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紙の本
映画は見ようかどうしようか、考え中…
2009/07/07 21:35
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hamushi - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品、これまでずっと読む機会がありませんでした。内容にあまりにも救いがなさそうに思えて、なんとなく避けていたというのもあります。
映画化されると聞き、配役やストーリーをネットで見ているうちに、やっぱり読んでみようと思い立ち、購入。魅了されつつ一気に読了しました。
お話は、たしかに重いです。
日本のとある島に秘蔵されていた毒ガス兵器が漏れだして、住民も滞在者も滅亡。奇跡的に生き残った二人の子どものうち、一人はガスに脳を侵されて狂気を帯びた狡猾な殺人者となり、もう一人は記憶に焼き付いた地獄絵図に苦しみながらも、神父となって苦しむ人々を救い続けています。
主人公の一人、結城美智雄は、エリート銀行員という表の顔を持ちながら、政府によって隠蔽された毒ガス事件を暴くために、当時の関係者やその家族をターゲットとして、容赦ない殺戮を続けています。神父となった賀来祐太郎は、毒ガスによって悪に囚われてしまった結城の心を救おうと、粘り強く寄り添いつづけ、警察の捜査からも庇っていますが、思いは常に結城によって裏切られ、踏みにじられるばかりでなく、結果的に次々と犯罪に手を貸すように仕向けられていきます。
二人の間には、どれほど互いに憎悪や侮蔑の思いにかられても、決して切れることのない絆があります。その絆は、表面的には同性同士の肉体関係という形として現れていますが、その内側にあるものは恋愛感情などではなく、より生存本能に直結した、切実な渇望であるようです。意図せずに漏れだした毒ガスによる、あまりにも理不尽で無慈悲な殺戮の場を、たった二人だけで生き延びたことで、結城と賀来は、相手の生存こそが自分が生きることの条件となってしまったのかもしれません。喩えて言うなら、互いを母胎として臍の緒を繋ぎ合いながら生き延びようとする胎児のような関係です。つまり、切り離しようも、生まれようもない、どん詰まりの関係であるわけで、どう考えても未来はありません。そしてお話は実際にそのように救いのない形で進んでいきます。
結城と賀来の絆の強さと対比させるようにして、作者は、ごく普通の恋愛感情の脆さや浅ましさを暴くようなエビソードを重ねていきます。かつて、賀来に救われたことで恋心を抱き、思いを寄せてきた女性は、結城の魔の手にかかってあっけなく心変わりし、妄執のように結城をストーキングする存在となり果てます。親子の情愛はもう少し強度の強いものとして描かれていて、我が子を結城に殺された親たちの苦しむ姿が何度も出てきますが、子を思う気持ちが親の心を浄化することはありません。
結局、この作品世界のなかにおいては、殉教のような形を取ってでも結城の魂を救おうとした賀来の思いの強さを越えるものは存在せず、結果的に、毒ガスによって引き起こされた凄惨な地獄のなかで培われた賀来と結城の異常な絆こそが、毒ガスによる未曾有の無差別大量殺戮という危機から人類を守ることになります。
この二人の物語を通して、作者が一体何を描きたかったのか、正直、私にはよく分かりませんけれども、少なくとも愛や正義、信仰や贖罪といったものではなく、もっと動物的な、あるいは本能的な存在としての人の生死の際にある、薄暗くグロテスクな部分にこそ、人の世を支える強大な力があるということを感じさせられるような気がしてなりません。
紙の本
evilheat
2002/08/21 20:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:marilyn_hanson.com - この投稿者のレビュー一覧を見る
人は悪にあこがれる。ゲーム「キングオブファイターズ」の人肉食らう悪役、八神なんちゃらは、大人気のキャラクターだ。僕も高坊の頃、好きだった(恥)。「時計仕掛けのオレンジ」のアレックス、レクター博士、最近だと、仮面ライダー王蛇とか? 人は、平気で悪事を犯せる人間、奔放に人を殺す人間に、正義の熱血ヒーロー同様に、憧れる。多くの人間はグレイゾーンにいて、そのどちらの両極端になりきることも出来ないからだ。自らの死とともに地球上の生きとし生ける者すべてを毒ガスで絶滅させようと目論む、この「MW」の主人公は僕にとってのイーヴル・スターだ。中学生の頃、初めて読んで、恐怖で震えが止まらなかった。震えが止まらない、という状態を比喩的にでなく物理的に実体験した。この作品は幼かった僕の中の、「悪」を目覚めさせた。手塚の短編には実在した殺人鬼を扱ったノンフィクションもある。手塚もそんな悪の権化に憧れる人間の一人であったのかもしれない。実はこの作品は所有していなくて、参照することが出来ないが、ひたすら悪の象徴を作り出そうとしていたように思えるこの作品を、今、読んでみたらどう感じるのか気になる。