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- カテゴリ:一般
- 発行年月:1999.3
- 出版社: アスキー
- サイズ:20cm/327p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-7561-3075-5
紙の本
ビル・ゲイツの罪と罰 私がマイクロソフトを辞めた理由
著者 マーリン・エラー (著),ジェニファー・エズトロム (著),三浦 明美 (訳)
マイクロソフト社に14年間勤務した元幹部のソフトウェア開発者の回想を軸に、多くの関係者たちへのインタビューから浮かび上がる、コンピュータ業界に君臨する大企業のインサイド・...
ビル・ゲイツの罪と罰 私がマイクロソフトを辞めた理由
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商品説明
マイクロソフト社に14年間勤務した元幹部のソフトウェア開発者の回想を軸に、多くの関係者たちへのインタビューから浮かび上がる、コンピュータ業界に君臨する大企業のインサイド・ストーリー。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
マーリン・エラー
- 略歴
- 〈エラー〉1982年からマイクロソフトに勤務。ソフトウェア開発等に従事ののち、95年に退社。
〈エズトロム〉ジャーナリスト。
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1999/6/1
2000/10/26 00:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:日経MAC - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は,米Micro soft社に勤務していた社員が書いた内幕もの。これを読むと,技術や事業戦略を結構間違えたり,気弱な判断を下すBill Gates会長の実像が浮かび上がる。Microsoft社がパソコン市場で本当に影響を及ぼし始めたのは,OSのWindows3.0を出荷した1990年以降と比較的最近。そしてGates会長自身,「90年代のOSは,IBMのOS/2」と公言していたほど,80年代は気弱だった。
彼がまだパソコンのOS開発を率いていた84年,Macintoshが発売され,彼はMac OSにほれ込んでしまった。MS-DOSに代わるOSとしてWindowsを開発し始めた頃の口ぐせは,「もっとマックのように」だった。特にマックのGUI(グラフィカル・ユーザー・インタフェース)が気に入り,マックとの完全互換を持たせるように指示した。この気ままな指示などによって,Windows 1.0の出荷は7〜8カ月は遅れたという。当初,84年11月に発売すると公約していたWindows 1.0の開発は遅々として進まなかった。しかも,マックとの互換性は技術面で無理との報告を聞いた彼は激怒する。Windowsが「本能的に貧しいバージョン」のOSと悟ったからである。実際に発売されたWindows 1.0は,MS-DOSのパッチに過ぎないと,その対極にいたMac OSと比べて,ユーザーの多くが思った。10数年ほど前の出来事である。このころはAppleの技術戦略も,紆余曲折(うよきょくせつ)を迎えていたのだが。
彼は,史上世界一の資産家になると,米国の株取引アナリストたちは予測している。Microsoft社の株価がうなぎ登りであるためだ。設立から四半世紀で,同社が世界で最も影響力のある企業にのし上がった成功を象徴するトピックだ。
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