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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2001.7
  • 出版社: 創出版
  • サイズ:19cm/109p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-924718-42-4

紙の本

「脱社会化」と少年犯罪

著者 宮台 真司 (著),藤井 誠二 (著)

酒鬼薔薇事件をはじめとする少年犯罪。少年たちが置かれた現実をどう捉えたらいいのか。宮台真司が「脱社会的存在」とは何かを論ずる第1部と、「青少年問題シンポジウム」での藤井誠...

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「脱社会化」と少年犯罪

税込 880 8pt

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商品説明

酒鬼薔薇事件をはじめとする少年犯罪。少年たちが置かれた現実をどう捉えたらいいのか。宮台真司が「脱社会的存在」とは何かを論ずる第1部と、「青少年問題シンポジウム」での藤井誠二との対話を収録する第2部で構成。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

宮台 真司

略歴
〈宮台〉1959年生まれ。東京都立大学人文学部助教授。社会学博士。
〈藤井〉1965年生まれ。ノンフィクションライター。

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みんなのレビュー2件

みんなの評価4.0

評価内訳

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紙の本

少年犯罪に通底する病理を抉り、頓珍漢な国会議員と教育改革国民会議に喝!

2001/08/10 16:03

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:fujiwara - この投稿者のレビュー一覧を見る

 キレた少年たちによる犯罪が後を絶たないご時世である。事実検証能力に乏しいジャーナリズムと言論人が事態の深刻さを煽動する。もう少し事実を冷静に見極めることが必要だ。少子化の影響を加味しても、少年犯罪は、全く増加しておらず、凶悪化もしていない。メディアの興味が犯行動機の不可解さに向けられるゆえに生じる誤解である。
 
 本書の第一部で展開される宮台の論考は、世間に流布される焦点ボケした陳腐な言説とは一線を画しており、実に的確である。大部分は97年の酒鬼薔薇事件以降、各種メディアで宮台が力説してきた内容と軌を一にしたものであり、宮台信奉者、あるいは社会学的センスのある読者にとっては常識の範疇である。キイワードは《脱社会的な存在》。他者との社会的な交流抜きで自己形成を遂げてしまったコミュニケーション不全の若者のことである。ヤクザなどの《反社会的な存在》とは異なり、厳罰適用による矯正プログラムの効力が及ばない。また、病気ではないので治療法もない。実に厄介な存在なのだ。人を殺すことの敷居が極めて低い彼らには、一般的な社会通念や規範が通用しない。仏教の因果律などを持ち出して命の尊さを説くことなど全く無意味なのだ。こうした《脱社会的な存在》が顕在化するに至った要因に関する考察が冴えわたっている。外界とのコミュニケーション抜きで生活物資を調達できる社会の趨勢は、もはや退行させようがない。生きる力の源泉となるのは、他者との関わりの中で形成される自己の尊厳である。この尊厳のリソースが不足しているところに病理が潜むと宮台は指摘する。《良い学校から良い会社で良い人生》という一元化された価値観に呪縛され、個性的で多用な生き方に価値を見出せなくなった70年代半ば以降、病理が確実に拡大した。民度の低い有権者が選んだ国会議員は、頓珍漢な少年法厳罰化やメディア規制に奔走するばかり。これは、本質的な問題解決の途を迂遠なものにする可能性を多分に孕んでいる。
 第二部の藤井誠二との対談では、少年たちをとりまく現実の分析を巡って丁々発止の議論が展開される。兄弟ほどの年齢差の二人が、互いの経験をオーバーラップさせる形で本音をぶつけ合っており、小気味いい。二人とも地域社会に共同体が根付き、よその子供でも平気で叱る大人がいた時分に少年期を過ごしている。校内暴力や不良グループ同士の抗争も盛んだった時分である。暴力が共同体外に及ぶことがなく、殴ったり、殴り返されたりの応酬も限度を踏まえ、決して相手を死に至らしめることなど無かった。共同体の解体とともに、口うるさい大人が居なくなり、不良グループも消滅。少年たちは喧嘩を通じて限度を知る機会が無くなってしまったのではないだろうか。畢竟、相手を傷つけることを厭わない少年たちが続々と凶行に走り出したのであろう。少年たちが成長し、自己を確証するプロセスに明らかな歪みが生じているのだ。
 更に、対談は、性と薬物にも及ぶ。問題行動に帰結しがちなため、教育現場では忌避される種類の話題である。少年たちが自立する過程で、大人たちが責任を果たすためには、問題を忌避せず情報を開示して、自己責任で判断させよと二人は主張する。シンナーよりも覚醒剤がマシと宮台は語る。全てを禁じるのは逆効果。自分の頭で考え、痛い目に遭うことで少年たちは社会性を身につけていくのだ。思うに教育とは、子供が自立するのを補助するプロセスに他ならない。上からの押し付けなど何の効力もない。ボランティアを義務化した教育改革国民会議を扱下ろした叙述には溜飲が下がる思いである。頓珍漢な国民会議の面々は、どう答えるつもりなのか。是非とも伺ってみたいものだ。

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紙の本

男らしさと「脱社会化」

2001/08/12 02:44

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は2部構成になっていて、第一部が宮台真司が最近よく話題にしている「脱社会的存在」に関すること。そして第二部が宮台真司と藤井誠二の対論となっている。
 第一部では、特に目新しい主張がなされているわけではない。要するに、社会が「コンビニ化・情報化」したために誰でも簡単に情報にアクセスが出来るようになったことと、日本社会に特有な「学校化」した社会、つまり家・学校・地域が一つの「学校」というものさしで統一されてしまう状況のために現れた「脱社会的存在」。この「脱社会化」した人をどう受け入れるか、という問題を語っている。そして、「脱社会化」させないための方法として、他者とのコミュニケーションと無関連に自己の尊厳を樹立させないようにすることが必要だという。
 そして第二部であるが、ここで宮台は性の話をしている。とくに男、少年の「性的危機」ということを語る。70年代以降、性的な情報は氾濫して、メディアを通じて性に関する知識を得られやすくなったのだが、性欲を感じるような年齢から実際の他者との性的なコミュニケーションを取る年齢が離れてきていることを言っている。情報は得られるのに、生身の性的コミュニケーションが取れないために、自分がそうしたコミュニティから弾かれているのではないかと感じてしまうのだという。そうすると深刻なアノミー状態に陥るという。
 確かに他者とのコミュニケーションを通じて自己の尊厳を樹立することを目指しているので、こういった指摘をするのであろうが、このあたりを読んでいて性的コミュニケーションがそれほど人格形成に重要な影響を与えるのだろうかと思った。
 そして、ここまでの話は、全て男性向けだ。たしかに、「少年犯罪」にしろ「ストーカー」にしろ「ひきこもり」にしろ圧倒的に男子のほうが多い。だから、ここで話題になっているのが、男子に関することばかりなのだろうけれど、では女子はどういう今現在は問題はないのか。この女子に関する議論がないのが惜しい気がする。性に関していえば、女子にとっても生身の性的コミュニケーションは必要なのかとか。
 それにしても、少年たちを「脱社会化」するまで追い込んでしまうのは、やはり社会が男性を中心とした「男社会」であることが原因なのだろうか。「男らしさ」ということが少し話題にされていたが、男を中心にする社会が、一部の男を苦しめる結果になるというのはすごく皮肉なことだと思う。

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