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商品説明
グローバル化・情報化・規制緩和の流れの中で、われわれの社会は「契約」に委ねられる領域が一層拡大しつつある。日本の現実に対応しうる新しい契約観を提唱し、契約法をめぐる今日的問題をさまざまな角度から論じる。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
内田 貴
- 略歴
- 〈内田貴〉1954年大阪府生まれ。東京大学法学部卒業。現在、東京大学法学部教授。著書に「抵当権と利用権」「契約の再生」など。
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紙の本
「規制緩和と契約法」
2009/08/12 19:00
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:CAM - この投稿者のレビュー一覧を見る
内田貴前東大法学部教授による契約論集で、2000年の刊行である。 「序章 現代日本社会と契約法」から「終章 契約法の未来」にいたるまで、全10章から成るが、すべてが知的にエキサイティングである。 何回読み返しても、そのたびに、極めて良質な知的刺激が残る。文章にも晦渋さがなく、明晰で理解しやすい。一流の論考であることの証左であろう。
本書の第6章は、「規制緩和と契約法」と題され、継続的契約の代表例である借地借家法と労働法を材料とした「規制緩和」についての論考である。 評者が最も啓発された章である。 その結論的部分では「バランスのとれた政策判断を行うために、今後、政策論として関係的契約の法理を洗練する必要がある」とし、「新古典派経済学の価格理論の規範的主張を支える価値論が個人主義的自由主義であるなら、関係的契約理論を支える価値論は、共同体的価値を一定程度認める理論となるだろう」と述べられる。
法解釈学者には、一部の憲法学者等を除いて、一般社会に向かって啓蒙的な発言をしたり論考を発表する方が少ない。 憲法等を除いて、研究の対象が比較的ミクロ的なものが多いこともその原因であろう。また、学徒の側もその勉学は試験対策中心のものになりがちである。このために、マスコミ等では、軽薄な経済学者等の底の浅い議論が横行しがちであることを評者は極めて残念に思っている。
労働問題をはじめとして、“規制緩和のゆきすぎ”が議論となり、それが大きな争点となった選挙結果による政権交代も現実味を帯びてきている。こうしたマクロ的政策課題について、世界に主張できる普遍性を持ちながらも日本文化に根ざした価値論、規範論に基く重厚な論考の緊要性は高まってきていると思う。
第6章の結びで、「個人の自由や人格を尊重しつつ、かつ、現実に共同体が取引社会において果たしている役割にも目を向ける。そのような価値論を果たして説得的に展開できるかどうかが、規制緩和のゆきすぎに対する防波堤となる法理論を提示できるかどうかを左右するだろう」とし、それが「契約法学者が取り組むべき緊要の課題」だと述べた著者には、いっそうの活躍を期待したい。
紙の本
「民法の内田」のもう一つの顔
2001/05/15 13:08
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:稲葉振一郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
期待に違わぬ好著である。10年前の『契約の再生』(弘文堂)は、「契約の死」——主として「意思説」に立脚した古典的契約モデルの機能不全——と新動向としての関係的契約理論をめぐる英米の研究動向をよく紹介してくれる勉強ノートという趣が強かったが、今回の著作は近年の規制緩和やグローバリゼーションの動向をも踏まえ、オリジナルな内田バージョンの関係的契約理論——実証社会科学的知見を十分に踏まえつつも決して法社会学ではなく、あくまでも解釈論としての——が積極的に展開され、現代日本の法状況のなかでその切れ味が試されていく。第6章での借地借家法・定期借家権をめぐる議論など、管見の限りではいまいち迫力を欠くものが多い反規制緩和論・慎重論のなかでは明晰さと説得力で飛び抜けている。また第7章で紹介されている契約法の国際化の話題については、私は不勉強にして今回が初耳であり、大変勉強になった。各種試験必携の内田『民法』(東京大学出版会)しか知らないという受験生の君、君は大勘違いプラス大損している。
印象深かった今ひとつのポイントは、今更ながらではあるが実証社会科学的、あるいは政策志向の立場からの法律観と法解釈学的、あるいは司法の立場からの法律観の食い違いであった。この辺のギャップを埋めようとする努力はもちろん多々なされていて、たとえば「法と経済学」「法と社会」とかいった新領域が既に確立しているのだが、どちらかというと前者からの後者への越境、挑戦といった趣が強い。これに対して本書などは、逆の方向を目指しているめざましい例と言えるのではないか。
著者の議論は私にはこう解釈できる。すなわち、政策志向の観点からは法は人や社会の振る舞いを事前的にコントロールする行為規範とみなされ、もっぱらその観点から評価されがちである。たとえば損害賠償や刑罰といった制度は、不法行為や犯罪を防止・抑止する機能において評価されるわけである。しかし司法的な観点にとっては法は主に裁判規範である。つまり紛争が現実に発生してしまったその後始末をする事後的な機能が重視されているのである。このリスク管理の二つの次元、あるいは政策・法を評価する二つの次元は、互いに還元できない関係にあるのではないだろうか。たとえば労働災害や製造物責任における無過失責任とか、あるいはそもそも過失責任まで含めて損害賠償のための保険というものが現に成立していることの意味をどう評価するのか? たとえばモラル・ハザード論は、保険は保険加入者の油断を呼び込み、事故発生率を上げてしまうという危険を指摘し、この観点から公的保険への批判がなされたりもするが、この論法で賠償責任保険の批判をする論者を寡聞にして知らない。この辺は一体どうなっているのだろう?
例えば第6章で著者は以下のように書いている。
「経済合理的な理由もなく立ち退きを迫る家主はいないはずだ、という議論がなされることがあるが、紛争の現実を知らないというほかない。借家法1条の2(更新拒絶や解約申し入れに「正当事由」を必要とするとした——引用者)自体、相当悪質な事例が目立って、立法に踏み切ったという事情がある。(中略)もちろん、そのような悪質な事例は現実には例外的事象であろう。しかし、例外現象こそが訴訟になり判決にまで至ることが多いのであり、事後的紛争解決の観点からは、まさにそのような病理的現象でこそ機能する規範が求められるのである。」(230-231頁)
本書が提起している法の二重の機能というか二つの顔の問題は、社会科学全般にとっての重要テーマでもあろう。一人でも多くの方に読んでほしい好著だ。