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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.2
- 出版社: 文春ネスコ
- サイズ:21cm/205p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-89036-147-2
紙の本
美食家列伝
グルメの元祖、ここにあり! 永井荷風、向田邦子、吉田健一、開高健、立原正秋、谷崎潤一郎、岡本かの子ら、食に一食言を持ち続けた、食いしん坊52人の軌跡。所縁の料亭、レストラ...
美食家列伝
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商品説明
グルメの元祖、ここにあり! 永井荷風、向田邦子、吉田健一、開高健、立原正秋、谷崎潤一郎、岡本かの子ら、食に一食言を持ち続けた、食いしん坊52人の軌跡。所縁の料亭、レストラン51店の地図付き。【「TRC MARC」の商品解説】
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「街角グルメの元祖たち」「厨房で見つけた我が食の道」「食のさすらい人」と「おまけ」から成っている
2002/02/26 22:15
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投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は「街角グルメの元祖たち」「厨房で見つけた我が食の道」「食のさすらい人」の3章、食いしん坊対決「夏目漱石と正岡子規」(半藤一利)、「山本嘉次郎と小津安二郎」(田中眞澄)、「吉行淳之介と遠藤周作」(山本容朗)などの「おまけ」から成っている。冒頭の「永井荷風」の項で半藤一利は、<浅草の荷風さんとなれば、「キッチン・アリゾナ」「ナポリ」、蕎麦の「尾張屋」「飯田屋」「浅草フジキチン」、仲見世裏の「梅園」ということになろうが[「フジキチン」以外、まだみんなあり、ぼくも時折入る]、どこでも決まって同じものを食べている。「アリゾナ」ではビール一本にエビフライ(ときにビーフシチュー)、「尾張屋」ではかしわ南蛮、「梅園」では汁粉。老人特有の面倒臭がりで、こうと決めたらそれだけなのであろうか。それ以上に、食いものに興味を持たなくなっていたから、とわたくしは睨んでいる>と書いているが、ぼくもそう思う。武田泰淳はレストランに入ると、カレーライスかハンバーグしか頼まなかった。理由は「無難だから」とのことだが、やはり食べものに興味がなかったのかもしれない。半藤一利は続けて、<荷風の場合、豪奢に相応しい女性もいなくなっていた。戦前の銀座や浅草での遊興は連日、それも華奢(かしゃ)を極めていた。戦後の日本に、共に食するに足るいい女がいなくなったとき、荷風さんはあえて美味を求めなくなり、同じものを注文するに限ったのだ>とも書いている。
小林秀雄の「まんじゅうのみをめざして、上海から揚州へ」(大河内昭爾)も、面白く読んだ。筆者の大河内昭爾は、かつて「あまカラ」(昭和31年11月号)に発表された「蟹まんじゅう」を、高田宏編『あまカラ抄』で再読したようだ。「秋になると、上海の呑み屋は、蟹だらけになる。太湖の蟹が、クリークに這い出してくるのである。日本ではうまい魚を食っていれば、支那の魚なぞ話にならないが、蟹だけは別で、これは、日本の蟹と優劣はない。(略)三國(みくに)の港で、正月暮らした時に、毎日のように食った。たしか『セコ蟹』と言っていたと覚えている。朝、暗いうちから、霙(みぞれ)の降るなかを、蟹売りが来る。そいつを身も卵も一緒に御飯に炊き込む。熱い飯に、おろしをたっぷり乗せて、醤油をかけ、かき廻して食う。蟹とは、これほどいい匂いのものかと思った。そういう一流の芳香は、太湖の蟹にはないが、その代わり肉や卵、特に卵の味は、格段に豊かである。たしかに油気が強いのであるが、そういうより、紹興酒にぴったり合う味と言ったほうがいい。呑み屋に来る蟹売りから買ったのを、すぐ茹でさせ、これを肴に呑むのであるが、まことに天高く蟹肥ゆの気分である」。
河上徹太郎と一緒に、揚州のまんじゅう屋へ行く話もある。バスが故障したため十数キロの道を歩き、ようやく「まんじゅう屋」に着くと、「朝しかやっていない」と言われる。二人は翌朝、朝飯も食わずに出かけ、まんじゅうを食う話である。