりましたがこんな感じでしょうか。ここだけ読むと、内容の斑を感じると思いますが、原文は非常に神学的で含蓄に飛んでいて、ため息が出ます。何度も読み返したいと思える名著です。是非おすすめです。
13/11/24
2013/12/05 19:37
投稿元:
■『イエス歴史の二千年』 ヤロスラフ・ペリカン著 講談社文庫
【後編 復帰摂理・新約】
二千年のキリスト教歴史の中で、信仰や組織、社会的な位置など、教会自体に様々なうねりがあったことはみなさんもご存知のところだと思いますが、そんなキリスト教信仰の常に中心であったイエス像の変遷を描いています。真理とは不変であるということは常に語られますが、ことイエス像に関しては、その多様性がキリスト教の世界宣教に大きく寄与してきたことは事実であります。ローマ帝国を飲み込み、中世の暗黒を越え、文芸復興から起こる科学の実験にも晒されながらも、人々の救いを果たし続けた歴史を紐解く名著です。ここでは各章の触りを紹介できればと思います。
1.ラビ
ラビというのは、ユダヤ教の教師という意味です。新約聖書学者による史的イエス研究は日本においても進んでいますが、信仰と離れた学問的な研究の結論としてのイエスは、ラビであったということです。イエス当代の共にいた人々も、概ねそのように捉えていたでしょう。真実イエスがラビであったことは然りです。しかしその意識の中に神の子、メシヤとしてのものがあったのか、ここからが信仰と学問の分岐点になりますが。
2.歴史の転換点
イエスが生きているうちは偉大なるラビとして見ていた者たちは、初代キリスト教徒として歩む中で、イエスの存在をラビから預言者、そして預言の指し示す人物へと昇華させていきます。そうして終末論的な歴史観の中に、イエス像を当てはめていきました。歴史の転換点としてのイエスの再臨を人々は伝えるようになるのです。キリストの誕生というところでしょうか。
3.異邦人たちの光
イエスがキリストとして人々の中で成長していくにつれて、それがユダヤの枠を超えた異邦人たちにとってもキリストであるという証明を求めるようになります。旧約聖書における異邦人の聖人、ヨブ、モーセの養父エテロ、そして預言者バラムが神から選ばれたものであることを根拠の一つとして。ローマの詩人ウェルギリウスが初代皇帝アウグストに宛てた詩を、イエスに対する預言として取り込み、その素地となった、古代ギリシャのシビュラの女預言者たちの神託をキリストの預言とすることにより、イエスを異邦人たちの光とすることができました。
4.王の王
ローマ帝国にキリスト教が入り込む中で、政治的な君主である皇帝と魂の主であるキリストとどちらに仕えるのかを問われることがありました。信徒たちは、マリアに対するガブリエルの告知にあるように「ダビデの王座を受け継ぐ」キリストを、王の王として理解し、そのキリストの元に権威を与えられるローマ皇帝に仕えることをよしとすることができました。。政治的な転機は312年コンスタンティヌスの時です。ローマ帝国の首都をコンスタンティノープルに移した際、ローマの司教が持つ霊的権威が首都の機能から解放されたローマにおいて、一層際立つようになったそうです。800年シャルルマーニュが時の教皇レオ3世より戴冠することを通し、教皇権の元に国王があることが明確に示され、キリストの王の王としての権威が確かなものと���りました。
5.宇宙的キリスト
ロゴス的イエス。4世紀までにイエスが獲得した威光ある名称の内、ロゴス以上に重要なものはありません。イエスをロゴスと捉える三位一体教義は、コンスタンティヌスが開いたニケア公会議によって教義とされました。キリストをロゴスとすることにより、古代ギリシャの哲学も飲み込み、特にプラトン的宇宙観により、理解が進むようになります。ヨハネ伝の冒頭にあるように、言葉によってすべてがなった、のであるので、創造主としてのイエス像がこの時期までに確立していくようになります。
