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商品説明
【芸術選奨文部科学大臣新人賞(第51回)】「ちょいと、頼みがあるんだけど。顔をね、描いてほしいんだよ。…三十年も前に死んだ人のね。」 草一郎に対する、老婆のその願い事の意味とは。運命的な出会いが織りなす人の命の美しさと儚さを描き出す。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
東野 光生
- 略歴
- 〈東野光生〉1946年和歌山県生まれ。仏画家。故内山雨海氏に師事。白韻会主宰。著書に画集「涅槃」、長編小説「浅黄の帽子」など。
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紙の本
幽玄の世界に誘う老婆との出会い。偶然と必然の見えない糸で結ばれた人びとと数奇な運命
2000/07/30 06:15
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投稿者:今村楯夫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「. . . . 私の名前は松田鴇江(ときえ)。たいていの人はお鴇(とき)って呼ぶんだ」
唐突に現れるひとりの老婆に誘(いざな)われるように、主人公の久隅(くずみ)草一郎は不思議な世界にはいっていく。その世界が取り立ててリアリティを超脱していたり、非現実的であったりするわけではないが、現実空間の隙間にぽっかり空いた不可視的な異次元の雰囲気を醸し出しているのは一体なぜだ。
そもそも「鴇江」という名前そのものからして、現実の間隙からこぼれ落ちていくような名前ではないか。鴇(ホウ)とは雁の一種であるが、比喩的には「やりて」あるいは「遊女の世話をする女」の意であり、色の名前としては淡紅色を意味する。かつては芸者や花嫁を相手に髪結いをしていたという鴇江は現在80歳。草太郎はひとり息子を事故で亡くし、続いて妻を失い、現在は40歳のひとり暮らし。ふとした出会いから、老女は男に1枚の似顔絵を画いてほしいと願い、男はその願いを受け、その絵を巡り、人びとの因縁めいた関係の網と過去が次第に浮き彫りになる。
妖艶で色香漂う老女と家族を失った中年男の悲哀と心の触れ合いが描かれながら、楚々とした品位と漠とした神秘性が全体を包み込みこんでいる。男と女の世界が猥雑さと色欲にまみれ、ときに淫乱であったり、あるいはそれが美化された不毛な不倫であったりする状況が繰り返されてきた近年の小説の中で、ここに描かれる男女の関係はいずれも清楚ですがすがしい。その清らかさの背後に「死」が厳然と潜み、全体の陰影を刻んでいる。そもそも二人の出会いは1羽の雀の死骸とそのスケッチにあった。いや、それ以前に、少年の死は人びとと因果をもつ。さらにもっと先には、大東亜戦争の敗戦も間近、インドのアッサム州で展開したインド軍を巻き込んだ日本軍の対英インパール作戦と無為無情な死にまで糸は伸びていく。
現在と過去の錯綜した時間がさらに物語に重層性を生む。公園にたむろし奇声をあげる茶髪の若者たちや、現代的産物の携帯電話が「現在」を刻む一方で、唐草模様の風呂敷包みを抱えた古い友人のちんどん屋の出現、さらには川のほとりで口三味線に合わせて「ア、コリャ、セットントン」と謡いながら舞う老婆の姿は、あたかも失われた戦前の、あるいはさらに古き文化の源泉のごとき残影を描き出す。
作者、水墨画家の東野光生はこれまで多くの涅槃図や仏画を描いてきたが、ここでは白と黒の濃淡にほのかな薄紅の色を添えて、艶やかで深い悲しみと温もりの世界を言葉によって描いてみせた。1枚の似顔絵の結末は読者の楽しみのために秘めておく。 (bk1ブックナビゲーター:今村楯夫/東京女子大学教授 2000.07.29)