紙の本
これは怖い。言葉もなくジリジリと迫りくるものたちが本当に怖い
2006/02/05 22:10
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
病気になって、しばらく寝たきりでいなければならないマリアンヌは、祖母の残した不思議な鉛筆を見つけます。その鉛筆で描いた絵の通りに、夢の中の世界が動くのです。マリアンヌと、夢で出会った少年マークには、闇の中から迫り来る恐怖の存在が……
何が怖いって、闇の中ジリジリと迫ってくる「あいつら」が、本当に怖いのです。正体も目的もはっきりとわからないけれど、圧倒的な不安と恐怖の象徴として描かれる「あいつら」。何よりも恐怖は、それらは、マリアンヌが自分の手で生み出してしまったものだということです。現実世界でまだ会ったことのないマークに嫉妬し、かんしゃくを起したマリアンヌは、マークが閉じ込められている屋敷の窓に格子を描き、屋敷を高い柵で囲い、さらに監視役として目を持つ石を描いたのです。それが自分たちを脅かす恐怖の存在になるとは、少しも思わずに。
マリアンヌの鉛筆は、ある意味で万能の武器であり、世界を操ることさえできます。(実際には絵が下手だと具現化が今ひとつということも)けれど2人の子どもたちは、その武器を使って、「あいつら」をやっつける存在を作り出すという結論は選びませんでした。知恵と勇気をふりしぼり、自分たちの力で、閉じ込められた屋敷から脱出を試みます。子どもの頃に読んだ時は、ただ「あいつら」の不気味さや、魔法の鉛筆への憧れだけが心に残ったのですが、改めて読んでみると、恐怖や不安、自分の弱さに立ち向かい、それを克服していく、子どもたちの心の変化が、鮮やかに伝わってきました。
夜のシーンが多く、全体の印象も爽やかさ・明るさとは遠い作品ですが、子どもたちに読んで欲しい1冊です。テレビのニュースや、フィクションの世界で、残酷さやグロテスクさを売り物にした「しょせん人ごとの」恐怖に慣れきった子どもたちには、特に。
紙の本
夢の中で成長する子どもたち
2002/10/14 14:18
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:由良 - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者は精神分析医だとか。子どもの内面をよく描いている。病気になって6週間は寝たきりでいなければならないマリアンヌ。小児マヒで動けない少年。二人が夢の中で出会い,共通の敵と戦い,逃げ出すために自分の弱さを克服しようとするところが無理なく読み進める。
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病床に伏せったマリアンヌが見つけた不思議な鉛筆で絵を書けば、全ては夢となって現れる。夢の向こうで繋がる現実が、心躍るものとは限らないとしても。
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食べ物を食べるシーンとかゆで卵ひとつ割るだけでもわくくわくしてます。エンドがさっぱりしてるのも好きです。西欧の生活が伺えるのがとにかく最高です。日常な非日常を感じる本です。
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病気で数ヶ月療養しなくてはならなくなった、10歳になったばかりのマリアンヌ。退屈しのぎに裁縫箱から探し出した鉛筆で絵をかくと、それと同じ風景が夢の中に出てきて・・・。
子供の頃ってこんなことを思ったり感じてたんだなぁ、と読後ほろ苦く思った。現実の方のマリアンヌが、先生の誕生日に見せたマークへの嫉妬心などすごくよく分かる。なんであの時は素直に云えなかったんだろう。素直じゃないことに気が付いているからこそ辛くて惨めで涙が出るほどなのに。
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成長期にあるマリアンヌの複雑な心理や葛藤が、よく描かれている。マークも、その年頃の少年の感じがよく出ている。
マリアンヌの内面世界とリンクしたかのようなマークの状態は生々しく、2人が味わう恐怖と、力を合わせてそこから脱出する過程はスリリングで迫力がある。続編は図書館から借りて読んだが、現実的でやや単調に感じられ、わたしは『マリアンヌの夢』のほうが断然面白かった。子供の頃に読むと、どうだろう? あの岩たちは相当怖いのではないだろうか。
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小学生のときにものすごい勢いで読み返していた本。
「描いたことがすべて現実になる魔法の鉛筆」を軸として、子供心の不安や恐怖、そしてそれらをいかにして克服していくか、ということが物語のテーマなのですが、強烈に印象に残っていたのは、主人公マリアンヌが、マークに向ける嫉妬やいらだち、そしてそれらをどうやって解消したかと、その結果、どんな恐ろしいことが起こってしまったか、ということでした。
いやもちろん、「良書とは、食べ物や食事のシーンが実においしそうに描写されている作品のことである」の法則に外れることなく、ソーセージとゆで卵の食事の場面も素晴らしいのですが……。
(そして私はこの本で、半熟のゆで卵嫌いを克服した記憶がある(笑))
続編があるらしいのですが、例によってこの作品が好きすきて未読。
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面白かったww目のついた岩が怖かった!