6.人の子
古代教父いおいて最も偉大であるとされるのは、ヒッポのアウグスティヌスでしょう。アウグスティヌスといえば『告白』ですが、その中で自らの罪の告白を通じ、人間の原罪に言及し、しかしそれを贖われるキリストの恩恵を讃えます。アウグスティヌスが後代に大きな影響を与えたものは、人の子としてのキリストでした。「神の子」という名称がキリストの神性を表すものであるのに対し、「人の子」というのはキリストの人性、要するに受肉し人間にまで身を低めたキリストを顕す言葉です。キリスト教における贖罪論は人の子としてのイエスを理解せずしては成り立ちません。
7.真の像
古くからの芸術作品のモチーフとして、イエス像は多く使われてきました。モーセの十戒には偶像崇拝の禁止が明確にされているのに、キリスト教においてはイエス像を描くことが概ね許容されています。初代キリスト教の時代から、イエス像は描かれ続けてきました。しかしこの時代は厳密な教義解釈の上で許されていたわけではなくて、単にモーセの十戒が守られていなかったというだけのようです。しかしこのことが、だんだんと問題になり、本格的に解決に取り組みだしたのはビザンツ帝国の時代、8、9世紀のことでした。偶像とも取れるイエス像が許されるようになった教義は、神の受肉の事実から理解されます。神聖なる神ご自身が卑しき肉とまとい、救いのために地上に来られた姿がイエスなのだから、イエスが描かれたものも、神の神性が絵画という形を持って受肉された、と捉え直したということです。
8.十字架に付けられたキリスト
現在でも様々な場面に十字架が掲げられています。教会はもちろんのこと、国旗やエンブレム、少し昔だと王冠にまで、古代ローマの死刑の道具出会った十字架が、キリスト以来全く別の象徴として、世界を飛び回っています。歴史の紆余曲折がありながらも、歴史の中において十字架が示すものは、神の犠牲の愛です。
9.世を統べる修道士
絵画や彫刻等で見られるイエス像のいくつかは、薄汚れたガウンを頭から羽織る修道士の姿をしています。新約聖書の語るイエスには、そのようなところはないにも関わらず、人々はイエスを「世を統べる修道士」として捉えようとしました。修道士のあり方とは、消極的な面を言えば、一言で禁欲です。イエスの言行に根拠を求め、また歴史的な経験の中から、信徒に節制や禁欲をイエス像に含ませていきました。
10.魂の花婿
中世になり修道院が信仰の揺籃となる背景に神秘主義の影響が大きくありました。神秘主義とは「究極の実在との一体性の直���の体験」のことをいいます。旧約聖書の雅歌には愛の賛歌が多く取り上げられますが、中世の修道院においては福音書以上に熱心に読まれたのが、この雅歌だったそうです。恋する乙女がその思い人を慕うような内容は、信徒がキリストを待ち望む歌としてうたわれるようになりました。その中でキリスト教徒はキリストの花嫁として、キリストは魂の花婿としてしたわれ続けています。
11.神人のモデル
神が人となった、という受肉の教義がされにすすみ、イエスの人間性に対して新しい理解がされるようになりました。罪の贖い手としてのみではなく、イエスが生き十字架に掛かり昇天するまでの生涯を追うことに関心が寄せられるようになったわけです。そのようにして、信仰の形もキリストに似ることを求めるようになるきっかけとなったのが、12世紀のアシジの聖フランシスコの存在です。教皇ピウス10世により「第二のキリスト」として公認されるまでになったフランシスコが、キリストに倣う生き方を示しました。ブラザーサン・シスタームーンの歌にあるように、彼は自然を崇拝の対象ではなく、兄弟として再発見し、体を痛めつけることを通じ、キリストと同化しようとすることにより、信仰の新しい道を開いてきます。ここでいうキリストは十字架につけられたキリスト、ではなく、清貧におけるキリストとの一致です。
