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商品説明
次々と発売される電化製品を買い揃え、家財道具を増やし、洋風の生活を送ること−。それが家族共通の目標であり、喜びであった昭和30年代。くらしを彩ったモノと2DK生活を再現する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
青木 俊也
- 略歴
- 〈青木俊也〉1961年神奈川県生まれ。武蔵大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、松戸市立博物館学芸員(日本民俗学)。
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紙の本
ウルトラマン“怪獣殿下”の家
2001/06/20 15:21
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たけのこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
千葉県松戸市の常盤平団地(約5000戸)は日本住宅公団の開発で、1960年入居開始。高度経済成長期における生活革新の最先端を担った住宅団地も、入居後すでに40年以上の年月が経過した。著者が勤務する松戸市立博物館では、当時の団地生活を原寸大の住宅模型で再現した常設展示をおこなっているという。また昨年(2000年)は、常磐平団地住民のカメラマンが入居以来撮りつづけてきた家族写真を中心として、企画展「戦後松戸の生活革新」を開催した。本書はその記録である。
団地もとうとう博物館入りかとパラパラ立ち読みするうち、家族写真の1枚につけられた解説に目がとまった。スポーツ新聞社のカメラマンだった小櫃(おびつ)さんの長男は、1959年11月生まれ。わたし(12月生まれ)と同い年ではないか。団地の40年史は、わが同世代の成育史でもあった。
本書によると小櫃さん一家は最初、荒川区三河島のアパートに住んでいたが、日当たりの悪い部屋では長男の育児によくないと公団住宅や都営住宅に応募しつづけて常磐平団地に当選した。それだけに、公園のブランコに乗ってほほえむ赤ちゃん(1959年生まれの長男)の写真や、団地内の通路を歩く親子づれの写真などは、どれもいかにも幸せそうだ。
しかしいうまでもなく、このような郊外家庭の幸福をだれもが享受できたわけではない。公団住宅の入居条件として当時、家賃5350円(2DK)の5.5倍以上の月収が必要とされ、そのことは団地住民の社会階層をおのずから限定した。あのころ「団地族」と呼ばれた彼らの平均像を、1960年版『国民生活白書』は、「世帯主の年齢が若く、小家族で共稼ぎの世帯もかなりあり、年齢の割には所得水準が高く、一流の大企業や公官庁に勤めるインテリ、サラリーマン」と描写する。
若くて所得水準の高い彼らは、消費の分野においても新たな生活スタイルを切りひらいていった。小櫃家の子供たちもダイニングテーブルでトーストの朝食をとり、学習机で勉強し、もちろんテレビも見て、夜は二段ベッドで眠っている。鉄腕アトムや鉄人28号の、いまでいうキャラクター・グッズも、このころがはしりだろう。
そういえば『ウルトラマン』のゴモラの回で、こうした団地っ子たちが怪獣やウルトラマンのお面をつけて遊んでいたのを思い出す。主人公の“怪獣殿下”が団地の家に帰ると、パパはインテリで本棚にずらっと本が並んでいた。いなかの子のわたしは、当時どういう思いでその映像を見ていたのだろう。そもそも団地というものが何なのかわからないわけだから想像を絶していたか、それとも怪獣めあてで人間ドラマの部分には興味がなかったか。
それでもテレビだけは共通点で、小櫃家の子供たちが白黒テレビの前にすわっている写真が何枚かある(そのうちの1枚には「エイトマン」が映っている)。まったく同じ構図の写真が、わたしにもある。さて、いまの子はわざわざテレビの前で写真なんか撮ったりするかな。それほどテレビとは高度経済成長期における新しい生活様式の象徴であったのか、というようなことも思う。
【たけのこ雑記帖】
紙の本
かつて憧れの的であった団地族は昭和30年代の生活を革新した。彼らの暮らしを現代に引きつけて検証している
2001/07/19 18:15
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:高橋洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦後の住宅不足を解消するため、昭和30年(1955年)以降、わが国の各地に建てられた鉄筋コンクリート構造の集合住宅である団地は、当時の人々の憧れの住宅でもあった。団地建設推進の中心となっていたのは、昭和30年に設立された日本住宅公団(現・都市基盤整備公団)であり、そのほか公営住宅、社宅団地などを含めると「団地」居住者は100万人にも達した。これらの人々は、羨望を込めて「団地族」と呼ばれた。
青木俊也著『再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし』は、こうした当時の団地居住者たちの生活を千葉県松戸市に建設された「常磐平団地」をモデルとして構成されている。これら団地族は、耐久消費財購入に積極的であり、パン食、椅子のある生活など洋風の生活をいち早く取り入れたことも大きな特徴をなしている。昭和30年代における生活革新の先駆けを実現した彼らの暮らしの様式を、本書では現代に引きつけて検証している。
昭和35年この団地に入居し、7年間で6700カットにもなる家族写真を撮影し続けた小櫃亮さんが提供した写真が当時の憧れであった「2DK生活」を雄弁に再現している。今でこそマンションや一戸建てで3LDKぐらいの広さはほとんど一般的になっていると言えるであろうが、当時二部屋の和室(寝室)とダイニングキッチンという間取りを示す「2DK」という言葉は、食事室と寝室を別にする「食寝分離」、夫婦と子供の寝室を別にする「分離就寝」が実現されることを意味していた。
松戸市立博物館では、常磐平団地の2DKの生活を展示室復元している。そこには、テレビをはじめとする電化製品、家具、衣類、食器などのパッケージまで含めて、昭和37年当時の団地生活が再現されている。
今から見ると、思わず吹き出してしまうような表現が、当時の「常磐平団地入居の栞」にある。「洋式便器は、便器に背を向けてお座り下さい。便座(蓋のようなかんじの額縁式のもの)は、大変壊れやすく、勢いよく降ろしますと、ヒビが入り、約三〇〇〇円の損失となりますので、取り扱いには充分御配慮下さい・・・。」
当時の2DK生活というものは詰まるところ、アメリカのホームドラマの生活のように明るく豊かで、便利なものであったのだ。
小櫃さんの写真からうかがえるものに、とりわけ食生活の変化がある。その代表格が私たちの生活に入り込んでいるインスタント食品だ。昭和33年には初めて即席ラーメンが発売された。電化製品と同じく大量生産という点で、今日の大量生産のシンボルでもある携帯電話をはじめとするITのツールとの類縁性を感じさせる。団地の2DK生活とは、現代の大量消費を予告する生活様式であった。本書からはそうした推論が可能であろう。 (bk1ブックナビゲーター:高橋洋一/評論家 2001.07.20)