マリアンヌとマークが、最初は仲が悪かったけどだんだんうちとけてきて、協力して脱出することになるなんて、子供ってすごいw
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面白かった!病気療養中の10歳の少女マリアンヌが、夢の中で出会った少年マークと一緒に、協力して恐怖に向き合って乗り越えていくお話。
作者のストーは精神科医だったらしい。そのせいか、出てくるモチーフがユング的で怖い怖い。ストーリーも面白くてあっというまに読んでしまった。
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幸せにも驚くほど病気らしい病気をしてこないでここまで生きてきたのですが、たしかに自分の身体が思う通りにならない歯がゆさから他人にきつく当たってしまうのってあるよな~~・・・。でもそれも、全て自分の精神的成長につながってるんやな・・・。
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なんの流れでこの本を読もうと思ったのか忘れてしまった。
夢もだけれど、嫉妬や嫉妬からくる憎悪が生々しい。
何から逃げているのだろう。
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10歳の誕生日に大病を患いベッドの中から起き上がれなくなったマリアンヌは、学校にも行けず、家庭教師の先生に来てもらって勉強を教えてもらうことになります。
10歳になったら乗馬をしてもよいと言われ、楽しみにしていたマリアンヌは、身動きのできない生活に飽き飽きし、早く元気に動き回れるようになりたいと思っています。
お医者さんの見立てよりはずいぶん早く回復しているとはいえ、何か月も寝たきりですから退屈です。
マリアンヌは裁縫箱の中に鉛筆を見つけ、柵に囲まれた庭と1件の家の絵を描きます。
その晩夢の中でマリアンヌはその家に行きますが、ドアノッカーもなければ、開けてくれる人もいない家には入ることができません。
次の日マリアンヌはドアノッカーと、家の中に一人の人影を描きます。
すると夢の中に現れたのは病気で歩くことができず、すっかり希望を失った少年がいるのでした。
マリアンヌと少年がなぜその家にいるのか。
少年はなぜ”あいつら”に見張られているのか。
そもそもなぜマリアンヌの描いた絵が夢の中で実態を持つのか。
わからないことは最後まで分かりません。
ただ、病気になり、したいこともできなくなり、体を動かすことが苦痛となり、楽しみからは遠ざけられ、いつ回復するのか見通しの立たない日々を送るマリアンヌと少年は、喧嘩をしながらも次第に心を通わせあい、最後は力を合わせてその家を、その夢からも、脱出することに成功します。
少年の正体は、マリアンヌの家庭教師が教えているもう一人の病気の子です。
作品の中では二人は実際に会うことはありません。
マリアンヌが一方的に先生から彼の様子を聞き出すだけです。
しかしマリアンヌの力を借りながら夢の中でリハビリをした少年は、最後に自分の力で一歩を踏み出すのです。
そして、マリアンヌに再開のヒントを残していきます。
だから読者は、きっと二人は出会い、お互いに良い友達になるであろうと予想しながらうれしい気持ちで本を閉じることができます。
健康な子は、これでも十分でしょう。
そしてもしかして病床でこの本を読んでいる、または読んでもらっている子がいたら、きっとマリアンヌたちの不安や恐怖やイライラを自分のことのように感じ、そしてつらいリハビリに立ち向かう勇気を得ることができるはずです。
壁にぶつかって悩んでいる子にこそ、読んでほしい本だと思いました。
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リアルと夢の世界のリンク。
今どきの「なろう系」でもありそうな設定。
そして漂う不気味な雰囲気。
あれで終わっちゃうのも、想像の余地ありまくりで素敵。
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図書館でオススメされてて読んでみた。
夢の中でしか会えない男の子。
怖いものが結構好きな私。
なんか寝るときに夢を想像してウキウキするようになった。
ただし一回も男の子が出てくる夢は見ていない。
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この作品には子ども向けのお話でよく描かれる希望や夢だけではなく、嫉妬や不安や恐怖などこどもの中の負の感情がよく表れている。子どもの心の闇は大人と同等であること、そして「子どもは大人守ってあげるかわいくてかわいそうな存在だ」という従来の子ども観を破る新しい子ども観が示されている。