12.普遍人
14世紀、イタリアを皮切りに文芸復興の嵐がヨーロッパを飲み込みます。自由を抑圧していた教会制度と貴族のあり方から離れ、自由に人間性を追求しようとする、人間本来の願望は人々の個性を刺激し、大きな波になりました。個性を追求し、神よりも自然を強調し、科学の発展を促した人文主義が台頭を始めます。神学の面においては人間イエスの追求が進みます。神秘主義的な理解ではなく、より人格的面においてのイエスを理解しようとしました。イエスに倣うのではなく、その生涯の分析ですよね。研究の対象になっていきました。「普遍人」という言葉の理解は、ちょっと曖昧なので、背景だけ紹介しました。
13.永遠を映す鏡
ルター、カルヴァン等の宗教改革者が、宗教改革の宗教的達成、文化的貢献のための中心方法として、イエスを「永遠を映す鏡」として理解しました。一方は「美の鏡」として、イエスに刺激された文学、芸術、音楽の領域で、もう一方は「善の鏡」としてイエスによる政治秩序の領域です。ルターは主に前者、カルヴァンは後者として、イエスを「永遠を映す鏡」として、宗教改革の原動力としていきました。
14.平和の君
ヨーロッパの歴史を知るときに、戦争を無視して語ることはできません。キリスト教化したヨーロッパにおいても、戦争は繰り返されました。コンスタンティヌスから始まり、十字軍、宗教改革においての30年戦争、近現代に至るまでにも多くの戦争を繰り返しています。イエスの言葉を使い、戦争を肯定することは幾度となく使われてきた手段でした。平和の君としてのイエス像は確かに聖書にも語られていますが、完全なる反戦ということがその真意であるか、時に手段としての戦争も容認するのが平和の道なのか、答えは出ていません。
15.良識の教師
科学が発展しだすと、神秘の領域は狭まります。科学面においてはニュートン、思想面でもヒュームやルソーを通じ、神秘よりも自然を重要視する社会的視座が磨かれていきました。それにつれてイエス像にも神秘的側面を排除しようと、人間イエスの追求に拍車がかかります。史的イエス問題が盛り上がってくると、キリストとしてのイエスを否定する識者も現れ始めました。そういう学問における立場により、神性を語らないまたは否定する人々は、イエスを良識の教師として扱いました。道徳的に人並み外れた理性と、実践力を持つ人物。その歴史的権威は認めつつも、宗教的霊的権威は不可知として、研究の領域から除かれていきました。
16.霊の詩人
19世紀の合理主義がより人間的なイエスを描き出すと、それの反動のように現れたのが「ロマンチシズム」でした。「必ず失敗する運命にあり、われわれの時代までには捨てられてしまった試み、即ち、主観と客観を同一視し、自然と人間、意識と無意識を、『最初にして最後の知恵』である詩によって和解させようとする試み」ということです。ここに来て、ルナンとかシュトラウスという名前が出てきます。キリストとしてのイエスを否定し、印象派的な理解を持ってイエスにおける美、ロマンチシズムをそのイエス伝の中に詠ったわけです。
17.解放者
19世紀に入り、世界が激動しだすと、列強が植民地を争い、富を追い求め、統べる者と囚われる者が現れ始めました。そのような時代において、社会的解放を願う良心的なクリスチャンたちは、イエス像の中に解放者としての姿を見つけ出しました。ロシアのトスルトイは独自のユートピアを作り上げ、脱社会的な生活を人々に呼びかけ、世界的に大きな揺さぶりを与えました。トルストイのこの実験的な試みは失敗に終わりましたが、その晩年に影響を受けたのがインドのガンジーでした。トルストイといくつかの文通をし、非暴力非服従の姿勢を受け継いだガンジーが、イギリスに対しての静かな戦いを行ったのです。そしてそのガンジーの影響を受けたのが、アメリカの黒人解放の騎手、マーチン・ルーサー・キングJrでした。ガンジーはクリスチャンではありませんでしたが、福音書、特にその中の三上の垂訓に関心を持ち、共感を持っていたようです。解放者イエスが推し進めた歴史があります。
