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- カテゴリ:一般
- 発行年月:1999.4
- 出版社: みすず書房
- サイズ:20cm/220p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-622-04502-8
紙の本
自分だけの部屋 (ヴァージニア・ウルフコレクション)
経済的自立と精神的自立を主張し、想像力の飛翔と軽妙な語り口によって、女性の受難史を明らかにしたフェミニズム批評の聖典。1988年刊の再刊。【「TRC MARC」の商品解説...
自分だけの部屋 (ヴァージニア・ウルフコレクション)
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商品説明
経済的自立と精神的自立を主張し、想像力の飛翔と軽妙な語り口によって、女性の受難史を明らかにしたフェミニズム批評の聖典。1988年刊の再刊。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ヴァージニア・ウルフ
- 略歴
- 〈ウルフ〉1882〜1941年。ロンドン生まれ。20世紀英文学を代表する作家。心理描写、意識の流れを中心に内面世界を描写し、詩的文体を完成した。作品に「ダロウェイ夫人」「波」など。
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紙の本
古くて新しい女性啓蒙
2004/05/28 18:06
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ろこのすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヴァージニア・ウルフがケムブリッジの女子大で行った二つの講演「女性と小説」の草稿をまとめたもの。
その主張とは「女性が小説なり詩なりを書こうとするなら、年に五百ポンドの収入とドアに鍵がかかる部屋を持つ必要がある」というもの。つまり「年収五百ポンドとは瞑想する力を表し、ドアの鍵は自分で思考する力を意味する」。平たく言えば経済自立と精神的独立を意味する。この主張を導くに到る過程を創作物語として縦横無尽に闊達に展開していく様が見事。
女性偏見の例として、「大学祭式係に芝生の横断を女性であることと、特別研究員のみに許されることの理由で阻まれたり。図書館においては、女性は学寮の特別研究員と同伴か、もしくは紹介状持参がなければ入館を許されない」ことなどをあげる。
またケムブリッジの男子寮の午餐会(舌平目に山鶉、ワイン)や女子寮の晩餐(皿の底が透いて見える肉汁のスープ、青野菜、牛肉、干しプラムとビスケット)などの比較をあげて、「ひとはよい食事をしなければ、よい考えも浮かばず、よく愛することも、よく眠ることもできません。牛肉と干しプラムを食べていたのでは、背骨のランプに灯りはともらないのです」と皮肉たっぷりに語られる辺りは何とも小気味良い。
また大英博物館の書棚の中からトレヴェリアン教授の「英国史」「女性の地位」に論を進め、「妻を殴ることは男の権利として公認され、貴賤を問わず恥ずることなく行使された」などチョーサーの時代からスチュアート時代に到る父家長制度、男性優位などを列挙してみせる。一方、文学の上ではマクベス夫人、ボヴァリー夫人、クレオパトラなどをあげ、「文学上では女性は王や征服者たちの生涯を支配しているのに、現実では相手の親から無理矢理指に指輪をはめられてしまえば、どんな青二才であっても、その奴隷になってしまう。」と弾劾する。またシェイクスピアの妹ジュディスを登場させ女性がものを書くということに対する偏見の前では、いかに困難であるかとも語る。
さて、こうして女性偏見に対する舌矢鋭き中、注目すべき論が出て作家としての慧眼に眼をみはらされる。
「誰でも、ものを書く者にとって、自分の性を意識するのは致命的だということです。
意識的な偏見を持って書かれたものはどんなものでも、滅びるのが定めですから。それは豊かにふくらみません。一日か二日は、才気に溢れ、効果的で、力強く、見事に見えましょうが、夜にはしぼんでしまうに違いありません。それは他の人々の心の中で育つことをしないのです。創造という技が達成されるには、精神において、女性的部分と男性的部分との間になんらかの協力がばければなりません。相対するものの統合が達成されなければならないのです。精神全体が広く開かれ、自由がなければならず、静謐がなければならないのです。」
つまりそのためには「自分だけの部屋」即ち、経済的自立と精神的独立が不可欠だという結論に到るわけである。実に見事な展開と結論。
そして最後に講演を聴く女子大生に望むことは、過去のこうした男性優位から「自分だけの部屋」を獲得した現在、文学の伝統を受け継ぐだけでなく先駆者である無名の女性から引き継いできたものを、さらに「素晴らしい女性」となって飛翔するようバトンタッチすることにあると結ぶ。本書は「フェミニズムの聖書」などと括られるそんな卑小さの次元を遙かに越え、次代に繋げようとする人間性に根ざしたものだといえよう。