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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2001.4
- 出版社: 淡交社
- サイズ:21cm/175,3p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-473-01806-7
- 国内送料無料
紙の本
みる・かんがえる・はなす 鑑賞教育へのヒント
美術史の中でも何より創造的だがとらえどころのない、作品を「みる」という行為について考えをめぐらす。一般に入手できる豊富な資料や、幼い子どもから老年の美学者まで、人が美術作...
みる・かんがえる・はなす 鑑賞教育へのヒント
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商品説明
美術史の中でも何より創造的だがとらえどころのない、作品を「みる」という行為について考えをめぐらす。一般に入手できる豊富な資料や、幼い子どもから老年の美学者まで、人が美術作品を前にして語る言葉も用いて解説する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
アメリア・アレナス
- 略歴
- 〈アレナス〉1984〜96年ニューヨーク近代美術館教育部勤務。アメリカ、スペイン、メキシコ等で、新しい鑑賞教育プログラム「MIRA!」を展開。著書に「なぜ、これがアートなの?」他。
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紙の本
アートとの友好関係をとりもどす
2001/05/09 18:16
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:海野弘 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私はこれでも美術評論家なのだが、時々、美術評論に疑問を持つことがある。現代美術と私たちはどうも折合いが悪いのだが、その責任が、美術を私たちに解説してくれるはずの評論にあるように思えるからである。現代美術は難解であり、そのために専門家の評論が必要だ、と考えられているが、評論を読むとますますわからなくなってくるのだ。
現代美術というのは、現代の作品なのだから、解説などいらないのではないか、と思っている。むしろ昔の作品こそ解説が必要だ。私たちとはちがう時代につくられたものだからだ。
なぜ現代において、美術と評論がずれてきたかというと、美術が変わったのに、評論が昔のまんまであるからだ。評論は昔のやり方で今の美術を説明しようとして、うまくいかないのである。
アメリア・アレナスは、美術に対する古い見方から私たちを自由にし、美術への新鮮な感動をもどそうとしている。ちょうど私も現代美術について、その見取図をまとめたいと思っていたので、この本はいい刺激になる。
美術評論は、古い〈美〉の見方にとらわれてきた。それは、〈美〉を中立で普遍的なものとする見方である。すると、私たちの向うに、中立で絶対的な美があることになり、専門家がそれを私たちに解説してくれるわけだ。この場合、見る人によっていろんな見方があり、どれかが絶対正しいわけではない、という考えは認められない。あくまで、美術館のガラスケースの中に安置されたものとして、私たちから離れているのだ。ところが現代美術は、美術館からとび出し、私たちと交流し、見る人の立場によるいろんな見方を許容するようになった。
また、美術館から出たアートは、私たちの日常生活に入ってくるようになった。美術館と日常生活、専門家(評論家)が独占する知識と私たちの日常感覚のしきりがとり払われてきたのが、現代美術の新しい状況なのである。
この本は、現代美術が評論家の権威づけられた見方ではなく、私たちの創造的な、自由な見方によって見られるべきだ、ということを教えてくれる。それはまちがった見方かもしれない。しかしまちがいとはなんだろうか。私たちは好きなように絵を見てどの絵が好きになっていってもいいではないか。
では評論は無用なのだろうか。そうではない。この本は「みる かんがえる はなす」という題である。私たちは見る。見ることは、私たちがこれまで生きてきたさまざまな体験を結集して考えることである。そして考えることは、それについてだれかに話すことへとつながっていく。話すことは、その絵の魅力を語り、共にその絵を見ようと誘うことだ。
つまり評論は、見ることへの招待になるべきであり、そのために、この本のような評論が必要なのだ。 (bk1ブックナビゲーター:海野弘/評論家 2001.05.10)