18.世界に属する人
イエスの福音が、世界のどの文化、国家に属する人に対しても有効で、意味があることをクリスチャンたちは信じました。イエズス会が聖イグナチオによって起こされ、ザビエルが東洋に伝道に発ってから、多くのクリスチャンが世界の各地へと伝道旅行に赴いたのです。そこで悪戦苦闘をしながらも、土着の文化、宗教、風習の中にも、イエスを受け入れることが出来るものが、世界の各地にあることを確認し、実際にそのような環境を利用し伝道を進めて行きました。その最も成功的な例は、イエズス会のマテオ・リッチにおける中国伝道のモデルでしょう。クリスチャンたちの信仰と、福音の普遍性によりキリスト教は世界の各地での伝道を成功的に収めました。しかし、昨今の統計によると、世界におけるクリスチャン人口は右肩下がりだそうです。これだけの伝道の努力にも関わらず、変えることのできない現実は、宗教としての限界を物語って���ると著者は語ります。イエスが「世界に属する人」であるならば、宗教とは別の形においてでなければならないと結論づけます。
2022/06/19 01:55
投稿元:
神学者や教会のなかだけでなく、西洋文化史におけるイエス・キリストのイメージの変遷を18のキーワードで辿る。
読みごたえがありすぎて疲れたが、勉強になる一冊だった。語順を整理していないせいで翻訳が読みづらいところもあるのだが、この手の本は原文も難しいだろうから仕方がないとも思う。
やはり、キリスト教がユダヤ教の一派からローマの国教になる過渡期の話が面白い。キリスト教徒は異教徒の優れた文献を積極的に読み替え、イエスとソクラテスをダブらせた(予型論)。これがのちにラファエロの『アテネの学堂』にまで繋がっていく。
あるいは、本来は男女の相聞歌でしかない旧約の「雅歌」を、新約の四福音書の予型として読み替えていく中世キリスト教神秘主義の試みが、マニエリスムやバロックの時代に複雑な寓意画が描かれる下敷きとなった。西洋絵画の歴史は、その時代の聖書の読み方に大きく影響を受けている。
また、今まで積極的に調べたことがなかったアッシジのフランチェスコの後世への影響のデカさには慄いた。記録に残る限り、イエスが釘を打たれたのと同じ手のひらにスティグマが発現したのは彼が史上初だとか、当時重要視されていなかったイエスの誕生日(という設定)の祝日をフックアップし、クリスマス・イヴにミサを開いて「幼子イエス」に注目させたのも彼だったとか。フランチェスコが登場する山尾悠子『ラピスラズリ』の最終章にはそんな意味もあったんか〜!と膝ポン。
ピューリタンのイエス解釈を追っていくと、近代ヨーロッパの植民地主義、反ユダヤ主義、資本主義が生まれてくる土壌が少しわかってくる。ルターはその抜群の言語センスで聖書をドイツ語に訳し、神の国の実現と世俗社会での利益追求という二律背反に折り合いをつける解釈を施した。それが地上で権力や財産を求め、戦争を肯定することにすらつながっていった。
けれど、イエスはもちろん虐げられた人びとの救い主でもあった。南北戦争、インド独立運動、公民権運動のとき、人びとは解放者イエスを象徴として掲げた。奴隷制支持者、植民地主義者も自分たちの正当性をイエスの言葉から引いていたのは皮肉だけど。その多義性こそが、〈イエスの文化史〉の問題含みで面白いところだ。同じ言葉がマジョリティの権威を支えるためにも、その権威をマイノリティがひっくり返すためにも使われる。
ヨーロッパがどんなに人間中心主義になっても、あるいはだからこそ、神であり人でもあるイエスは規範であり続けた。啓蒙主義の懐疑の時代を超えて今も、西洋思想の裏にはずっとイエスというユダヤ人のひとりの男がいるのだ。今後も西洋の文化に触れるにあたってのヒントをいくつも与えてくれる一冊だった。