紙の本
因果応報、輪廻の輪!
2002/06/19 21:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:岡野義高 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「外の時間は 三十年のあいだを 何度も何度も くり返します そのたびに 外から新しいあなたが来て あなたを殺し 入れかわることになるのですよ」
この巻は、ヤマト編と異形編の二本が収録されている。
どちら、と聞かれれば、異形編のほうがおもしろかった。
主人公は、八百比丘尼とよばれる伝説の尼。
自分の罪をつぐなうために、永遠に、人や物の怪の治療をし続けなければならない。
そこは、時間の流れからは置き去りにされた空間なのだ。
永遠に同じ毎日を繰り返さなければならない、というモチーフは、北村薫さんの小説「リターン」などでもおなじみだ。
リターンでは、主人公が、ほんとうに自分がやりたいことは何なのか、をみつめることによって、現実の世界へリターンできた。
異形編では、主人公が、自分の使命感をもったときに、はじめて、安らぎをえた。
無限の時間のなかで、人は何をなすべきか。
これは、かぎられた時間のなかで、何をなすべきか、というテーマと、根は同じなんじゃないか、と思う。
かわりばえしない毎日をだらだらと過ごしてる自分たちのような人間にとってこそ、なじみの深いテーマなのだ。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:LR45 - この投稿者のレビュー一覧を見る
輪廻転生について書きたかったのではないかと思われる。
ある大名の娘が、狂ったように人を殺す父を助けようとする尼を、父を殺すためにやむなく殺す。しかし、その後、その姫は殺害現場である寺から出られなくなる。不思議な力が働き、どうしても寺から出られない。その内、その姫は仏像の裏に傷や病を治す火の鳥の羽を見つけ、尼になって人をいやすようになる。そうしている内に時間が流れ、そしていつの間にか過去に逆行し、自分に殺される。因果応報というのだろうか。概説ではあるが。
紙の本
運命の不思議…。
2001/09/05 23:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みぽぽ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『火の鳥』は生命の物語であると同時に運命の物語だとも言える。ヤマト編では大和朝廷の末の皇子・オグナのクマソ征伐、クマソのタケルの妹・カジカとの恋、そして朝廷の古い風習が変更されるまでの経緯を描いている。所謂日本神話・ヤマトタケルの時代である。
『異形編』は戦国時代。八百比丘尼を殺害したものの時代が遡り比丘尼の代わりを務める事となった左近介。山を降りる事も叶わずやがて自分(左近介)が自分(比丘尼)を殺しに来る運命に焦り、葛藤する。異形とタイトルを付けた手塚先生にはまさに脱帽、大納得の作品である。
色々な運命に翻弄されていく主人公達。ヤマト編でも異形編でも歴史の1ページに火の鳥をうまくからませて感慨深いシリーズである。
投稿元:
レビューを見る
手塚治虫作「火の鳥」の文庫版。オークションで購入した「ブラック・ジャック」におまけでついてきたので、3,5,6,9,10,11,12と中途半端な巻しか持っていません。
BSでアニメをやっていたのはチラッと見た事はあるけどあまり興味なかったんですが、読んでみると面白い!魅力的なキャラクターがたくさん登場します。左近乃介やクチイヌやカジカが特に好きv6巻「望郷編」の"エスケーピング"にブラック・ジャックが出てきて嬉しかったです。髭がステキv(笑)
投稿元:
レビューを見る
僕が初めて読んだ手塚治虫作品は、『火の鳥 異形編』でした。当時小学校低学年だった僕にとっては、『火の鳥』は怖い作品、そして大人の漫画として印象づけられ、その後、そのスケールの大きさに圧倒されながらも読み漁ったものです。
日本人はなぜこんなに漫画が好きなのか、外国人の目には異様にうつるらしい。なぜ外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか。答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ。
1989年2月10日、手塚治虫が亡くなった翌日の朝日新聞・天声人語のこの一節を、彼のライフワークであった『火の鳥』を読み返すたびに思い出します。
投稿元:
レビューを見る
1巻と2巻を読んだときほどの衝撃はなかったが
それでもやっぱり面白い
2作入ってたが特にヤマト編のラストは
やるせない思いになった
投稿元:
レビューを見る
もしかして、いたら?
と思うと色んな選択肢が出てくるのかもしれません。
ただ、ないから精一杯自分の力を出し切ろうともするような気もします。
何事も長所の裏には短所があるものですよね!???