★「嫉妬や怒り」を抱くこどもの姿
チェスターフィールド先生の誕生日の日、マークが、マリアンヌが用意したバラよりも大きなバラを先生に送ったため、マリアンヌは大きなかんしゃくを起こし「嫉妬・怒り」をあらわにしている。
「マリアンヌは返事をしなかった。にがにがしい思いで、マリアンヌは花をながめた。感謝して、うれしそうに見せなくてはいけない、ということはわかっていた。しかし、そんなことはとうていできそうになかった。だまって怒りと失望の涙を流すのをやってこらえているだけで、精一杯だった。」(p.86 )
子供向けのお話でよく描かれるものは希望、夢、期待などが多く、子どもにはそれだけでなくもっと負の感情があることは目を背けられてきた。マリアンヌが嫉妬でかんしゃくを起こす場面は、彼女が先生の誕生日のためにたくさん考えていたことも描写されているぶん、とてもリアルで残酷だ。
しかし、読者はマリアンヌと同じように、言葉では表しきれないほど大きな失望や自分の思い通りにならない怒りを心の中で共有することができる。負の感情を押さえ込まれプラスの感情だけ表されているお話ばかり読んでいると、自分が嫉妬や怒りを抱いてしまった時に「これはいけない感情だ」と否定してしまうかもしれない。しかし、この作品のように負の感情を抱くこどもがきちんと描かれているものと出会うことによって、負の感情を抱くのは決して悪いことではない、人間だから当然だ、と子どもたちが知ることができ、負の感情の肯定をすることができるのではないかと思った。
★『恐怖・不安』を抱く子供の姿
また、この作品には独特のダークな雰囲気があり、特に目のある石たち、『they』の存在は、正体がわからないのもあいまってぞっとするような恐しい存在である。マリアンヌがマークに灯台への出発を急かそうと説得する場面で、『they』に対する「不安・恐怖」について以下のように発言している。
「一つにはそうしなくちゃならないって感じるの。もう一つは、ここにいるのは安全じゃないってことが、わかってるからよ。ここに来るたんびに、前よりもっと危険になってるって感じがするんだもの。それに、よくわかってるでしょ。あいつらはだんだん近づいてきてるのよ。」(p.274)
彼女は『they』に対する恐怖が大きくなっていることを確かに感じ取っている。しかし同時に、『they』の存在が一体何なのか掴みきれていない。つまり、『they』の正体とは、「言い表せないけれど確かに感じている心の中の不安や恐怖」ではないだろうか。
「子どもはいいよね、何も不安なことなんてないもんな。大人になると大変だよ」という意見をよく耳にするが、大きな不安に駆られることがあるのは大人だけではなくもちろん子どもも同じだ。どうしよう��できない不安や恐怖はこどもたちの心の中に常に存在しているもので、それは人間がともに生きていかなくてはいけないもの。しかし、自分1人だけがその恐怖や不安を抱いているのではないかと思ってしまうこどもたちは多いと猪熊葉子は指摘する。
正体がわからないけれど確かに怖い『they』のように、心の中の言葉では言い表せない不安や恐怖が描かれているものを読むことによって、恐怖や不安を抱いているのでは自分1人ではないんだ、と読む人を解放することができると思った。
★「新しい子供観」
さらに、マリアンヌとマークが自転車で灯台へ逃げている場面には、お互いを助けたい!というお互いの強い気持ちが表れている。
「『行けよ!』マークはいった。『ぼくはだめだ。自転車は捨てて、走るんだ!』『いやよ!』マリアンヌは叫んだ。・・・マークは支えられたままになっていたが、ずしんずしんという足音が後ろから近づいてくると、またいった。『きみ行けよ。』『だめよ!走るのよ』『だめだよ。』『走らなくちゃだめ。』」(p.302)
多くの大人は、子どもは大人が守ってあげているかわいくてかわいそうなものだという伝統的な子ども観を持っている。しかし、この作品に表れているのは、誰かを守りたいと強く思いそのために行動する自立的な新しい子ども観だ。誰かに教えられることなく自分で気づいて誰かのために努力するこどもが描かれており、それは読者にこどもを信じることの大切さを気付かすものなのかもしれない。
このように、この作品はこどもの心の内部を探っており、こどもの負の感情の肯定や、こどもが自分で考えて誰かのために行動する自立したこどもの姿など、新しいこども観がよく描かれている。自分の中に生きている「子ども」のために生涯大切にしたい作品だ。