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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2000.10
- 出版社: 筑摩書房
- サイズ:19cm/262p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-480-86329-X
紙の本
サイファ覚醒せよ! 世界の新解読バイブル
「終わりなき日常を生きろ」から5年、いまだに救われない人々のために二人は「覚醒教」を開くことを決意し、教義を作るために対談した。「人間とは」「世界とは」を考える。【「TR...
サイファ覚醒せよ! 世界の新解読バイブル
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商品説明
「終わりなき日常を生きろ」から5年、いまだに救われない人々のために二人は「覚醒教」を開くことを決意し、教義を作るために対談した。「人間とは」「世界とは」を考える。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
宮台 真司
- 略歴
- 〈宮台〉1959年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。東京都立大学人文学部社会学科助教授。
〈速水〉日本女子大学住居学科卒業。新聞社専属記者を経てフリージャーナリスト。
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紙の本
暗号を読み解け!
2004/02/29 00:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:レノン - この投稿者のレビュー一覧を見る
リストラ、家庭崩壊、犯罪の低年齢化……。現代の価値観は急激に変化してきた。
「アイデンティティの基盤を社会の内部に求めると、社会や周囲の変化と共に自己の価値付けも揺らぎ、消失してしまう可能性がある」。著者の二人は自己肯定感を得られず、社会の枠組みの中で生きられない人々に心を寄せる。
ジャーナリズム、社会システム理論の見地から宗教の役割などを考察し、現代における「救われ」を模索した一冊。対談形式で、難しい内容も分かりやすくなっている。
紙の本
「社会の底が抜けた」という状況から出発して、いかに「神」に封印された世界を開くかに至る刺激的な議論
2000/12/28 15:15
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:上野昂志 - この投稿者のレビュー一覧を見る
酒鬼薔薇聖斗の事件以来、九州のバスジャック殺人から東京のビデオ店爆破事件まで、罪の意識を持たないまま殺人を犯してしまうような少年たちの犯罪が増えている。その一方には、百万人ともいわれる引きこもりの若者たちがいて、一定の年数を経ても社会に復帰しない。さらにオウム真理教以後、カルト的な宗教は目の敵にされているが、だからといって新宗教がなくなるわけではないし、そういうものに救いを求める若者も少なくない。
このような事態をどう見るか? 多くの者は、社会が変容したと捉え、その原因を探ったり、対策を考えたりする。また子どもたちの勝手な振る舞いに苛立つ者たちは、性急に法律を変えたり、道徳教育の復活を唱えたりする。いずれにせよ、そこでは、これまで続いてきた社会がそのままあるということが前提になっている。
これに対して、宮台真司は、「社会の底が抜けた」という視点を明確に出す。これは、これまでも宮台がいってきたことではあるが、速水由紀子と対話しながら進めていく本書の議論の出発点も、まずはそこにある。つまり、たんに社会のありようが変化したのではなく、底が抜けてしまったということなのだが、社会システム論をベースに、それを語る宮台の論理には説得力がある。が、ともかく、社会と関わりを持たずに引きこもったり、罪の意識もないまま犯罪に走るような「脱社会的存在」が大量に現れるのもそのためだ。
本書は、そのような「脱社会的存在」、いいかえれば社会の中に居場所のない人間たちが、どう生きていけばいいかということを考察しているのだが、そこで速水由紀子が執拗に問題にするのが、「第四の帰属」ということである。これは、個人のアイデンティティに関わる問題だが、第一の帰属が、誰々の息子であるというような家族や親族関係にあり、第二の帰属が、何々という会社の課長であるというような所属集団にあるとすると、第三の帰属は、自分はこれこれのことをする人間であるというような個人の社会的な役割に関わる。通常のアイデンティティ概念からすれば、自分のなかで、第三の帰属まで自覚できていれば問題ないが、現在のような「社会の底が抜けた」状況では、「この社会の内側には準拠しない、第四の帰属という概念が必要になる」と速水はいう。平たくいえば、それは、この社会の中に居場所がないと感じた人間に対して、それでもなおこの世界で生きることを社会の外側から動機づけるようなもの、ということになるだろう。
つまり、社会の底が抜け、世界が露出してきたときに、なお生きることを肯定するような動機づけがあるとすれば、それは何か、ということになる。そこに、「サイファ」という肝腎のテーマが出てくるのだ。宮台によれば、世界は本質的に規定できないものだが、その「世界の未規定性」が社会のあちこちに顔を出しては、社会は立ち行かない。そこで、世界の未規定性を一カ所に集めて、「世界の中の特異点」として表象したもの、それを社会システム論では「サイファ=暗号」という、というのである。「世界の創造者としての神」というのが、その「サイファ=暗号」の典型だが、そこでは「神」が一身に世界の未規定性を担うことで、未規定な世界に封印してしまうというわけである。人間が古来から宗教を必要としてきたのもそのためであり、現在の「脱社会的存在」がカルトに走るのもそのためである。
宮台と速水が「第四の帰属」を問題にするのも、そのような状況を踏まえてのことだが、彼らは、「サイファ」を神に変換した宗教を「逆変換」して開こうとする。そこから科学哲学を中心とした議論を経て、「世界の根元的な未規定性」へとみずからを開くという主張に至る道筋は、なかなかに感動的である。 (bk1ブックナビゲーター:上野昂志/評論家 2001.01.03)