投稿元:
レビューを見る
火の鳥3巻に突入。
とにかく奥が深くて文字数が多い。^^;;
八百比丘尼を殺す左近介の話は、因果応報についてとても考えさせられました。
自分が犯した罪は、そのまま自分に巡ってくる。
犯した罪が、全て自分に巡ってくるのだとしたら恐ろしくなります。
罪を犯すことが悪いことだと分かっていても、罪を犯してしまうのが人の業なんでしょうね。
投稿元:
レビューを見る
異形編の無限ループはいまいち理解できません、が面白いです。勝ち気な女の子が好きなんでヤマト編好き(^∇^)
投稿元:
レビューを見る
ヤマト・異形編
どちらもインパクトがあったけれど、特にヤマト編が好き。
「おれの生きがいとはいったいなんなのだ!」と悩むオグナが印象的。
ヤマトとクマソの間で葛藤する姿に引き込まれる。
ラストの終わり方がせつなくて、ついついカジカに感情移入してしまう。
投稿元:
レビューを見る
ヤマト編
黎明編の続きの話。クマソとヤマトの話。
人間の葛藤と命がテーマと思う。
異形編
終わることのない無限ループ。
人は罪を犯すとここまで過酷な償いをしなければならないのか?
と思った。
罪と罰がテーマと思う。
左近介はカワイイ。
投稿元:
レビューを見る
巻末にある竹宮恵子の「DNA手塚治」と銘打たれた解説に納得した。「手塚治って、もう私たちのDNAに刷り込まれてるよね」と解説が始まる。そうなんだなぁ。特に火の鳥が残したものは、哲学的命題、つまり人の生死と宇宙の生命にかかわるストーリーなんだと思う。竹宮恵子は、それを「彼が全てのカードを開き、私たちは開かれたカードの意味を読んで歩いてきた」という。それぞれが、それぞれの意味を考える点に、ばら撒かれたカードの偉業が隠されていると思う。
いまになって読み直し、ようやく『火の鳥』の面白さ、問題提起を考えた。
投稿元:
レビューを見る
「とんど見崎の蓬莱寺に
住いさっしゃる 尼御前さまは 尼御前さまは
いくさ嫌うて 衆生をご加護
やけど斬りきず 万病平癒
験みたけりゃ 男もござれ 女もござれ」
投稿元:
レビューを見る
今回スポットを当てられたテーマは「生きる意味」について。
ヤマトの国の王は自らの権威を示すため大きな墓を建設し、多くの人間を人柱にしようと計画します。その子供で第5王子のオグナは、葛藤の末「父を欺くための偽の墓造り」を自らの生きる意味としました。折角作った物も偽物だとバレたら壊されるだろうし、自分も殺されるだろう。しかし父が死ぬまでの時間稼ぎができれば、人柱に捧げられるはずだった人達を救える。結局父の死後オグナは人柱として生き埋めにされてしまうのですが、愛する女性カジカと土の中で満足して死んでいきます。
「こわくないよ ぼくは満足してる ぼくの一生はちからいっぱい生きてきたんだ
悔いは無いよ それに…きみがここにいっしょだから」
オグナの願いが聞き届けられ、その後は墓には人柱では無く土偶を代用することになりました。
また、ヤマト王は死ぬ時になって初めて、これまでの自分の人生を「墓を作るためだけの人生だったのか。なんてくだらない人生だ」と後悔します。
私自身、もし今死んだら何のために生きていたと言えるんだろうと考え恐ろしくなりました…。
黎明編のラストで1人穴の外へ出た子供が、クマソの国の最長老として出てきます。
「お若いの 人間はな 死なないことがしあわせではないぞ
生きているあいだに…自分の生きがいを見つけることが大事なんじゃ」
異形編は因果応報のお話。これまでのシリーズとは少し毛色が違う印象を受けました。火の鳥は罰を与えるために現れる。
病気の父に死んでほしいと願った左近介(女)は、父の病を治す力を持つ尼御前を殺そうと決意する。左近介が尼御前を殺すと、その罰として時間が戻り、左近介自身が尼御前として生きることとなる。彼女は火の鳥の羽根を使い、長い年月人々の病を治すことに従事する。そして最期、左近介は過去の自分の手で切られ死んでいく。途中で逃げようと思えば逃げられたのに、あえて罰を受けることを選んだ彼女。これもある種永遠に生きるということなんでしょうか。逆行する時間の中で、一人の人間が生まれて死んでを繰り返すというのは数奇で新しいパターンです。
「あなたは人殺しの父を憎んだ
それなのにあなた自身人を殺したではないか?」
「…でも父が助かれば もっともっと大勢の人間が殺されたわ」
「だからしかたがなかったというのですか?罪は同じです!
だから裁きを受けるのです」
投稿元:
レビューを見る
「ヤマト編」
ヤマト VS クマソ
王子オグナ → 兄タケル・妹カジカ
「正史」古事記 VS 残されなかった歴史
「異形編」
時代は応仁の乱あたり、八百比丘尼を殺した女の話。
時が逆行し繰り返す。
罪の命題。
「未来編」よりも身に迫る恐ろしさ。